2016年10月26日

北国脇往還松代道・平出追分→矢代宿

松代道は北国脇往還(東往還)とも呼ばれ
戦国時代は本道として扱われていた時期もあって
海津城や長沼城などを通る戦略の要でした。

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民家の左から入っていく


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

北国街道の平出追分から分岐します。

ここから再び北国街道と合流する矢代宿までに
渡しが松代道は1か所、北国街道が2か所あるのですが、
松代道の渡しは雨が降っても止まることは少なく安定していたので
北国街道のバイパスとして使われることがありました。

別名「雨降り街道」と言われる所以です。

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まずは白坂峠に上ります。

白坂峠の一里塚は片側のみ塚が残っています。
歩いた時期は3月でしたが積雪が多い年は
まだまだ残雪が多い時期かもしれませんね。

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難所の神代坂。
一気に500m標高を下っていきます。

所々で消滅している箇所がありますが
全般的に旧道がよく残ってるほうだと思います。

ただ、藪が結構酷い場所があったので
時期によっては厳しそうです。

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善光寺平の眺め。
小布施、須坂方向の町が見えます。

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大石の上におられる馬頭観音さま。
とにかく勾配がキツイ神代坂の往来は
馬も人も大変だったことでしょう。

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松代道の難所といえる難所はここまで。
あとはのんびりと歩いていきます。

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神代宿は宿場に指定されたのが遅かったので
本陣は同じ集落内を古くから通る飯山道沿いにあります。

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本陣の跡

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「是ハ善光寺ミち」
追分に善光寺への道標が立っています。

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神代宿は駅でいうと豊野が最寄駅になります。
ちょうど踏切のあたりに「流死人菩提碑」が立っています。

寛保年間の大水害においては千曲川の水が
この踏切の辺りまで迫ったというから相当なものです。
水位としては北陸新幹線の高架下に立っている
千曲川洪水水位標を見ると一目瞭然です。

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信州りんご発祥の地。
明治29年の大洪水で桑が壊滅的な被害を受けたので
養蚕に代わってリンゴ栽培をする農家が増えたとのこと。

松代道はこの先も千曲川と平行して進んでいきますが、
水害の歴史と切っても切れないものがあります。

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長沼城下に入ります。

城があった北側は武士の住む城下町として発展して
南側は宿場町として発展してきました。

その影響で街道の道筋は枡形として10か所も折れ曲がり、
城下町には立派な長屋門が今も残っています。

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長沼宿のメインストリート。

奥には秋葉さんが祀られています。
北長野の宿場町でよく見かける光景です。

ここから先は千曲川の右岸を進みます。

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村山神社、名主小坂家のあたりが渡し場跡。

「布野の渡し」です。

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村山橋で迂回しますが結構な距離があります。
それだけ千曲川が大河であるということでしょう。

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千曲川の堤防の内側では桃の栽培が盛んです。
今は辺り一面が桃の木ですが昔は菜種栽培が盛んで
菜の花畑によって黄金島と呼ばれていたそうです。

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対岸の渡し場跡がこの付近。
川に削られてしまって昔の面影がありません。

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右に千曲川を見ながら旧堤防上を歩いていきます。
所々で藪ってるところがありました。

次の宿場は福島宿。
渡し場からは少し離れた場所に位置しています。

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宿場の入り口にあった観音道標。
台座に「左、北国街道布野船渡善光寺道」「右、中野小布施道」

角を曲がると立派な本陣が建っていました。

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さすがは蔵の街の「須坂」だけあって
福島宿も大きな蔵が立ち並んでいます。

本陣は宿場の中心部にもう一か所あって
こちらもなかなか立派なものです。

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福島宿は江戸への近道の大笹街道の起点でもあり、
さらに江戸後期には千曲川通船が許可されて
交通の要衝として栄えています。

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信州の山々を眺めながら進みます。

「右ハ、松代」「左ハ、保科道」
ここは保科道との分岐点。

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保科へと抜ける川からの景色を眺めると
春間近な感じで心地よいものでした。

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川田宿の手前にある信濃川田駅跡には
長電2000系が留め置かれていました。
元特急車ですが線路が外され寂しいものです。

この先の松代道は旧屋代線沿いに進みます。

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川田宿のメインストリート。
かつては中央に用水があったので道幅が広くなっています。

この立派な整った町並みは元からあるものではなく
千曲川の度重なる水害によって移設されてきたもので
以前の場所(古宿)は国道と川の中間あたりにありました。

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本陣前には旅籠が3軒並んでいたそうです。

そして、宿場の前後には立派な秋葉さんの祠。
石柱に突き刺す形でバランス良く立っています。

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宿場の外れには関崎の渡し跡。

松代藩直轄の舟渡しになっていて
夜はこちら側に舟を止めておく決まりがあったそうです。

立派な常夜灯にスロープ状の草道が残ります。

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この渡し跡付近の街道は
関崎峠という山の中腹の道筋になっていて
千曲川の水害を防ぐように進んでいたのですが
道路拡幅や鉄道建設で昔の峠道は面影がないようです。

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ただ、痕跡が全くないわけではなくて
上を見ると碑があったり路盤が見え隠れしています。

鉄道のトンネル側から探索してみましたが
藪が酷く碑の場所でさえも行くことができませんでした。

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松代の境にある鳥打峠が見えてきました。
真田城下が近いこともあって寺の屋根に六文銭が飾られています。

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鳥打峠ですが未舗装の緩い上り坂の道筋で
平日はダンプも通るのでしょうか。結構良い道でした。

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鳥打峠。

峠からの眺めは善光寺平を一望。
長野市街が見えました。

松代側の峠道の道筋には諸説あるのですが
その考察はヤマレコ記録にまとめていますので
そちらを参照していただければと思います。

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「右川田駅、中柴弥陀道、左善光寺道」
裏には山本勘助など墓の場所が書いてある珍しいものです。

松代城下町に入ってきました。
大河ドラマの影響で真新しい六文銭が町中に溢れています。

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松代城下中町。

古い家を見かけますが明治時代に2度大火があったので
街道筋には江戸時代の建物は残っていないようです。

松代は真田氏の史跡の他にも、
佐久間象山や大本営など見どころが豊富です。
時間に余裕があれば松代で区切るのもいいかもしれませんね。

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電線が地中化されてるって気持ちがいいものです。
町の印象が随分と違ってみえます。

松代の郊外は長芋の産地。
ショベルを使っての収穫の真っ最中でした。

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この付近の江戸後期以前の道は
旧河川の堤防を利用しての道筋だったのですが
区画整理によって痕跡は残っていないようです。

この地で長芋の栽培が盛んになったのは
千曲川の水害のたびに肥沃な土壌がもたらされたのが一番の理由で
松代藩真田十万石の時代より自家用栽培の形跡があります。
今では全国シェアがナンバーワンになのだそうです。

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妻女山を横目に見て旧道を進みます。
千曲川もだいぶ上流になって穏やかな流れです。

上流方向に歩いてるということは
ここまで緩い勾配を上ってきているわけですが
それを気づかせないほど歩きやすい道のりが続いています。

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一里塚跡。
この付近は千曲川の洪水に備えて
石垣の上に建てた蔵(土口の水屋)が特長的です。

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間の宿である雨宮宿を過ぎると
ほどなくしてゴールの矢代宿追分に到着します。

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2016年10月18日

『街道歩きのススメ』 図書館の活用と廃道ナイト

古い道を調べる上で重要なものは

1.古い文献、地図
2.現地調査(現地の古老の話を含む)
3.先人の話(すでに歩かれた人のレポなど)

この3点がポイントと思うところで
これまでも調べ方を紹介してきました。

今回は便利になってきた図書館の利用と
廃道ナイトに行っての感想を書いていきます。

まずは図書館利用について。
基本的に自治体の図書館は閲覧する分には誰でもウエルカムです。
調べたい「街道」が通っている沿道の自治体ならば
町史など地元の資料があるので詳しく調べることが出来ます。

しかし、現地まで行って調べるのは大変ですよね。
その場合は気になる事柄を問い合わせてみるのも一つの手で
大抵は何かしら懇切丁寧な返事が返ってくるものです。
場合によっては該当箇所のコピーを送ってもらえることもあります。

このことは図書館に限らずとも資料館や博物館も当てはまるので
行き詰った時は是非とも活用していきましょう。

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普段は大阪市の図書館を利用しているのですが
近年はオンラインで蔵書検索、予約が出来る所が増えてきました。

たとえば、「道路本」を借りようとする時、結構な数が検索で引っかかります。
その中から借りたい本を探して予約の手続きを取っていきます。
すると数日のうちに「用意が出来ました」と連絡がきます。

ここまでくると、まるで宅配レンタルDVDが如くです。
家まで配達してくれるかは図書館によって違いますが
新本以外は図書館で事足りることが多いかもしれません。

ちなみに読みたいの本が近くになかった場合は
他の図書館から取り寄せてくれることがあります。

他館との資料の相互貸借に関する内規
http://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000256967.html

全国の図書館ネットワークって凄いですよね。

他にもこういうのを調べたいというのを言えば
該当の本を探してくれるサービスなんてのもあります。
これがレファレンスサービスというものです。

レファレンス協同データベース
http://crd.ndl.go.jp/reference/

このページのように図書館で尋ねたことが
記録としてデーターべ―スに積み重なっていくので
眺めてると同じ疑問で尋ねてる人がいて面白いものです。

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さて、廃道ナイトが大阪であったので見てきました。
ナイトというのは集会みたいなものです。

今回初めて参加しましたが内容が実に濃い!
メインの方はヨッキれん氏。有名な「山さ行がねば」の人です。
http://yamaiga.com/

現地での実地レポをプレゼンしていく流れですが、
下調べ→現地調査→帰ってからも調べるという形なので
内容がしっかりしていて奥深い。だからこそ面白い。

廃道と街道歩きは似ている部分が多いので
終了時には随分とスキルアップしてる自分がいました。

昼と夜と合わせて約6時間。
企業のプレゼンのような堅苦しさは全然なくって
手作り感満載のプレゼンだったので楽しく最後まで見れました。
またこういう機会があれば見に行こうと思います。

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途中でWindowsアップデートが始まるハプニングも



  
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2016年10月05日

北国街道その17・善光寺→矢代宿

善光寺の参道から。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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今回の行程の篠ノ井追分までの3/4の区間は
善光寺西街道(洗馬宿→善光寺)の時に歩いているのですが
逆方向での歩きは景色が違うもので新鮮さがありました。

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JR長野駅方向に伸びる一直線の道。
早朝は人がまばらなので気持ちが良いものです。

季節は3月。綺麗な梅が咲いていました。

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線路を渡って長野駅東口に出ます。

街道は拡幅工事の真っ最中のようでした。
数年後には景色が一変していることでしょう。

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長野市街地を歩いていて思うこととして
小さなお寺があちこちにある印象があります。

善光寺の門前町で栄えていた影響と思いますが
城下町松本市と比べても多い気がします。

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丹波島の渡し跡。
松本平から流れてくる犀川を渡ります。

この川は急流で水量が多いことから川止めが多く、
松代道で迂回することが度々ありました。

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丹波島宿。
宿場の端には秋葉さん。

バランスが取れた造りでなかなかのもの。
北信濃では集落の入り口に祀られることが多いですね。

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篠ノ井駅まで一本道。
車はさほど多くない長閑な風情が続きます。

篠ノ井駅周辺は駅前ということもあって
商店が並んでいて結構な賑わいがありました。

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ところがこの駅周辺の賑わいは鉄道が開通してからのもので
それまでは篠ノ井追分あたりが更級郡の中心地でした。

「篠ノ井追分宿跡」の碑。

宿とありますが正式な宿場ではなくて
間の宿の扱いです。

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この追分で松本、名古屋方面の善光寺西街道と北国街道が分岐します。
追分から少し行った所にあったのが郡役所跡です。

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今は農地になっていますが
ここが江戸時代の中心地になります。

矢代の渡しのすぐ近くの場所だったので
人の行き来も多くて交通の要衝だったことでしょう。

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「舗装記念碑」

車が頻繁に通るようになった昭和30年代。
当時の道は土道が一般的であったので
交通量の多い街道沿いは土埃が蔓延していました。

道沿いの家々は年中窓を締め切ったままの暮らしだったので
その状況を打開する策が道路の舗装化だったわけです。

現代では舗装路が当たり前になっていますが
この記念碑から当時の人々の嬉しさが伝わってくるかのようです。

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矢代の渡し跡。

軻良根古(からねこ)神社のすぐ脇がその場所です。
面白い名前の神社ですが当地を収めていた篠ノ井氏は
高麗由来の人だった影響からきています。

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篠ノ井橋で迂回して向こう側へ。
橋からは白馬の山々がよく見えました。

対岸は矢代宿の入り口にあたります。

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左から松代道と合流すると本陣付近。
そしてほどなく屋代駅でゴールとしました。

今回の行程では少し早めの13時にあがったのですが
まもなく無くなる大阪行きの特急しなの号で帰るためでした。

今は北陸新幹線が出来て多少は便利になってきたものの
大阪−長野間の移動は乗換があってまだまだ不便でなりません。
貴重な直通列車がなくなるのは寂しいものです。

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車中でお手製の記念乗車証を頂けました。


  
 
posted by にゃおすけ at 15:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 北国街道(北陸道) | 更新情報をチェックする