2015年11月26日

余野街道・池田→余野

大阪北部の地方街道です。
池田から能勢の中心地「余野」を目指します。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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早朝の池田城下町。

今回の距離は20キロ未満なのですが
廃道区間が多そうなので早めの出立となりました。

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ここが余野街道の起点。
立派な祠と道標がありました。

「左、妙見山、多田神社」
「右、久安寺、亀山、愛宕山」

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亀山とは現在の亀岡にあたります。
左に行くと能勢街道。余野街道は右へ。

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街道沿いには石仏が多く目を楽しませてくれます。

余野街道は終点の余野にて亀岡街道と合流します。
遠くは京都府の亀岡まで通じていることになるので
余野街道はバイパス道としても機能していたことでしょう。

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バイパス道といえば西に5kmの場所で並行している
能勢街道も同じく重要な道筋だったといえます。
どちらを通っても亀岡へ進むことが出来るのですが、
どうも天候や目的によって使い分けられてた感じがします。

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その一つに妙見山への参詣があるのですが
不思議なことに余野街道では妙見山への道標を見かけません。
前回の記事で余野から妙見山へのルートを紹介したわけですが
余野街道からも妙見山参拝は可能なはずなのです。

考えられることとして
・道中での休憩所が能勢街道に比べ少なかった。
・妙見山余野口は京都、茨木からの参拝者が主だったのではないか。
・妙見山入口までは能勢街道のほうが難所が少なかった。

こういうことから妙見山の参詣に関しては
比較的楽な能勢街道が多かったように考えられます。

しかしながら亀岡や愛宕山まで行くとなると話は別で
能勢街道より距離が短い余野街道は有利だったようです。
これは最初に紹介した道標からも見てとれると思います。

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歩みを進めていきましょう。
この日の気温は3度ほどでした。

久安寺は街道一の大きなお寺です。
関西には花の寺という名所があるのですが
久安寺は牡丹や紫陽花が凄いようです。

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久安寺から先は山の中を抜けていきます。

現在の川沿いの国道は明治に開削された道筋で、
渓谷状になってるので江戸期の技術的では厳しかったようです。

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まるで登山のような雰囲気の中を進んでいきます。
沢沿いに進むのですが堰堤が作られ地形が変わって
街道の名残りを見つけるのは困難です。

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そんな中でも石積みをいくつか見ることができました。
こういう名残りを見つけれると嬉しいものです。

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峠付近の風情。

ここから先は道は比較的良く
スムーズに進んで行くことが出来ました。

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この先では国道まで降りて
しばし川沿いを進むことになります。

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たんたんとした道筋も束の間、
川が渓谷状になっていくと再び山の中へ入っていきます。

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「バッバーン。」

あちこちから聞こえてきたのは銃声です。
どうもこの辺りでは狩猟が活発なようです。

こういう音を聞いてしまっては
無理な廃道への侵入は避けたほうが良いでしょうね。
熊と間違えられてしまっては大変です。

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やがて視界が広がると里山の光景が現れました。
大きな柿の木も実に立派でした。

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やがてゴールの余野へ。

ここには資料館があります。
火・木・土のみの開館と変則的なので
興味ある方は前もって調べていかれて下さい。

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それにしても冬の歩き装備はいつも悩みますが
一番効果あるアイテムは手袋だと思います。

しかし今回の道中では濡れた木を触ってしまい、
冷たく濡れて使い物にならなくなってしまいました。

むやみに木は触ってはいけませんね。
前日に雨が降っていた時は特に。気を付けます。

   
 
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2015年11月18日

水戸街道その5・府中宿→水戸城下

いよいよ最終章!

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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石岡まつりの開催中でしたが
早朝はひっそり静かなものでした。

メインストリートでは
ゴミ収集車の音だけが響きます。

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石岡は大火を繰り返してきた歴史があったので
江戸期の建物はほとんど残っていません。

そんな中で目立つのは
昭和4年の石岡大火のあとに建てられた看板建築。
ナイスなレトロな建物が軒を連ねます。

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立派な見世蔵造りのものもありました。

江戸期の府中は松平家の陣屋がおかれ、
古代においては国分寺が設置されたりと
地域の中心的役割をもった町でした。

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常磐線の跨線橋には
かつての国分寺の情景が描かれています。

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このような昔の杉並木の写真があったりと
今と比較が出来てわかりやすくていいですね。

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石岡の一里塚。
両塚が残る立派なものです。

向こうから山車が回送してきました。
一里塚とパチリ。祭りの時ならではですね。

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この付近の道路には左右に空間がありますが
杉並木があったものと想像できます。

よく見ると切り株も残っていました。

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あちこちに咲く彼岸花。秋ですね。

次の竹原宿は比較的新しい宿場町。
府中と片倉の間のルート付け替えで設置されています。

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主な役割は荷継ぎの中継だったようで
本陣はなく小じんまりした宿場でした。

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鬼子母神さん。
この付近からよく見かけました。

関東には庚申さんの石仏もよく見かけますが
いずれも関西では珍しいものです。

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片倉宿は脇本陣と問屋場が各1軒あった宿場。
宿場の中央部の角には元旅籠の「かと家」があって
昔の名残を感じることができます。

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続いての宿場は小幡宿。
宿内の法円寺には水戸藩専用の宿でもありました。

この小幡宿と次の長岡宿は
水戸街道にとって特別な場所でもあります。

双方とも水戸藩領だったことから
手厚く保護されていていたという話です。
長岡宿では本陣の他に御殿も設置されていました。

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長岡宿の名物は「みそ饅頭」
宿場の入口に何軒かお店がありました。

見どころの一つとしては
脇本陣、問屋を兼ねていた木村家住宅が現存するのですが
この日はあいにく公開されていませんでした。

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先ほどの小幡宿と同様に長岡宿も住宅地になってしまい
一見すると宿場の全くなくなっているようですが
キョロキョロ探してみると、ありました!

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「長岡宿商工振興会」

これはまさしく名残と言えるものでしょう。

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水戸の中心部へ。
国道沿いを進み市街地へと入っていきます。

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交差点にあった馬頭観音さん。
自動車に当てられたのかすっぽり折れていました。
早く元通りになると良いのですが。

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長岡宿の手前で台地の上にあがった道筋は
水戸城下の手前で下って行きます。

そこにあった坂の名は「男坂」と「女坂」。

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男坂のほうが険しく長く、
女坂は緩やかな優しい坂になっています。

ちなみに真ん中の坂は新道です。
元々は軍事用だったので立派に整備されています。

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坂の途中には吉田神社がありますが
ここからの眺めは茨城百景の一つといわれています。

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ただし、今の見晴らしは・・・
きっと草木がなければ最高なのでしょう。

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備前堀の魂銷橋に高札場がありました。

備前堀とは伊奈備前守忠次が作った堀で
灌漑目的と桜川・千波湖の洪水防止のためのものです。

伊奈忠次は関東の治水に大いに貢献した人で
晩年は水戸で過ごされています。

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個人商店が並ぶ商店街を過ぎると
水戸街道のゴールはもうすぐ。

途中で水戸城への道と分かれ、
水戸宿中心部へと入っていきます。

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ここが水戸街道のゴール。
この先は陸前浜街道として仙台へ続いています。

さて、無事に踏破しての感想ですが
我孫子宿までは市街地ばかりで単調なものの
そこから先は意外と多くの街道風情が残っていて驚きました。

地形的においてもアップダウンが多く、
ここがホントに関東平野なの?と思うことも多々。

水戸街道は全長で100kmほどの街道なので
初心者にとっても気軽に街道気分を味わえるのないかと思います。
もしかすると日光街道よりも充実感はあるかもしれません。

  

  
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2015年11月11日

水戸街道その4・ひたち野うしく駅→府中宿

秋晴れの中の水戸街道道中。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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ひたち野うしく駅は科学万博の臨時駅で、
当時は万博中央駅と名乗っていました。

駅と国道の間には巨大なバスターミナルがあったのですが
現在はショッピングセンターなどに生まれ変わっています。

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中根の一里塚。
江戸から数えて17番目。
両塚が残っていて貴重なものです。

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ひたち野うしく駅が開設されてからは
新しい家々が立ち並び住宅地が開発されてますが
そういう中で昔からのものが残ってるのはうれしいですね。

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荒川沖宿は国道から少し離れています。

小さな宿場で本陣は置かれておらず、
正規の宿場だったものの役目は最小限だったようです。

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宿場には茅葺の建築が二軒残っています。
ひとつは元旅籠の「佐野屋」のもので
なんともいえない良い風情をかもしだしています。

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次の中村宿は本陣もあった宿場でした。
50軒余りの小規模な宿場だったそうですが
開発で宿場であった痕跡はあまりないようです。

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坂を下って川を渡ると再び坂を上へ。
アップダウンがあるスリ鉢状の地形が続きます。

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この立派な馬頭観音さんの下には
小さな道標が立っています。

「みつかいどう」の文字。
水海道とは現在の常総市のこと。

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常総市は豪雨での鬼怒川の決壊が記憶に新しいですが
地名に水が付いてる場所って何かしら水害があったりなど
水と関わりのある歴史を刻んでいることが多いように思います。

水戸街道の沿道の災害においては
取手宿付近は水害で大きく付け替えられていますが
当時は技術的に治水対策が十分ではなかったせいか
氾濫原の平地を通さず高台にわざわざ迂回してることもあります。

アップダウンがあったりと不便はあったと思いますが
長い目で見ると安定輸送や安定した生活に繋がるわけで
旧街道沿いが災害に強いとされる1つの理由かもしれません。

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土浦宿に向けて一気に下ります。
常福寺にある展望台からは宿場全体を一望できます。

筑波山が目の前に!
なかなか清々しい景色です。

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土浦宿は土浦城の城下町であるとともに、
霞ヶ浦水運の物資集積地で栄えていました。

城下に入ると枡形がいくつも続きます。
いかにも城下らしい雰囲気です。

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枡形の跡の一つ

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古建築もいくつか残っていますが
311の被害で修復中のものもありました。

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土浦城は別名亀城と呼ばれています。

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右に北門の碑がみえる

城下の出口には北門があり
ここにも大きなS字状の枡形がありました。
ほどなくすると旧筑波鉄道の線路跡を越えます。

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廃止となって結構経ちますがプラットホームも残り、
サイクリングロードとして整備されています。

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真鍋宿。
坂の途中にある宿場で
規模は小さく間の宿程度の役割だったそうです。

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しかしながら、坂の下では鹿島街道と交わり、
坂の上では筑波街道と交わる重要な場所だったようで
立派な家々を見るに結構な賑わいがあったと想像できます。

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いい感じの松並木です。

電信柱も木の色になっていて景観に配慮されています。
途中には板谷の一里塚。両塚が残ります。

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旧街道の坂道を歩いていると
車を通すために改良された箇所をよく見かけます。

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段差に削った跡が見受けられる

たとえば、険しい峠の場所だとトンネルを掘ったり、
急勾配を緩和するために全体を掘り下げたりなど。
車が非力だった時代の名残りですね。

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土浦バイパスと交差した先にあるのが中貫宿。

ここには本陣の建物が残っています。
ただし宿泊を常とするものではなかったようで
茶屋本陣的な役割なものでした。

元々は茅葺の屋根でしたが銅板で覆われています。

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それにしても静かな風情です。
どこか遠くの田舎に来ているような感覚です。

地形的にもアップダウンが続いているので
関東平野といえど全然違う雰囲気があるものです。

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稲吉宿は比較的新しい宿場町で
水戸街道が整備した後に出来たものです。

本陣(現 坂本家住宅)が残ります。
また旅籠皆川屋(現 木村家住宅)も残っていました。

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こちらは元の旅籠

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落ち葉が舞う晩秋のような雰囲気。

恋瀬川から眺める筑波山の夕焼けを見てると
秋が深まってるいることを実感させられます。

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府中宿。現在の石岡の町でゴールとしました。
ちょうどこの日は祭りで大賑わい。
なんともえらい時に来たものです。

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