2016年07月21日

西国街道の魅力と踏破しての感想とか

西国街道を踏破しました。
京都→下関間を20日かかりました。

感想を一言で言い表すとすれば
「西へ行くほど面白い!」これに尽きます。

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西国街道は東海道のような五街道ではないものの
江戸と長崎を結ぶ幹線道路の一角になっていたので
五街道に次ぐ重要な脇街道に位置づけられていました。
また、船運が発達するまでは大幹線としての時代があったので
歴史が非常に古いという一面がある街道です。

このように重要な位置づけの街道だったからこそ
出来るだけ昔に忠実に歩きたい!という思いがあったわけですが
どのように計画をし踏破していったか感想など紹介していきます。

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まず西国街道を歩くにあたって悩んだのは
自治体によって様々な「西国街道」という名称。
広島県、京都府、大阪府、兵庫県は西国街道を推していて
岡山県と山口県は旧山陽道と推すのが一般的でした。

岡山県で旧山陽道と呼ぶのは理由があるそうです。
現国道2号である新西国街道が鴨方往来のルートを通っているので
本来の西国街道とは全く別の場所を通っていることから
区別するために旧山陽道を用いてるという話があります。

西国街道の全体を見まわしてみても
京→西宮は山崎通と称されたり(分間延絵図があります)
大阪からの道を含めて中国街道と称されたりと様々です。
またスタート(東寺or西宮)、ゴール(亀山八幡宮or永福寺)が
資料によっていろんな説が存在しています。

このように名称一つとっても各地で複雑なので
一般的に通用している西国街道として歩くことにしました。

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次に悩んだのは歩くルートについてです。
五街道の東海道などと比べると資料は少な目ですが
歩いてる方が結構いるもので先人の情報は参考になりました。
文献としては太陽コレクション山陽道にある中国行程記、
航空写真、古地図、分間延絵図など参考にしました。

ただ、これだけ様々な資料があると
資料によって道筋が違う場合があるのは逆に悩むところで
例えば明治道のはずなのに江戸時代の道と記載がある場合は
戦後すぐに撮られた航空写真や明治の地図で修正を重ねました。
この作業は結構な手間ですが歩く際の達成感は格別なものがあります。

下調べで不明な点が残った場合は現地に行ってからのお楽しみ。
現地調査でも謎が残る場合は気になる道を両方歩いたりしました。

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次に悩んだのは交通手段です。

幸いにして西国街道は新幹線など交通に恵まれています。
京都から兵庫県内に関しては特に問題ないのですが、
それ以西は峠を避けるように鉄道が敷かれている場合があるので
うまく行程を組み合わせていく必要があります。

例えば19日目は10キロ程度の行程になったのですが
今思えば岡山県内からは先を見据えて計画を立てていれば
こういう極端に短い行程にならなかったのかなと思います。

最初に書いた「西に行くほど面白い!」ですが
行程を考える際のパズル的な意味合いもありました。

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さて、感想について書いていきます。
西国街道は大きくわけて3区間に分かれていると思います。

・京都→兵庫県内の市街地&平坦な区間。
・岡山県内→広島県東部の起伏と平坦を織り交ぜたバラエティある区間。
・広島県→山口県の峠、山越えなどが続くハードな区間。

このように西に行けば行くほど大変になっていきます。
その分、多くの昔の風情が残っているといえるわけですが
広島県あたりから廃道が多くなって攻略に手こずる場所がありました。

これまで東海道など東に向けての街道を歩いてきましたが
今回が西へ向かって街道を歩くのは初めてだったので
石仏一つにしても雰囲気が違っていたり瓦の色合いや建物など
東に向かうのとは一味違った新鮮さがありました。

この新鮮さこそ西国街道の魅力かなと思います。

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一番大変だった場所というと松子山峠です。
通った季節が春だったので思っていたよりは楽でしたが
三原−八本松の長距離な上に藪漕ぎ多数という行程は
西国街道歩きのクライマックスだったかもしれません。

一番感動した場所は下関直前にある山越えでした。
広島県内においても九州の山を見ることができるのですが
関門海峡大橋と九州の山々がパッと視界に現れた瞬間は
ゴールまで残り僅かということもあって感慨深かったです。

あと、吉備路の国分寺付近もよかったです。
現在の交通のメインである国道2号から離れているおかげで
良い意味で開発に取り残された懐かしい光景がありました。

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以上、感想などを書いてみましたが
どっちから歩くのがオススメか?と聞かれた場合は
東から西に向かうほうが良いと答えると思います。

