2017年10月20日

熊野古道小辺路その2・野迫川村→三浦集落

近畿の屋根といわれる場所を進みます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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高野山駅からは急行バスで出発点へ。
このバスは1日に2本のみで予約制になっています。

本来は4/1に歩く計画を立てていたのですが
寒波の影響で雪が積もり運行できないということで
前日に運休の旨の連絡をしてきてくれました。

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今回の区間は雪が深く積もるほどの標高の高い場所です。

一番の難所は先にある伯母子峠。標高約1200m。
全般的に山岳地帯の中で交通が不便なところなので
宿の確保など綿密な歩き計画が必要な区間といえます。

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林道を進んでいきます。

かつての古道は林道建設の際に大部分が破壊されています。
街道風情は味気ないですが尾根道なので展望は良いものです。

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世界遺産登録部分がある小辺路において
破壊は登録になった今では信じられないことではありますが
そんな中でも林道脇には痕跡が残っていたりするもので
痕跡を見つける楽しみは街道歩きの醍醐味の一つです。

たとえばこういう場所。

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林道は開削して通りやすくなってるのですが
昔は左の坂道を登っていたものと思います。

このような旧道を見つける方法としては
地理院地図を参考にするのが手っ取り早くて
Googleマップとは違い古い道も点線で描かれていたりします。

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旧道の入口には道標地蔵がおられました。

「右くまの道 左さいごく道」

さいごく道とは西国三十三か所の紀三井寺(2番札所)へのもので
江戸から来て熊野詣でを終えた人は一生に一度の旅なことでもあるので
せっかくならと高野山経由で紀三井寺へとめぐった人もいたことでしょう。

古道は時代によってルート変更はつきものですが
この場所に関していえば道標地蔵さん手前の道が正しいようです。
その横にある道(一般的に案内がある道)は古い雰囲気はあるものの
林業用の道をつなげたバイパスなのかなと思いました。

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一見すると一段下の道が本道に見えるが・・・

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本道は若干荒れているが先で合流している

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大股集落が見えてきました。
九十九折の坂で一気に下っていきます。

大股は秘境といえるべき場所で
川は綺麗で心がやすらぐ雰囲気があります。

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ここは昔も今も宿屋が集まっていました。
難所を控えてのちょうど良い場所だったのでしょう。

いよいよ急登がはじまります。

しばらく味のある集落内を進んでいくのですが
地理院地図の点線とは別の場所に道があるんですよね。
かと言って、点線の場所は道の痕跡すらない状態。

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小辺路ではこういうズレた場所が非常に多く確認できます。
なぜズレているのかは単なる測量ミスも考えれるのですが
雨の災害が多い土地なので地形の変化がよくあるということなのでしょうか。

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桧峠、伯母子峠へと続きます。
中でも辛いのは桧峠までの区間です。

萱小屋跡には丸太ベンチがあったので昼飯にしました。

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桧峠近くからは残雪をたびたび見かけました。

昔の旅はというと収穫期を終えた直後から始めるのは一般的で
江戸を達した旅人が小辺路を通るのは厳冬期になるので
相当大変な道のりだったことが想像できます。

こういう利用時期だったことから
中辺路などと比べると通行量が少ないのは仕方ないところですね。

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桧峠〜伯母子峠にかけては
意外となだらかな道で気持ちよく歩けました。

護摩山、伯母子岳への分岐地点には
道標が置かれていました。

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小辺路は参詣道という顔を持つ一方、
どちらかというと地域の足である面が強かったといいます。
その点は中辺路や大辺路と大きく違うところで、
地域集落へ下る分岐をあちこちで見かけることができます。

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伯母子峠には山小屋、トイレがあります。

道標には真っすぐいけば十津川ですよ。的なことが書かれています。
大正年間のものです。

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峠から本日の宿である三浦口へと下っていきます。

大股側は伯母子岳へのアクセスで利用する人も多いのですが
こちら側は歩く人が少ないようで落ち葉が堆積している所があったり
道幅が細く所々で崩落箇所があってスリルがあります。

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仮復旧的な感じに見える大規模崩落場所。
厳冬期は凍結していたらと思うとおっかないですね。

やがて上西家跡。
旅籠の役割もあったので広々とした場所にあります。
広大な畑のジャガイモや南瓜は北海道のよりも旨かったそうです。

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上西家跡から先は明治道と古道とに分かれます。

古道といっても近年発見されて再整備を受けたもので、
平行してあった明治道が出来てからは荒廃が進んでいたそうです。
一方の明治道は古道が整備されたことでお役御免に。

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この区間の古道ですが
さすがに不明な場所が多かったようで
急坂があったりと疑問に思う場所が多数あります。

水ヶ元茶屋跡。
ここには弘法の封じ水があっていろいろな効能あったそうです。
また怖い話では目が大きく光る異様な山姥も住んでいたといいます。

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崩落場所。掘り下げて復旧しています。
ここの下部を通っていた明治道の様子も気になりますね。

少し進むと石畳が残っていました。

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右さいごくみち、左くまの道。
古老の話によると元々あった場所から移設されたもののようです。

小辺路は世界遺産に登録になった場所があることで
本来のルートじゃない場所でも一度申請してしまったルートは
なかなかいじれないという話を聞いたことがあります。

昔のルートを知るには古老、資料を調べるのが一番ですね。

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明治道との合流点。道標は明治道の方向に”かうや”の文字。明治期に移設?

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明治道と合流して三田谷橋を渡ります。
トンネルをくぐって三浦口手前の五百瀬集落にある民宿に泊まりました。

宿の人が小辺路に詳しいということでいろんな情報を聞けました。
先ほどのトンネルの場所の旧道は三田谷橋付近から山道に入って
トンネル横に出ていたものを通学で使っていたのだそうです。
やはり古老のお話は大事ですね。

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posted by にゃおすけ at 09:42 | Comment(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする