2012年02月08日

西高野街道・堺市→河内長野

2011年の歩き納め!

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

大阪からの信仰の道として
伊勢や信貴山などは歩いてきてるのですが
高野山も忘れてはいけない重要な道。

その最も西側に位置するのが
堺からの「西高野街道」です。

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出発地は南海堺駅前。
途中までは以前歩いた竹内街道と
重複する区間を歩くことになります。

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堺は昔は今以上に重要な都市でした。

港もあり鉄砲の町でもありー
この街道を利用して数多くの人が
高野山へ向かっていたのでしょうね。

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市役所付近。
大小路は堺のメイン道路。

ベトナムの総領事館もあるあたり
今も重要な町であることを伺えます。

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追分には寛政年間の道標が。

実はここから先にも
寛政年間に設置された道標が
いくつも健在しているのがわかります。

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そのどれにも書かれてるのが
「高野山女人堂」の文字。

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女人堂といえば高野山の入口に建ち
女性が行ける最終地点でした。

なので、行き先の表示は
奥の院ではなく全員が行ける女人堂が
ゴールとして書かれているのでしょうねぇ。

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住宅街の中を進みます。

仁徳天皇陵古墳を横目に見て
南東の方角へー。

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この南東の方角というのが
実は難儀なところでして・・・

堺から早朝から歩く時
ずっと太陽に向かう形になるんですよね。

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晴れた日はめっちゃまぶしいので
サングラスがあった方が良いでしょう(^^;

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中百舌鳥あたりまで来ました。

この辺りまではずっと平坦な道。
しかも旧道ばかりなので気楽気楽♪

そして平成に設置された
真新しい道標群。
ここが街道であると実感でき
なんとも嬉しいものです。

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意外と「西高野街道」は
関西では有名な部類なほうみたいです。

堺市や大阪府のWebでは
ルートを公開してます。

実際、歩いていても
街道歩きとしては手ごろな20kmほど。
旧道が大部分で史跡も多し。
これから街道歩きを始める人には
ちょうど良い道でオススメできます。

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ただ、そのルート図は
昔に忠実とはいかないようです。

例えば、大阪府立大学正門付近。
道路の舗装も色が変わってるのですが
本来は右に少し折れてまた合流という形。
(ルートマップをご確認ください)

もっとも、普通に歩く程度なら
特に問題ない部類だと思うのですが
忠実に歩きたい人は注意が必要でしょうねぇ。

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そそ、堺市は町名の書き方が独特です。
「丁目」とは書かず「丁」で区切っています。

これは歴史的経緯があるようですね。
歴史ある堺ならではです。

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白鷺あたりを過ぎると
じょじょに緩い勾配が始まります。

道は相変わらず旧道。
しかも交通量は少なく
良い雰囲気が続いています。

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高野山への街道と最初に書きました。

ところが
道を行くうちに出会う道標を見ていると
いろんな脇道があるのを気づきます。

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天野山金剛寺への道
(高野山は女人禁制なので女性に人気があった)
滝谷不動尊への道
そして、他の高野街道との合流など。

さらには高野山の先に目を向けると
熊野古道を経由して熊野三山へ。

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そう考えるとかなりの重要な
信仰の道だったのがわかります。

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標高がかなり高くなってきました。
田園風景が広がり遠く堺市役所方面を遠望。

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おわり坂の辺りで若干のアップダウン。
進む方角にはこれから向かう
紀見峠が見えて良い感じです。

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高野側から来ると
最後の坂と言う意味もあるのでしょうか。
実に今も残る歴史ある面白い地名です。

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滝谷駅近く。
川のあたりの旧道ルート。

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本来の道は真っ直ぐで川を渡っていたようです。
右手の道は多分明治以降の車道。
(ルートマップをご確認ください)

たんたんと旧道を進み、
中高野街道と交わるとゴールも近く。

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市街地の中ばかり歩いてる感じでしたが
もう田舎の風情が出てきました。

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石仏が多いのもこの街道の特徴でしょう。
ゴール手前にはこんな立派な石仏も。

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やがてゴール。
東高野街道との追分にあたります。
京都から来る道なのでこれまた
いろんな人が利用したでしょうね。

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河内長野は一大ジャンクション。
ここから先は一つになって高野街道として
高野山へ目指すことになります。

  
posted by にゃおすけ at 20:47 | 大阪 ☁ | Comment(3) | TrackBack(0) | 高野山への街道 | 更新情報をチェックする

2012年02月03日

中国街道・高麗橋→西宮

いよいよ西への街道。始動です。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

今回は中国街道。
大阪から西宮を目指します。
そこから先は西国街道として
遠く下関まで続く街道になっています。

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大阪の江戸でいう”日本橋”な存在の”高麗橋”
ここがスタート地点。ビジネス街の中を進みます。

堺筋界隈は古い近代建築がいっぱい。
今の大阪の中心の道路といえば御堂筋ですが
昭和初期までは堺筋が中心だったということで
その反映の名残りを実に伺えますねぇ。

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難波橋のライオンの立派な彫刻。
この界隈は昭和初期の雰囲気が漂ってます。

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中之島を抜けると大阪駅の方角の北へ。
麗橋からこの先も狭い道が続きます。

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でも、空襲や都市開発などで
元のルートは少し違うかもしれません。
ビルばかり街道の面影はほとんどなし。。。

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大阪環状線をくぐります。
すぐそこが大阪駅であり梅田。

梅田は元々、「埋田」でした。
田んぼを埋めたところに出来た村。
埋では語呂が悪いので「梅」になったそうです。

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梅はどちらかというと華やかなイメージ。
街道筋は大人の夜の街な感じの通りになり
昼と夜とでは全く違う光景なんでしょうねぇ。

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華やかというと「茶屋」を思い浮かびます。
その先にある集落が「茶屋町」になります。

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若者で賑わう「茶屋町」の地名は
街道の茶屋がありました。今もその跡の石碑があり、
ここで多くの人が休憩していたのでしょうねぇ。

この界隈を抜けると一気に
雰囲気がガラッと変わっていきます。

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左の車道は後年掘り下げたと思われる。本来の地平は右。

古い道の雰囲気もだんだん増えて
ビル街から住宅街に。

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十三大橋で淀川を渡ります。
昭和6年製でリベットがとても美しい造形。

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橋の手前には明治期の道標に
高麗橋の文字が。距離は1里。4km。

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結構、時間かけて歩いたはずなんですが
4kmしか進んでいなかったなんて・・・(^^;
都会の中は信号待ちなど多いので
時間の感覚がずれてしまいますねぇ。

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こちらは阪急電車の淀川の鉄橋

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十三大橋は昔はトロリーバスが走ってました。
振り返ってみると梅田の高層ビル群。
古いものと新しいものの対比が面白いものです。

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十三の繁華街を抜けると
この先の神崎川まで旧道が残っていました。

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中国街道から別れた先のお寺への道標

古い神社もあり
旧道は車の通りも少なく
ここが大阪市内ということを
忘れてしまいそうな雰囲気です。

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神崎川を渡ります。

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対岸は神崎の集落です。
昔はここを渡し船で渡っていました。

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神崎は名前の通り「神の岬」
讃岐の金比羅山へ渡る船の発着や
遠く、西へ行く船もありました。

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金比羅山の文字を刻んだ
常夜灯が実に立派。

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神崎の本通り。
船から降りた人がここを通ったのでしょうね。

ちょっとした
宿場町といったところでしょうか。
本通りの先には行き先を示す道標も。

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中国街道の中国とは
どういう意味なのでしょうか。

もちろんChinaの中国ではなく
近畿から見た距離を表しています。

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ちょうど中ぐらいの遠さにあるところ。
そんな意味合いですね。
中部地方も同じような謂れでしょう。

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大物駅の手前に大きな古い道標。

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ここから先は海岸の方へ南へ向かいます。
そして大阪と神戸の大動脈の国道43号沿いへ。

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なぜこうも大きく
海岸へ向かったというと尼崎城の影響で
江戸期の城下町はむやみに旅人を
通って欲しくないということがありました。

防犯の意味でもあったそうですが
街道は大きく迂回がよく見られました。

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逆に戦国時代までの中国街道は
この辺り堂々と城下を通っているんですね。
いかに江戸期はピリピリしていたかわかります。

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貴船神社の先を北へ。
この辺りから阪神大震災の影響が
ところどころ出てきました。

ここの常夜灯などにも補修の跡が。

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古い道標。
今も町に残るワンポイント。

ここから先は旧の国道2号線を行きます。

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所々に旧道の名残の道がありますが
平凡な町中の道といった風情が
この先の西宮市の今津まで続きます。

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武庫川の渡し。
対岸の立派な松が素敵。

これを過ぎると兵庫県。
ガラッと雰囲気が変わりますー。

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高級住宅街の中を行く雰囲気に。
おしゃれな店もたくさん。

というのも、この辺りの甲子園は
西宮の古くからの住宅開発地のひとつ。
当時は洋式の住宅は珍しく値段が高かった時代。
おのずとお金持ちが住んでいったと言われてます。

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今津の手前で狭い道になります。
大きい木がある神社の横を通り
阪神電車の下をくぐるとゴールは目の前。

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震災の影響か古い建物がないですが
西国街道と合流点の西宮宿。

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さぁ、ここから
京都からの街道を歩いた上で
遠くは西の下関を目指します♪


   
posted by にゃおすけ at 21:09 | 大阪 ☀ | Comment(8) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする