2017年09月19日

熊野古道小辺路その1・高野山→野迫川村

高野山から熊野本宮大社へ最短距離で結びます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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小辺路といえば山岳地帯を貫く道筋です。
交通が不便で行きづらいイメージがあったのですが
いざ計画を立ててみると意外とすんなりいけるものです。

11月初旬の高野山は紅葉の見ごろです。

例年この時期は駐車場の混雑が激しいので
早朝にスタートできるよう車を走らせました。

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気温は1度。

周囲を見渡しても人がほとんどいません。
やはり紅葉の名所は早朝に限ります。

今回も和歌山県の街道マップを参考にしたのですが
これによるとスタートは千手院橋という設定になっています。
でも折角なので弘法大師が眠る奥の院から歩くことにしました。

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千手院橋は高野山内のジャンクションの一つ。
多くの車と人が行き交う場所です。

ところが一歩中に入ってみると静かな空間が広がります。
小辺路はこういうひっそりした場所から出発します。

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さすがは山岳地帯を縫っていくだけあって
初っ端から急坂が続いています。

大滝口女人堂まで来ると一休み。

女人堂は高野山に続く各街道に設けられていたもので
女性はここから高野山側に入ることができませんでした。
ようするに昔の高野山は女人禁制だったわけですね。

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女人堂跡の広いスペースを見ていると
なんとなく往時の雰囲気が伝わってきます。

ここからしばらくは尾根道の快適路です。

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紅葉の季節なのですが街道沿いの木は杉の木ばかり。
でも熊野古道らしい景色ではあります。

薄(すすき)峠は良い感じの切通しでした。

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ただ、いつも頼りにしている地理院地図を見てみると
実際とは少し違う道筋で描かれています。

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手前で分岐してる脇道は峠の先で合流するので
地図に薄峠と書いてある場所は一体なんなのか悩ましいところです。

小辺路を含む山岳地帯は
明治以降になっても車道の整備がままならなかったといいます。
ただ、人道レベルにおいての改良はよく行われていた関係で
たびたび小規模な改良を見かけることがあります。

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薄峠を下っていくと地蔵型の道標がありました。

地図に載っていない下山道があったので
元々は三叉路になっていたのでしょう。

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対岸に荷物用の現役の策道が見えました。

こういう索道があるということは
それだけ不便な場所であるという証拠ですね。

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下りきった場所に集落の跡がありましたが
熊野古道沿いは廃村となってる場所が多々見受けられます。

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御殿川を渡って大滝集落へ。

集落へと続く急坂は「馬殺し」と言われたほどのもので
名前の通りハードなものでした。

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大滝は旅人が一休みする場所だったようで
かつては賑わい今も数軒の家が立ち並んでいます。

家の前には11月なのに紫陽花がまだ咲いています。
この季節になっても咲いてるものは稀にありますが
ここまで綺麗なのは高地であるがゆえなのでしょう。

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高野龍神スカイラインが見えてきました。
ここからしばらくは車道を歩いていきます。
昔の道は残念ながら吸収されてしまっています。

所々で見かける小辺路の看板。
こういうのは嬉しいですね。

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なかなかの眺望です。

やがて地蔵型道標を左に見て旧道復帰へ。
「右 くまのみち、左 こうやみち」

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水が峯集落跡。
ここも昭和20年代には廃村となっています。
井戸や石積みの跡が残っていました。

今回の歩きは集落の先で終わりとしました。

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posted by にゃおすけ at 15:07 | Comment(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする