2015年08月26日

善光寺西街道その1・ 洗馬宿→岡田宿

中山道の洗馬宿。
善光寺への巡礼者はここで分かれます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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9月の3連休。ヒンヤリした朝です。

道標が立っています。
「右 中山道、左 北国脇往還善光寺道」

この場所は追分ではあるのですが
昭和初期に新道が開通してから移ったもので、
江戸時代の追分はもう少し先になります。

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こちらが元々の追分。
立派な常夜灯が今も堂々と立っています。

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本来なら常夜灯も移設すべき存在なわけですが
道標と比べると重すぎたということなのでしょう。

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晴れ渡った青空。
奈良井川の河岸段丘上を進んでいきます。

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さて、今回の善光寺西街道ですが
正式には北国西脇往還と名前がついています。

「北国」の「脇」とついてるので
日本海へと通じる北国街道の脇道なわけですが
ただ単なる脇道ではなく善光寺参りの人々以外にも
中山道からの日本海への道といった重要な役割もありました。

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塩尻はぶどうの産地。ワインが有名ですね。
道中を歩いていると甘い香りに誘われます。
「ナイヤガラ」という種類が特産です。

この品種は昔ながらの方法で栽培してるので
種は多めで皮が薄いのが特長です。

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家への土産にひと箱買ったのですが
「途中で食べな!」と2房も手に持たせてくれました。

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穂高連峰がチラッと見えてきました。
街道はほぼ一本道。気楽に歩けます。

最初の宿場は郷原宿です。

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雀おどしのある立派な家々が連なっています。

現在の町並みは安政年間の大火後のものですが
これほどまでの連なってる姿はそうそうありません。

「宿場全体が誠に見事な一個の作品だ」
と絶賛した人がいたほどです。

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家々の前には立派な庭木が植えられ
道路と民家の間には小さな石橋がそれぞれに架かり
他の宿場にはない独特な景観があります。

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「左、東京 すわ いな道 右、京 いせ きそ道」

”江戸”表記でなく”東京”表記に注目です。

明治になると石の道標に代わるもの(看板類)が増えて、
道標自体が少なくなっていく傾向になるので
”東京”表記はちょっと貴重ですね。

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村井宿。
こちらも大火に見舞われています。しかも2度。

その影響か古い風情はあまり残っていないですが、
町割や鍵の手、用水路に面影を感じることができます。

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本陣跡にある立派な門。
元禄年間では82軒ほどの家々がありました。

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宿場の外れで国道19号と合流します。

この辺りはいつも混んでる印象があります。
幹線なのに片側一車線。

松本市街地の交通事情は
昔とあまり変わってないかもしれません。

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これから秋祭りの季節です。

街道沿いの家々の軒先には
下のような白い紙が垂らしてありました。

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道端には道祖神などの石仏。
松本平ではよく見かける光景ですね。

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南松本付近。通称ナンマツ。
ここには市の文化財になっている中田家住宅が建っています。

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外観も結構なものですが庭園も大そうなものらしく、
今回は見れなかったのですが事前電話予約で見学できるみたいです。

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「國道十九號線」

今に残る昔の字体はいいですね。
この橋を渡ると松本市街地中心部に入ります。

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町中ではこのような
旧町名のいわれを書いた案内をよく見かけます。

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この立派な緑橋の石材は
元は松本城の大手門のものだそうです。

本陣跡付近は開発されて面影が残っていませんが
角を曲がると蔵のある町並みがありました。

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レトロな建物がいっぱい。

松本市街地は湧水が多いのも特徴的です。
町のあちこちには水飲み場が設置されています。

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女鳥羽川からの眺め。奥には北アルプスが見える。

街道は他の城下町と同じく
城の近くを避けるような道筋になっています。

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松本の市街地を過ぎると上り坂が始まります。
信大の横を通って旧道を進みます。

振り返ると松本平がよく見えてきました。

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宿場の入口にある大きなケヤキ。岡田神社への参道です。

次の宿場町は峠を前にした岡田宿です。

元々松本の次の宿場は刈谷原宿だったのですが
距離が長い上に峠の先ということもあって
後年になって追加設置されています。

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岡田宿が設置される前は
ほど近い場所にある浅間温泉に泊まるのが定番でした。
設置後もその状況は一行に変わらなかったので
岡田宿に泊まる客はあまり多くなかったといいます。

だったらなぜ設置したの?なのですが
宿場機能というのは宿泊させる機能だけはないので
他の宿場同様にそれなりには繁盛はしていたようです。

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宿場内の道幅は広くて特長的です。
これは真ん中に水路があった影響です。

次回は大きな峠を2つ越え麻績宿を目指します。


 
 
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | その他の街道 | 更新情報をチェックする

2015年08月05日

孝子越街道・泉佐野→和歌山城

もう1つの紀州街道。
南海電車沿いに和歌山城へと進んでいきます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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スタート地点は紀州街道との追分。
立派な道標が立っています。

「左 紀州わか山」「右 大川あはしま」

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大阪と和歌山との県境には
いくつも峠が存在しているのですが
大きく分けて紀州街道(熊野街道)の雄ノ山峠と
今回の孝子峠が一般的に使われていたようです。

参勤交代にも使われた雄ノ山峠は
最短距離で結ぶのですが山間部は険しいのが難点で
対して孝子峠は距離は長いものの比較的楽なのが利点でした。

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9月はだんじり祭りの準備で大忙し

先ほどの道標に
「大川あはしま」と書かれていますが

「大川」は大川寺のことを指して
「あはしま」は加太の淡嶋神社のことを指しています。

また加太は淡路島、四国への港でもあったので
孝子越街道は単に紀州への目的の人だけでなく
これら参詣や渡航目的の人も多く往来していたようです。

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泉佐野の街道沿いにあった
古さを感じさせる天幕式のアーケード。
まだ早朝だからかひっそりした商店街でした。

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りんくうの高層ビルとは対称的な
レトロな雰囲気が広がっています。

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田尻町に入ると海が見えてきました。

孝子越街道はルート的には海沿いを進むのですが
意外と海を眺める区間がないので実は貴重な光景です。

その代わり少し山側に入った場所を通るので
アップダウンが多いのが特長的です。

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海沿いを進めば楽なはずなのですが
もしかすると他の街道の例にもあるように
海の災害を避けてのルート選定だったのかもしれません。

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今回の孝子越街道、紀州街道を含めて
大阪湾沿いを進む街道の歴史をひもいていくと
意外と歴史が浅いことがわかります。

江戸時代以前は内陸の熊野街道がメインでした。
一方、海沿いは住吉大社までは古くから往来があったものの
それより南は集落を結ぶだけの道といった感じだったようです。

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歴史が浅い理由はずばり海。
舟との競争があったからと言われています。

時が変わって江戸時代に入ると
参勤交代制度が始まり紀州街道が整備されていきます。
孝子越街道の原型も同じ頃に形成されたのではと思います。

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尾崎には立派な道標がありました。

「左、紀州 いせきごえ」「すぐ、大川 かだ」

天保年間に作られたもので、
左は井関越道を経由して紀州へと通じています。

対して下の孝子越街道の石碑は明治のもの。
孝子越街道の名称は明治に付けられています。

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尾崎港。
海沿いの集落といった雰囲気です。

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秋も9月の下旬になって
彼岸花をあちこちで見かけることが出来ました。

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国道26号に合流するあたりでは
大阪湾を丘陵から眺めれるようになります。

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この付近からみさき公園の駅付近までは
旧道と国道が交差を何度も繰り返していきます。

みさき公園駅を過ぎて深日の町へ。
ここは古くからの港町でした。

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町の中心部には千歳橋が架かっていて
橋を渡った場所で大川峠道と分かれています。

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左が孝子越え、右が大川峠越え

この付近は地図で見てみると
現代の国道より海側に大きく迂回してるのがわかります。

今の感覚からすれば迂回しなくても。となるのですが
当時の橋は千歳橋しか架かってなかったことに加え、
大川寺、加太方面に行く人が多かったことを考えると
ごくごく自然な道筋だったように思えてきます。

橋の先には時代を感じさせる
古いコンクリート舗装が残っていました。

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さぁ、孝子峠に向かいましょう。

峠の手前には孝子の集落があります。
下孝子、中孝子、上孝子と3つに分かれています。

孝子越えの峠は中孝子から分かれていて
上孝子には有名な孝子観音というお寺があります。

ここで峠についての疑問点が。

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江戸中期の古地図を見てみると
どこを探しても孝子峠が載っていないのです。
あるのは上孝子にある平井峠ばかり。

もしかすると孝子地域にある峠として
平井峠が孝子峠と呼ばれていたのかもしれませんが
いくら調べても裏付ける資料がありません。

少なくとも孝子観音にお参りした人は
平井峠を経由して紀州入りしていたとは思います。

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現代の孝子峠。

道路が開通したおりに
大きく掘り下げられてしまったようです。

この付近には歩道がなく
峠自体は楽なのですが車には神経を使いました。

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和歌山県側に入ります。

和歌山大学前駅付近は
近年の大規模開発によって地形が大きく変わりました。
そんな中でもかつての旧道が一部残っています。

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この草道。なかなかのものでしょう。

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ちなみに右側に見える大きな池は
元々はもう少し上の場所にあったそうですが
南海電車を建設する際に今の位置になったようです。

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梅原の交差点。
ここを左斜め方向へと曲がっていきます。
右側からは加太方面からの淡路街道と合流します。

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この辺りになると住宅街といった風情です。

和歌山市内の孝子越街道の道筋は
いろいろと説があって大いに悩まされたのですが
今回は歴史の道調査報告書を参考にしています。

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次郎丸バス停付近に残る旧道。
草道が良い感じに残っています。

変電所の裏を通っていくと北島交差点です。

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紀ノ川を渡る北島の渡し場へと道筋。
この狭い通路のような場所が旧道のようです。

左の用水路脇には古い石積みがずらーと残っていたり
所々で道幅が広くなっている場所があったりするので
かつては街道らしい道幅があったのかもしれません。

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北島の渡し跡。
神社が近くにあります。

この場所は和歌山市内からの
淡嶋神社、四国への淡嶋街道の追分でもあります。

紀ノ川を渡って和歌山市街地へ。

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大きな堀沿いに進んでいくと
和歌山城の京橋に辿りつきます。

それにしても今回の行程なのですが
計画では17:40までかかる予定だったところを
結局は15:40と2時間も早くの到着でした。

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これは、涼しくなってきたからと
道中はそれほど迷うところがなかったこと、
足さばきが終始スムーズだったからでしょう。

そのおかげか少し筋肉痛がきてしまいましたが
大阪マラソンに向け良い筋トレになりました。

  
 
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする