2018年06月12日

【街道シンポジウム】戦国の香り漂う刀根道

街道シンポジウムの一環で歩いてきました。
刀根道は柳ケ瀬(滋賀県湖北)と疋田(敦賀)を結ぶ道です。

今回のルート精査は困難を極めました。
琵琶湖と日本海を結ぶ重要なルートの一つだけに
周辺の古絵図など資料が結構残されています。
ただ、そのどれもこれも描かれている道筋が違う・・・。
どれを信じて歩けばいいかというのがポイントでした。


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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北国街道柳ケ瀬。
宿場ではなく間の宿の役割があった集落です。
道の中央には今も昔ながらの水路が残っています。

宿の北方には彦根藩の柳瀬関所が置かれていました。
特に女改めが厳しく夜間の通行は一切禁止だったとのこと。

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刀根道は左へ。右は北国街道今庄方面。

右 えちぜん、かが、のと道、
左 つるが、三国ふねのりば

以前、ここには北国街道歩きで5年前に訪れています。
街道を歩いていると気になる道と出会うことが多いですが
道標とともに未舗装の道が伸びているシチュエーションは
いつか歩いてやろうと当時わくわくしたものです。

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道標を越えた先から峠道が始まります。

基本は尾根道になっているのですが
絵図によっては川筋を上るルートがあったり、
尾根道においても廃道になってる箇所が多いので
なかなか一筋縄にはいきません。

明治11年明治天皇の行幸に合わせる形で
峠道を大きく改修したと資料に残ってるので
複雑になっているのはこういう事情なのでしょう。

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例えば、この大きなヘアピンになった道筋。
江戸時代のものではなく馬車を想定した可能性が高いです。

かつて峠の下には旧北陸本線が通っていたのですが
開通当時は峠部分にある柳ケ瀬トンネルは未貫通だったので
トンネル前後に駅を設けて徒歩連絡になっていました。

わずかな期間ではあったものの、
一地方街道にも関わらず立派な峠道になっているのは
この影響も少なからずあったものと思われます。

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倉坂峠。
近江ではこの名前で呼ぶことが多いようです。
他に柳ヶ瀬峠、久々坂峠とも。

今回の道筋の名称においても
刀根越、久々坂、柳ケ瀬道などいくつか存在しています。

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峠は大きな切通しになっています。
右に上れば賤ケ岳の戦いでの柴田勝家本陣だった玄蕃尾城はすぐ。

このような峠は風の通りが良くていいですね。
まるで天然のクーラーのようでした。

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峠を過ぎれば福井県です。
こちら側も改修の影響が所々に伺えます。

この右手にある祠は古いものですが
かつては祠に沿って下る道筋が存在していたようです。
ただ、遠目で見る限りは痕跡らしいものは残ってなく、
豪雪地帯であるがゆえ地形が変わってしまったのでしょう。

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やがて北陸自動車道が見えてくると峠道は終わり、
完成した当時は日本最長だった柳ケ瀬トンネルが現れます。
車専用のトンネルになった今も現役とは素晴らしいですね。

ここから先の旧道は鉄道建設や北陸自動車道建設によって
消滅している箇所が多くなっていきます。

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特に鉄道は日本の鉄道黎明期に作られています。
これは日本海と太平洋側を結ぶ重要な路線だったからですが
江戸時代の物流ルートだった塩津港を経由しなかったのは
全般的に勾配が緩い上に峠ではトンネルを短く建設できることで
土木技術面、SLでの輸送面で耐えれる優秀なルートだったようです。

鉄道黎明期に作られたおかげで
明治以降に作られた古い地図を確認しても
そのほとんどに鉄道が描かれてしまっているのは
今回の旧道調査を難しくしている一因でもあります。

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その上で、昭和50年代の北陸自動車道の建設。
これも勾配が緩いということで決まったと思いますが
ただでさえ狭い谷間なので旧道への影響は大きいものでした。

そういう中で道自体は吸収され消滅してしまった場所でも
山肌には石仏などの痕跡が残ってたりするので嬉しいものです。

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刀根集落が見えてきました。
地名の由来の一説は豪族の庄内刀根が坂道を修復したことから。
女留ノ口番所が置かれていました。

集落内には明治天皇の聖跡があったり、
公民館前には刀根トンネルの要石まで保存されてあり必見です。

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ここから先は基本は川沿いに進んでいきます。

川沿いに進んでいるということは
災害の影響を受けやすいということでもあります。
江戸時代の古絵図のどれもが道筋が違ったりするのは
浸食によって削られたり、山腹が崩壊したりした影響から
時代によってのルート変更が多くあったからでしょう。

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小刀根トンネル。
煤が付いているのはSLが通っていた証ですね。
当時の姿のままの鉄道トンネルでは最古のものとなっています。

麻生口交差点付近から曽々木集落にかけては
北陸自動車道脇に残る旧道を進んでいきます。

こういう道はテンションがあがりますね。

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曽々木集落から先の国道8号は
かつての鉄道線路跡を大部分で転用しています。

転用前の旧国道8号は現道の脇に残ってるのですが
舗装は古いコンクリート製なので時代を感じます。

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赤線が旧国道8号、青線が旧街道、青破線が旧街道で消失

上の地図をご覧ください。
Googleマップ上には道があるのですが消滅しています。
旧国道8号と現国道8号の間のわずかな距離ですが
当時の舗装は国道ですら行き届いてなかった時代ですし、
脇道であった旧街道まで舗装されてないのは普通でした。

その結果、新国道開通によって誰も通らなくなってからは
自然に返るのも早かったのでしょうね。

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やがて疋田宿に入ります。
ここは大津〜敦賀の道筋である西近江路との合流点。

追分には明治6年の道標が立っています。

右 西京かい津志ほつ
左 東京きの本道 西方はれて千鳥みせたきねかひかな

ここでいう東京とは江戸のことで
西京は東京奠都にともなう東京に対する京都の俗称です。

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疋田宿は水路(運河)があります。
かつては倍の川幅があって船溜まりもあり
日本海の物資を積みかえて琵琶湖を経由して京に運ばれていました。

この運河と琵琶湖を取り巻く輸送については
プレゼンで発表しましたので次回にまとめてみます。


  
posted by にゃおすけ at 11:24 | Comment(0) | 街道シンポジウム | 更新情報をチェックする