2013年11月29日

京街道その1・高麗橋→枚方宿

京街道は大坂と京を結ぶメインルートでした。


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

雨の日の街道歩き。
最近は近場だと歩かないようにしてるのですが
翌週に迫った大阪マラソンに向けての
トレーニングの意味合いがありました。
それにしても今秋の週末は雨が多いですね(^^;

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大阪は高麗橋。
江戸でいう日本橋の位置づけです。

日曜ということもあって
ビジネス街はひっそり静かでした。

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大阪城の堀に架かる”京橋”
京へ通じる橋という意味で名前がついています。
まさに京都への玄関口。重要な橋の一つですね。

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京橋駅付近にあった大きな道標。

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なんと文政年間のもの。
かなり立派ですね。

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この辺りの古地図を見ると
川が埋められたりしていたりと
今と地形が一変しているのがわかります。

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野田橋はかつての名残の一つ。
埋められた「鯰江川」に架かっていました。
今も道筋に川の跡を感じることができます。

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京橋の商店街を過ぎ
大阪市街をたんたんと進んでいきます。
有名な千林商店街も25mほどですが中を通ります。

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雨の日のアーケードはありがたいですね。

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守口宿。
最初の宿場町です。

文禄堤という旧淀川の堤防の上に街道が通っていて
他の場所より一段高くなっているのが特徴です。

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タワーマンションと古い家との対比。
新旧の比較は面白いですね。

さて、京街道としての呼び名ですが
実は何種類もあったりするのでややこしいのです。

京街道は大坂→京へ向かう道という意味で
逆に京→大坂は同じ道でも大坂街道という呼び方をします。

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また別名で東海道とも呼ばれていました。
先ほどの守口宿や枚方では京街道と呼ぶよりも
東海道として観光案内がされてるように感じました。

それから
他の地方でも京街道と呼ばれる道がありますね。
そのいずれも京へ続く道という意味合いが多いようです。

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淀川の堤防上を進んでいきます

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堤防の道は
ひたすら歩いても目標物が近づいてこないので
退屈でもあり疲れる一方です。

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でも、ここがかつての街道だったんですよね。
今はスーパー堤防になっていますが
この下に道があったわけです。

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堤防の端をよく見ると
たまに痕跡らしきものを発見できます。

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この木なんて昔のままなのでしょう。

昔もこの辺りは堤防だったようですが
今より一段低いレベルだったようです。

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出口集落の付近で淀川の堤防から離れます。
まもなく枚方宿です。

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光善寺のお寺は立派ですね。
御坊と呼ばれています。

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枚方宿の道筋は
街道に沿って色が変わっています。
そして古い家も多く残り良い感じです。

昔はここから舟が出ていたようで
淀川を上り下りしていたようですね。

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今回はここまで。
次は京都は東寺(羅城門)を目指します。

  
posted by にゃおすけ at 18:52 | 大阪 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 大阪から京都への街道 | 更新情報をチェックする

2013年11月19日

高野山の素晴らしい紅葉と町石道

南海電車の極楽橋駅。
ここで多くの人はケーブルカーに乗り換えるのですが
不動坂という古くからの街道で登るのも楽しいものです。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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この不動坂は"町石道"ではなく高野街道の一部。
京や大坂からの人が多く使っていたようです。

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近年は江戸時代の道を再整備され「京・大坂道」と案内され
往時の雰囲気を楽しめるようになってます。

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台風18号のつめ跡。
この辺りも大きな被害があったようです。

かつてはここに大きな杉が何本かあったのですが
全てずり落ちてしまってました。

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高野山の入口は女人堂です。
昔はここまでしか女性が入れなかったとのこと。
標高も1000m近くもなり寒いぐらいです。

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燃えるような赤!
ちょうどこの日(11/10)は紅葉のピーク。
例年より少し遅めだったようでラッキーでした。

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さて、奥ノ院へ歩みを進めます。
歩く道筋に立ち並ぶ大きな寺の数々。

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どのモミジも綺麗に色づいていました。
そういえば高野山は開放的なお寺が多いですね。
入口付近なら拝観料も取ってないようですし
このあたり京都と大きく違うところです。

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奥ノ院へ続く参道。
両側には立派な杉の大木や墓の数々。
どれも凄みがあり圧倒されてしまいます。

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奥ノ院を参拝した跡は金剛峰寺へ。
そして根本大塔へ。

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根本大塔は昭和初期に建て替えたのだそうです。
とても色鮮やか。雨によって色が映えてました。

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これから向かう町石道には
約100mごとに町石と呼ばれる石が立っているのですが
この根本大塔に近づくにつれ書いてる数字が減っていきます。

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ようするに町石道の麓の起点である慈尊院が150町石。
根本大塔にほど近い大門が6町石といった具合です。
6町だとあと654mですね。

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大門を過ぎるといよいよ下山です。
鬱蒼と茂る森の中を進んでいきます。

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距離は長いのですが
町石がちょうど良い目印になってくれてるので
登山とは違った楽しみがあります。

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あと高野山への道ということから
弘法大師関係の名所が多いですね。

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この岩は弘法大師の母親が来たときに
雨宿りのために大きく持ち上げたのだそうです。

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途中には茶屋もありトイレも所々に設置され、
どれも奇麗だったので世界遺産登録前後に整備されたのでしょうか。

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ゴール近くの九度山は柿の名産地。
美味しそうな実がたわわになっていました。

紀ノ川も見え景色も抜群ですね。

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慈尊院。
かつての人はここでまずはお参りして
高野山へ向かったのだそうです。

境内には珍しい乳房型の絵馬があり驚きました。

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高野口駅。
今回のゴールです。

南海電車が出来る前は
ここが明治期の鉄道利用での玄関口。
今も駅前には古い旅館の跡があったり
かつての賑わいを彷彿とさせるものがありました。


  
posted by にゃおすけ at 23:02 | 大阪 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 高野山への街道 | 更新情報をチェックする

2013年11月14日

日光御成道その2・東川口駅→幸手宿

日光御成道の2日目。
東川口駅をスタートします。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

朝は5時45分。
いつになく早い出立です。
これも猛暑対策。昼は暑いですからねー(^^;

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本日、最初の宿場は大門宿。

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なにもないメインストリートと思い歩いてると
立派な本陣の門が目の前に現れました。
そしてその近くには脇本陣の門も。

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こうして見比べてみると
本陣のほうはどことなく立派な造りですね。

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それにしても静かな朝です。
日が長い時期だからこそできる早朝歩き。
昔は日が出る直前に出立していたといいます。

僕の街道歩きのマイルールは日の出から日没まで。
暗くなると写真を撮れませんからね(^^;

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そういえば、
鉄道全線乗りつぶし時もマイルールを作ってました。
日没にて終了って感じで暗くなった区間はやり直し。
やっぱ、景色は大事です。

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さて、まもなく岩槻宿です。
宿場の手前の旧道は大きく折れ曲がっています。

おそらく枡形のような役目だったのでしょうが
ちょっと規模が大きすぎます。

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江戸を発った将軍は岩槻城で一泊しました。

この岩槻城。
荒川がそばに流れている関係で
忍城のような水城のような感じだったのだそうです。

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昔の古地図を見るとそれは一目瞭然。
守りが堅いという点で将軍が泊まる宿としては
最適だったのでしょうねぇ。

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岩槻は近年は藩校の建物が復原されたり
郷土資料館もあったりでなかなか面白い町です。
この日はちょうど「岩槻まつり」が開催されてました。

町中にある七夕祭りのような飾り。
夜には花火も打ちあげられたみたいです。

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岩槻といえば、人形の町としても有名ですよね。
鴻巣で体を作って岩槻で頭を作るという
昔ながらの製法で作るお店が今もあるそうです。

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この日のルートは8割がた道なりの一直線。
街道歩きの中では珍しいほうです。

こういった単調な道は楽なのですが
探索の要素が少ないので少し寂しくもあります。

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今回のルートで唯一の草道がこちら。
100mほどですがやっぱ興奮しますね。

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日光への道としてまず頭に浮かぶのは
杉並木ではないでしょうか。

御成道の区間でも少なからず残っていました。
若干枯れ気味なのは気にかかるところですが
炎天下の中の影はありがたいものです。

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東武動物公園近くの一里塚。
対になって残ってる立派なものです。

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木陰で一服。
昔の人と同じような気持ちで休めるって
街道歩きの醍醐味であり贅沢でもありますね。

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東武線を越えた先にあった浅間神社。
かつては線路の中にあったのだそうです。
その線路上には10両編成の急行が走っていました。

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ここが日光街道との追分。
なんの変哲もないT字路といった風情です。

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でもよく見ると
手前には文政年間の道標があったり
すぐ横には鎌倉街道があり石仏が並んでたりと
なかなか味のある追分でした。

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まもなく幸手宿。
今回は明治天皇の行在所でゴールとしました。

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posted by にゃおすけ at 19:55 | 大阪 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日光への街道 | 更新情報をチェックする