大阪に住んでる分にとっては
岡山まではどんな風情かなんとなく想像が出来るのですが
その先はというと未知な部分があります。

お楽しみを先にもっていくか後にもっていくかの違いですが
後のほうがモチベーション的にも良さそうです。

ただし、西に向かうとすると西日が強烈です。
疲れてる時に顔面に西日は結構つらいものがありました。

では、Enjoy!西国街道!

  
posted by にゃおすけ at 10:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする

2016年07月11日

西国街道その20・厚狭駅→赤間関(下関)

長かった西国街道も今回でラスト。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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冬の街道歩きで難儀なのは夜明けが遅いこと。
しかも西に行けば行くほど遅くなってしまうので
今回の出立は6時にも関わらず真っ暗でした。

山野井八幡宮の前を進みます。
手前に明治にできた道との分岐があるのですが
下調べではどちらが旧道なのか迷いました。

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新道、旧道とも神社に向かって参道が伸びてるのですが
参道にある常夜灯の年号をチェックしてみると
天保年間のものと大正時代のものがありました。

これでどちらが旧道か解決したわけですが
迷った時は神社の石の構造物は大いに頼りになりますね。

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薄っすらと雪化粧をする蓮台寺の山。
街道は鉄道と分かれて峠道へと入っていきます。

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右、吉田。左、埴生 道。

鉄道は埴生へ。街道は吉田へ。
しかし元々の旧山陽道は鉄道と同じ埴生を経由でした。
江戸時代になって蓮台寺峠のルートが整備されています。

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せっかく整備された峠道なのですが
九州方面に行くには埴生経由が近道だったので
相変わらず多くの人が歩かない街道になっていました。

それでは次の宿場の吉田宿が困る!ということで

「下関や九州への渡航」を禁止する」

このような立て札を立てて
徐々に移行させていったといいます。

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さて、蓮台寺峠です。
入口付近は区画整理で消滅箇所がありますが
全体的に草道になっていて良い雰囲気です。

崩落個所があるので注意して進みます。
若干ぬかるんでいましたが大したことはありません。

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蓮台寺峠。
立派な切通しになっています。

峠には石積みの跡が残っていて
かつて茶屋(民家)が何軒か立っていました。

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峠を下っていくと吉田宿。
毛利藩本藩の所領で代官所も置かれ栄えていました。

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右、上方道。左、萩道。

上方とは京のこと。

山口県内は幕末から維新にかけての史跡が多いですが
吉田宿には奇兵隊の史跡が多く残っています。

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左の一見普通の建物に見えるのは元は志士の宿舎で
中は改築せず江戸時代のままの建築物とのこと。

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意外だったのは近くにある長慶寺。
戦国時代の大名である三好家が松永久秀との戦いに敗れて
ここに辿りついて廃寺を再興したものだそうで
まさか山口で三好家を見るとは驚きました。

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木屋川の右岸を進みます。
対岸へは夏秋は舟渡し、冬は木橋を架けて渡ってました。

新幹線の線路が見えてくると
旧道は崖上の狭い道筋へと入っていきます。

この道が実にわかりにくい!

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現在の車道にあたる部分は昔は川の中だったので
川を避けるように安定し場所を選んで通されています。

川を見下ろすような道筋は見晴らしがとても良く
江戸時代に作られた地蔵さんがおられました。

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小月宿。
下市は宿場町、茶屋町は歓楽街で栄えたとのことです。

宿場手前にあった大きな庚申塔は
日本一大きなものと言われています。

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右、かみがた道。左、とよた道。

ここにもありました上方道。
この付近では京と書くより上方のほうがメジャーなようです。

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見廻り通りは静かな風情です。
武士が庶民の暮らしや治安を見廻っていました。

ここからしばらくはほぼ道なりに。
長府城下町へと入っていきます。

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所々に木製電柱が残ります。

高台にある清末八幡宮から海を眺めたり
のんびりと西へ西へと進みます。

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長府宿(長府城下)の地名は
「長門国府」にちなみ府中と呼ばれた時期がありました。

国府があったということは
下関よりも国の中心地だったわけです。

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宿場の中ほどに立つ忌宮神社。長門国の二の宮です。
境内にはニワトリと鳩がいっぱいでした。

長州といえば土壁のイメージがありますが
街道沿いにも古い家々が残ってて良い感じです。

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功山寺は高杉晋作挙兵の地です。
街道は寺の横を進みます。

さぁ、ゴールまであと少し。
ここからは別名で野久留米街道とも呼ばれています。

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辻堂峠を越えて見えてきたのは。
九州の山々と関門海峡大橋。

この見えた瞬間は格別でした。
広島県内でも九州が見える場所があるのですが
それとはまた違う感動があるわけです。

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前田の集落は古代山陽道の終点の地。
ここからしばらくは土地の改良で消滅してる部分が多くて
ゴールに向かってすんなり進めないのは歯がゆいところです。

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右、上方道。左、すみよし道。
すみよしとは住吉神社のことで長門国一の宮。

赤間神宮はなかなか特徴的な建物をしています。

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昔は鳥居のそばまで海があったようで
海からの参拝も考慮されていたものと思います。

赤間関宿の本陣伊藤邸付近。
遺構自体は井戸を除いてほとんど残ってないように見えますが
大きな敷地に名残を感じることができました。

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下関は戦時中の空襲によって大きな被害を受けました。
よって古い家はほとんど残ってないように思います。
また道筋も再開発によって消滅した箇所が多くなっているようです。

亀山八幡宮の石垣には焼夷弾の跡が残ります。

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その亀山八幡宮ですが海に突き出た地形の場所にあるので
堂崎の渡しという九州への渡船場がありました。

大きな鳥居の横には山陽道と書かれた碑があることから
ここが西国街道のゴールとする説があります。

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しかしながら、一里塚の位置を考慮すると
ここが本来のゴールというのは少し疑問が残るところで
現在は永福寺前の一里塚跡がゴールという考えが一般的なようです。

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亀山八幡宮から永福寺までは
大きく山側に迂回するような道筋を取ります。
これは湾があった影響で船溜まりになっていました。

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この立派な碑がある場所が永福寺前。
これにて西国街道を完歩としました。

全体の感想としては
またおいおい書いていこうと思います。

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posted by にゃおすけ at 14:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする

2016年07月01日

西国街道その19・厚東駅→厚狭駅

ゴールまであと一歩に迫りました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

真冬の山陽地方は山陰と違って
晴れの日が多くて歩くには良い気候です。

ただし日が短いので長距離歩きの計画は難しく、
今回は厚狭から先の交通の便を考慮して
いつもより短い行程になりました。

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国道より一つ中に入った場所にある旧道。
家の裏手は何気ない生活道路に見えるのですが
実は「吉見市」という市があった場所。

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ゆえに厚東駅周辺の中心地だったわけですが
かつての面影はほとんど残っていません。

吉見市と書かれた石標は嬉しいですね。

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新幹線の高架をくぐって旧道を進みます。

見晴らし良好!
空気が澄んでいるのて遠くまで見えます。

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農道のような道を過ぎると藪が酷い状態でした。
左の国道に合流しないといけないのですが
小川があって橋がなく渡ることができません。

写真で見ても結構な谷です。

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廃道を進んでいくと徒渡りできる場所があったので
なんとか対岸に渡ることができました。

この先は車道を歩いていくわけですが
さすがは国道2号線だけあって交通量がスゴイ。

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昔は上のような感じだったのでしょうが
歩道がない国道は現代の難所といえます。

やがて吉見峠。
ここまで結構な山間を通ってきたのですが
意外なことに標高は90m程しかありません。

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船木宿。
入口に岡崎八幡宮の大きな鳥居が立ちます。

もともとは群の中心地だったのですが
鉄道が宇部を経由したことで求心力が低下して
明治以降の中心は厚狭へと移ってしまっています。

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船木は江戸時代の初期から石炭が採掘されて
宿場としても「代官所」「お茶屋」があって重要な場所でした。
駅馬は15頭と人足は十数人が用意されていました。

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船木の由来は大木森住吉宮から。
神功皇后が軍船を作るためにここの楠を切られたとのこと。

宮前の大きな常夜灯が実に印象的でした。

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銭ケ原交差点の先にある旧道の痕跡。

一見すると田んぼの畦道に見えるのですが
畦道にしては妙に広くて路盤がしっかりしています。
草道として残ってるのはポイント高いですね。

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先にある旧道に石畳が残っていました。
千林尼が托鉢によって集めた浄財で作られたそうです。

昔の写真を見ると一面に敷かれてるのですが
大部分がアスファルトの下に埋められてしまっています。

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さらに旧道を進んで西見峠。
埴生田堤沿いに進むと厚狭の町に入ります。

なかなか静かな家並みです。

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厚狭駅前でゴールとしました。
付近は整然とした区画になっていますが
これは条里制の遺構なんだそうです。


  
  
posted by にゃおすけ at 10:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする