2015年05月27日

八尾の廃街道「おと越え」

大阪の生駒山地には街道が何本も通ってますが
今回は八尾市にある廃街道「おと越え」の紹介です。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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八尾の中心部に茅葺の家が残る。桃林堂前。

かつての八尾は寺内町として賑わっていました。
近くには久宝寺の寺内町もあり人口は多かったようです。

その八尾から東へと延びる道が「立石越街道」です。

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今も昔ながらの細い道が残ります。
旧道風情はありますが車が多く歩くのは一苦労です。

近鉄服部川駅付近で「おと越え」道と分岐します。
中高安小学校前には道標があります。

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左 おうと越
右 信貴山

おと越えの名前はいくつかの呼び名が存在します。

古くは「大道越」「おうとうごえ」と呼ばれていたのですが
いつしか「おうとごへ」「おと」となっていったようです。

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先ほどの道標の先にも
いくつか見かけることができます。
どれも古いもので立派で特長的なものです。

これら道標群があるということはを
おと越えは人気ルートだったことがわかります。

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砂防ダムにより一部消滅してしまっている

山道へと入っていきます。

生駒山地の傾斜は基本的に大阪側がとてつもなく急です。
対して奈良側は緩やかで登りやすくなっています。

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倒木と藪の影響でなかなか前に進みません。

現在の「おと越え」は道が崩落している影響があるので
時おり沢の中を迂回していかねばなりません。

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かつてはこのような感じで
渓流沿いに道があったものと思います。

崩落やダム工事があってからは、
訪ねる人が少なくなって藪が生い茂り
どんどん自然に返っていっています。

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ハイキング道の看板。
そして山林火災防止の看板もありました。

渓流沿いということもあって
近年においても人気のあるハイキングコースだったようです。
隣の「十三越え」や「立石越え」に引けを取りません。

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生駒スカイラインと交差して縦走路と合流します。

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久しぶりに見る人工的なものにホッ。
ベンチに座って見る眺めは良いものがありました。

さらに藪漕ぎが続きます。

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やがて十三越街道と合流。

ここには立派な道標が立っています。

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右 大坂
左 ひらの住吉

この左の道が今の来た「おと越え」にあたります。
八尾を経由して平野、住吉神社への近道です。

一方、十三越街道である右からの道は
八尾市の北方を通り布施を経由し暗越奈良街道と合流し、
玉造を通って大坂中心部へと通じています。

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十三峠からの展望は素晴らしい

奈良から大坂への道といえば
前述の暗越奈良街道と竜田越奈良街道が有名です。

対して今回の街道は一地方街道です。
休憩施設や道幅などそれほど充実してなかったようですし、
平群あたりの村から八尾、大坂への利用を中心とした
地元の人の利用が多かったのではと思います。

逆方向の八尾から奈良へ抜ける場合は、
伊勢に行く人にとっても最短距離にあたります。
そのことから一地方街道といえども八尾の人々にとって
お伊勢参りをする上で重要な道だったのかもしれませんね。

注・
ヤマレコの記録では逆方向に歩いていますが、
大阪側からの記録のほうがわかりやすいと思い編集しています。


 
posted by にゃおすけ at 11:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 大阪から奈良への街道 | 更新情報をチェックする

2015年05月19日

24時間100キロウォーク。完歩への道。

毎年恒例の明石大橋→嵐山の100kmウォーク。
今回はディフェンディングチャンピオンとしての参戦でした。

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スタート直前の様子


↑今回の詳しい記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

当ブログでは100kmウォークの装備や対策など書いてきましたが
参加するたびにベストなものがコロコロと変わってきているので
今回は最新版としてどうすれば完歩できるかをテーマに書いていきます。

1.トレーニング

脚力を鍛えるには散歩やハイキング、マラソンなど方法がありますが
何が肝心かは距離の感覚を磨くこと=慣れだと思います。

普段の歩きで10キロで足が痛いようならば慣れはまだまだで、
25キロ歩いて少し疲れたな程度だと良い感じで慣れてきていると思います。

私のトレーニング法は街道歩きです。
朝から夕方まで約30km以上の道のりを月に3、4回歩いています。
ただ歩くだけでなく歴史や風情を感じながら歩けるので楽しいものです。

→街道風情を楽しむ会
https://plus.google.com/communities/101990567192615536572

街道歩きでは写真撮影や名所も寄ることから
これまで1日の距離は35km程度で抑えていたのですが
ここ最近は40km以上歩くことが多くなってきました。
比較すると僅か5km、時間にして1時間程度です。

しかしながら少し多めに歩くようになってからは
疲れを感じ始める時間がどんどん遅くなってきてる気がします。
今回の大会では50km地点でようやく少し疲れたな程度でした。

このことから事前に長距離の練習を重ねておくと効果的です。
ただし無理は禁物です。故障だけは避けねばなりません。

完歩に向けた『おすすめ』スケジュール

本番4か月前 20km程度の歩きを月に2回程度
本番3か月前 30km程度の歩きを月に2回程度
本番2か月前 30km、40km歩きを各1回程度
本番1か月前 30km、50km歩きを各1回程度
本番1週間前 近所の散歩を10km程度を数回


これだけ歩いておけば自信を持って挑めるでしょう。

でも、こんなに歩く時間を取れないよっ!って人は
10kmを1週間に2、3回でもいいと思います。
要は距離に対する慣れが肝心だということです。

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国道の横を歩いていきます

2、装備

基本的には日頃使い慣れているシューズやリュックでいいと思いますが
体にフィットしたものでないと100キロの距離だと何かと大変です。

たとえば、リュックですがコンパクトなものがベストです。
要らぬ装備は削って必要最小限のものを詰め込みます。

私はトレラン用のリュックを使っていますが
走ってもブレない造りになっているのでフィット性が抜群です。
背中に密着しているおかげで背負ってる感覚がないぐらいです。

これはリュックの重心が背中上部にあるということもあるのですが
上部にあることによって腰への負担軽減も利点の一つでしょう。

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今回のスタイル(左)体にしっかりフィットしています

もし、一般的なリュックを背負っていたとするならば
体との間に隙間があったりして密着してなかったりするので
歩くたびにリュックが揺れる感覚を感じることがあると思います。
この揺れが100キロの距離になると結構こたえるんですよね。

大は小を兼ねるという言葉がありますが、
100キロウォークに関しては小がベストだと思います。

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シューズはどれにするか悩むところですが
通気性の良いものを選ぶとマメの発生を遅らせる点でベストです。
中にはツッカケで歩く人もいますがこれは極端な例で
蒸れをなくす意味では究極のスタイルなのかもしれません。

私はシューズもトレラン用のものを使用しています。
軽くて丈夫で通気性があって防水性もあるので良いとこどりです。

このように100キロウォークともなると一般的なウォーキングの装備よりも
ラン系の装備のほうが軽くて丈夫さがあるのでオススメしたいところです。

他の装備に関しては以前書いた記事を参照してみてください。

→ 24時間以内100kmウォーク。対策と装備。
http://borabora.seesaa.net/article/361064430.html

補足としまして、
今回の大会で五本指ソックスを初使用しましたが物凄く楽ちんでした。
少々値が張りますがスポーツ用品店で売られているものの中には
テーピング効果があるものがあるのでオススメです。

あと、エアサロンパスやマメ防止ムースですが今回使用していません。
エアサロンパスは荷物になる割には気休め程度しかならないですし、
マメ防止のムースは足裏に塗ることで摩擦を少なくさせるのがウリですが
塗ることによって逆に蒸れるスピードが早くなっていた気がします。
30キロ程度のウォークでは効果的かもしれませんが
足を酷使する100キロウォークでは逆効果かもしれません。

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武庫川の向こう側!

3、開催5日〜前日

さぁ、本番直前です。
1の項目のトレーニングで少し書きましたが
本番前は10キロ程度の散歩に留めていたほうが良いと思います。

これは足に疲れを残さないことは元より、
マメが出来てしまっては本番に響くことがあります。
かといって、全く歩かないとなると足がなまってしまうので
10キロを3回ほどしておけば良いウォーミングアップになります。

もう1つ、肝心なことは
睡眠をしっかりとっておくということです。
本番では時間制限があるので夜通し歩かねばなりません。

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深夜の大休憩では横になって寝ている人も

眠くなると歩行スピードが落ちてきますし、
aa打破などの栄養ドリンクを使っても効果がない時があります。
なので、本番5日前からはしっかり睡眠を取るようにしておきましょう。

4、本番

ここまでトレーニングを続けてたら自信満々で挑めますが
あまりトレーニングが出来なかった人も不安になることはありません。

何度も参加する人が中にはいますが
半数以上の人は初100キロウォークだと思います。
しかも完歩できる人は大会によっては半分ほどです。

少なくともこのブログを読まれている方は
熱心に研究されてる方だと思いますので自信をもっていいと思います。

以下に、必勝法を3点書いておきます。

◎先頭集団には入らないこと

今回の大会のような途中で点呼がある場合は
たとえ1位を狙っていたとしても先頭集団にいる必要はありません。

先頭集団は猛者の集まりであることが多くハイペースになりがちです。
早く進めば休憩地点で休憩を長くとれるメリットがありますが、
ハイペースで飛ばしていると後で無理が出てきます。
たとえば、足裏が熱くなることでマメが出来やすくなりますし、
精神的にも先頭は殺伐としてて結構ツライものがあります。

私はいつも3〜4番手。気楽に追走していきます。
今回は2位入線でしたが前回1位の時もそんな感じでした。
ゴール手前20kmからは本気を出します。

もっとも、完歩のみを目指すならば
中団の位置で歩いていくとおのずと結果が付いてきます。
しかしながら、100キロともなると故障はつきものです。
マメなどが出来て歩くスピードが遅くなり後方集団になってしまうと
時間オーバーによる足切りになってしまう可能性が出てきます。

そのためにも中団はなんとか維持したいもので
万が一、マメが出来てしまった時の対策は以下になります。

◎マメはひたすら我慢

マメが出来ると本来の歩きが出来なくなってきます。
いかに発生を遅らせるかが一番のポイントです。

・通気性の良いシューズを履く
・休憩時は靴を脱ぐ
・休憩時は乾いた靴下と履き替え(2回に1回程度)
・五本指ソックスで指と指の隙間のマメを防止
・無理にハイペースで歩かない


この5点さえ守っていればだいぶ違ってくるでしょう。

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ゴールに向かって

万が一、マメが出来てしまったら私の場合はひたすら無視してます。
筋肉の痛みならまだしもマメの痛みは我慢すれば良いもので
皮が完全にぺローンとめくれてしまうと難儀ですが
水ぶくれ程度ならば気にしなくていいと思います。

以前は水ぶくれになると
針で突き刺して水を抜いて絆創膏を貼っていたのですが
歩いているうちに抜いたはずの水がまた湧いてきて
にっちもさっちもいかなかったことがあります。
このことから本番では針で突き刺すことはしなくなりました。
絆創膏は歩いているうちに取れてしまうことも多いですし。

皮が完全にベローンとなった場合は
テーピングという処置があるのですけども、
私自身そこまでマメが酷くなった経験がありません。
テーピングの件は他のサイトでご確認くだされば幸いです。

◎道中は話しながら

話ながら歩くと痛みを忘れることができますし、
深夜帯ならば眠気を防いでくれることができます。

想像してみてください。
1人だけで100キロを歩くのと、大勢で100キロを歩くのと。
もくもくと24時間歩くというのは精神的に結構きます。
時間がなかなか経ってくれない感覚もあります。

100キロ大会ともなると各地から猛者が集まりますし
いろんな話を聞ける良い機会です。

大抵は気さくに話をしてくれますので
思い切ってこちらから話かけてみてはいかがでしょう。

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ゴールの嵐山渡月橋

5、番外編・上位に食い込むには

初完歩を目指すならば上位は目指さないことです。

体力的に自信がある人であるほど、
無理してついていってオーバーペースがたたって、
完歩すら出来なかった人を大勢目にしています。

初めての大会ではあくまで控え目に。
上位を狙うのは一度雰囲気を知ってからでも遅くはありません。

以下はゴール直前のトップ集団の様子を書いたものです。
軽いジョギング並みのスピードで歩いているのがわかります。
ヤマレコに書いた感想と同様ですが転載しておきます。

なお、当日はTwitterで様子をつぶやいていたのですが
読みやすいよう以下にまとめて下さってる方がいるので
こちらも雰囲気を知るには参考になるかと思います。

→でこちゃ・メンチ先輩・にゃおすけの24時間100kmウォーク 2015
http://togetter.com/li/818868

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早朝の山崎駅(最終点呼地点)までは
いつもと同じ展開で先頭から3番手、4番手集団で追走しつつ、
マークすべき相手を見極めながらの歩きでした。
ペースはキロ11分~12分なのでそれほど速くはありません。

山崎からは淀’(最終休憩地点)からの自由歩行に備えるために
1番手集団に入ってペースもキロ10分まであげていきます。
そして淀からはスタート合図があれば真っ先に飛び出します。

桂川の堤防に出ると信号は1ヶ所しかありません。
残り20kmの距離を牽制しつつ進んでいくわけですが、
1人スパートをかけると一気に展開が動いていきます。
まるで、それは競馬のスタミナ勝負かのようです。
20mも引き離されると歩きでは取りつくのは困難なので
離されては詰め、離されては詰めの繰り返しでした。

この時のぺースはキロ7分〜8分。
もはや軽いジョギング並みのものです。
このペースをゴールまで維持していくのが肝心で、
80kmの地点でこんなペースで歩けるのかと思われますが
上位に食い込むにはこれぐらいの歩行力がないと厳しいです。

あと、ペースアップ出来るのは
山崎まで体力を温存していたことも大きいです。
ゆっくり歩くことで精神的にすごい楽ですし、
足裏の状態も悪化せず蒸れずに歩くことができます。
これによって大敵であるマメの発生を遅らせることもできます。

残り15kmになると
去年の1位、2位、3位の争いになっていました。

この人達は知り合いでもあるので
わきあいあいとした感じで話ながら進んでいたのですが
心の中ではいつスパートをかけようか思っていたはずです。

結局、今回の1位の人がスパートをかけると
どんどん離されていきます。その距離20m以上。
もはや追いつくには走るしかありませんでした。

次回への対策としては
勝負所でスマホをいじらない。そして集中ですね。
また来年も上位をめざしたいと思います。

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以上です。
では、Enjoy!100キロウォーク!


  
posted by にゃおすけ at 09:13 | Comment(2) | TrackBack(0) | 100キロウォーク | 更新情報をチェックする

2015年05月13日

美濃路その3・須賀駅→垂井宿

東海道と中山道を結ぶ美濃路。
ラストは見どころ多い道中となりました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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須賀駅周辺の足近集落は間の宿でした。
雰囲気ある家並みが広がります。

本陣は加藤家が担当していたようで
立派な門と広大な敷地に面影がありました。

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上の写真の橋は「及が橋」といいます。
江戸期以前は少し上流の鎌倉街道の橋だったのですが
美濃路が整備されると上流から流れてきたといいます。

ほんとかどうかは謎ですが
こういう昔話は想像が膨らみますね。

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集落を過ぎると街道は一部消滅しています。

いわゆる土地区画整理事業というもので
街道の痕跡を見つけるのは困難な状態です。

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そんな中、阿遅加神社の看板がありました。
看板から少し入った場所に灯篭があるのですが
この灯篭の手前を街道が通っていたと思われます。

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その証拠にこの古地図を見ると一目瞭然ですね。

このように神社や寺など重要な施設の敷地は
土地区画整備事業程度では移動せずに
昔のままというのが多い気がします。

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境川の堤防上を進んでいきます。
もう一週早ければ見頃だったであろう桜並木が続きます。

境川は元は「小熊川」とも呼ばれて
さらに古い時代は「尾張川」と呼ばれていました。
この川は美濃と尾張の国境になるほどの大河だったのですが、
後に川の流れが変わり国境は木曽川へと移っていきます。

おそらく、境川の境とは
かつての国境の意味なのかもしれませんね。

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雪が残る伊吹山が遠くに見えてきました。
西に進むにつれどんどん近づいていきます。

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境川を渡ります。
当時の川幅もそれほど広くなく舟で渡っていたそうです。
ただし大名や使節が通る際は舟橋が架けられたといいます。

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境川と平行する細い川には土橋が架けられていました。
現在の橋より少し下流側に架かっていたそうで、
土橋から続いていたと思われる旧道の痕跡が残っていました。

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旧道の痕跡

今回の道中では
このような古地図付きの案内板が多くて助かりました。
案内看板はあるだけでもうれしいものなのですが
古地図があると今と過去の比較が出来るので有難いですね。

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長良川を渡ります。
墨俣の渡しと呼ばれた渡し場は橋の少し上流にあったそうです。

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周辺は河川敷になっていて何もないですが
なんとなく渡し場だった面影を感じることができます。

対岸の集落は一夜城で有名な墨俣宿です。

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長良川と宿場入口との間には水路がありますが
水路は後年のもので墨俣側の渡し場は堤防付近にあったようです。

水路を作ったことで墨俣宿の一部集落が失われてしまいますが
それでも新しい常夜灯から先の町並みは良いものが残っていました。

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ただし、古く見えるものでも明治以降の建物。
美濃路沿いの各集落は濃尾地震の被害が大きかったので
江戸時代のものはほとんど残っていないのは寂しいところです。

元脇本陣の建物も明治期のものですが
立て直す際は昔の建物に似せて作ったといいます。

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家々の軒先には墨俣宿の行灯が置かれています。
夜は夜で風情ある光景があるでしょうね。

ここは桜の名所でもあるので
多くの花見客の姿を見ることができました。

犀川の旧堤防上を進んでいきます。

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なぜ堤防上を通っているのか。
治水の歴史を調べると面白いものが発見できそうです。

おそらく長良川と揖斐川の挟まれた土地であることから
洪水の度に地盤が脆くなっていたと想像できるのですが
物流ルートとして地盤の安定が求められる街道は
堤防上に築かれたということなのでしょう。

一段高い場所からの眺めは良いものですね。
堤防道は揖斐川を渡る手前まで続きます。

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揖斐川手前の集落は「町屋」
古い時代から船などの待合の場所とされていて
待合から町屋という名前に変わっていったそうです。

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町屋集落の西半分は明治の河川改修によって
揖斐川の河川敷に消滅しています。

そこに立っていた町屋の氏神様「結神社」も
今の位置への移転を余儀なくされています。

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現在の結神社

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揖斐川大橋を渡ると大垣です。

かつて揖斐川は佐渡川という名前で、
渡しの名も「佐渡の渡し」と呼ばれてました。

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大垣側の渡し場跡には立派な常夜灯が残っていました。

将軍や使節通行時は舟橋が架けられたそうで、
川幅から想像するにかなりの規模だったことがわかります。

大垣市内に入ると旧街道は城下ということもあって
枡形などの屈曲した箇所が多くなっていくのですが、
現在は大部分が改良され面影が少なくなってきています。

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大垣城下の中心部に入ります。

戦災の影響で古い建物はあまり残っていませんが
街道筋の舗装は色が変えられ案内板も多く、
大垣市の美濃路に対する力の入れようが感じれました。

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大垣東総門(名古屋口)付近の本来の道筋は
大垣市のガイドマップの道筋より一つ手前で左折しています。

左折後は川の手前ですぐに右折するのですが
そこに架かっていた古い橋が今も残ってるの確認出来ます。

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古い橋の跡

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人通りが少なく静かな通りです。
問屋場跡を過ぎると本陣跡が目の前に現れます。

この立派な建物は無料で見学することができます。
係員も常駐していて嬉しいものです。

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大垣といえば水の都とも呼ばれていて
中山道赤坂宿や伊勢湾への航路の港でもありました。

船町とよばれる港周辺には
立派な常夜灯や道標などが残り、
なんともいえない萌えな光景が広がります。

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また、ここは松尾芭蕉の奥の細道の終点でもあって
この日も多くの観光客で賑わっていました。

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こちらは航路の常夜灯です。

明治のものですが代々同じ形で作ってきたそうです。
このタイプはこの先の杭瀬川公園でも見ることが出来ます。

この船町のあたりが城下に西の端。
大垣城西惣門(京口)にあたります。

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城下を離れ西へ。

片側だけ残った立派な一里塚がありました。
久徳の一里塚で檜が植わっていてほぼ原形に近いものです。

この先、旧道が失われたり復活したりと繰り返して進みます。

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遠くに見えていた伊吹山がどんどん近くなってきました。
春は残雪があってなかなかの風情があります。
関ヶ原の谷間の地形といい絶景です。

松並木が出てきました。

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かなりの距離に渡って続いています。
なんとも嬉しい癒しの空間です。

やがて中山道との追分。
立派な追分道標がありました。

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右手から中山道が合流します



  
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(1) | TrackBack(0) | その他の街道 | 更新情報をチェックする