2016年12月22日

熊野古道紀伊路その5・紀伊駅→海南

大坂から続く紀伊路。
和歌山県からは主に平安時代の道筋を辿っていきます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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大阪府との境で紀州街道と分かれます。

曲がり角の墓地の中にあった道標は
すっかり墓と同化してしまってました。

左 和歌山 及 紀三井寺
右 加太淡島神社

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大阪府内では熊野街道と案内されていた道筋ですが
和歌山県内では熊野古道と熊野街道と名称が分かれています。

この名称の違いは一般的には意識する必要はないのですが
「古道」は平安時代によく利用されていた道筋であって
「街道」は江戸期以降に整備された道筋と理解するとわかりやすいと思います。

双方とも重複してる場所は多くなっています。
イメージ的に「古道」は山越えをする最短距離を進むルート、
「街道」は海沿いの今の国道42号に沿った平坦な場所を選ぶルート。
海沿いの道が出来たのは後年の護岸整備技術の賜物なのでしょう。

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道に埋め込まれた熊野古道の案内石。
迷いやすい曲がり角でも安心して進めます。

今回のルートは和歌山県のマップを参考にしています。
http://www.wakayama-kanko.or.jp/walk/

熊野古道歩きの楽しみの一つは王子めぐり。
いわゆる遥拝場や休憩所にあたるものなのですが
本宮大社までの紀伊路と中辺路で80近くもあったといいます。

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この川辺王子跡もその一つ。
ただし推定の場所です。

熊野詣は平安時代に人気があったのですが
その後は時代とともに衰退して熊野詣の人気が落ちていって
各地にあった王子の一部は消滅していってしまいます。

時代が流れて再び復活した王子もあるのですが
元々あった場所の特定は難しい場合が多くて
推定地となっていることが多いようです。

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ルートに関しても同じことが言えます。

紀ノ川周辺では河岸段丘上を進んでいきますが
平安時代は治水がそれほど発達していなかったのか
一直線に進んでいる江戸時代の紀州街道に対して
川を大きく迂回する道筋になっています。

この元々の道筋については
参考書などでは推定ルートと紹介される場所もあって
江戸時代に出来た東海道や中山道などと比べると
時代が古いので謎が多いのは仕方ないところです。

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紀ノ川を渡りましょう。川辺の渡しです。

江戸時代においても重要な渡し場で
紀州街道の別ルートとしても利用されていました。
(参勤交代は少し下流側にあった田井ノ瀬の渡しを利用)

対岸の布施屋の集落は
ここでもまた大きく迂回した道筋になっています。
想像するに時代によっての渡し場所の変化や、
紀ノ川の流れの変化が関係していたと思われます。

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布施屋では一部区間で伊勢南街道(大和街道)上を進みます。
街道が周囲より一段高い場所にあるのは旧堤防だった証拠です。

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川端王子跡
 
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吐前王子、川端王子を過ぎると田園風景が広がります。
難所の矢田峠の手前には大庄屋の屋敷跡があります。

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旧中筋家住宅。入館料は100円。
江戸時代の建築を今に伝えています。

熊野古道に関する展示は皆無でしたが
大きな庭が二つもあって大庄屋らしい家でした。

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矢田峠。
立派な切通しが残っていました。

峠の前後では若干歩きづらい場所があったのですが
大部分が歩きやすいように整備されていて、
階段になってる場所さえありました。

ただ、経年によって劣化してきているようで
おそらく世界遺産登録で賑わっていた時に作られたものでしょう。
(注・紀伊路は世界遺産でない場所があります)

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峠の先では右に進みましょう。

街道マップでは左と案内があるのですが
右ルートには役行者祠や古い道標がありますし、
左は見た感じ農道としか思えません。

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里に出ると和歌山電鉄の踏切を渡ります。
ここで少し寄り道。

紀伊国一之宮の伊太祁曽神社。

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読み方は「いだきそ」
和歌山電鉄の駅(車庫)があるので
鉄道ファンには馴染みのある場所です。

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奈久智王子跡を過ぎて四ツ石地蔵。

祠の四隅に廃寺の礎石が置かれています。
石はかなりの大きさがありました。

当時としても一大モニュメントだったらしく
古い絵図にもしっかり描かれています。

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こういう案内板は嬉しいですね。

松坂王子を過ぎると再び上り坂に入ります。

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立派な石畳の場所があって驚いたのですが
元々は平行する車道にあったものが
道路改良によって5mずらしたとありました。

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汐見峠。
かつてここから海が見えました。

峠を下った先にある地蔵の祠には
津波のことが書かれています。

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大昔のことは忘れがちになりますが
津波がここまできたという証拠は大事ですね。

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熊野一の鳥居跡でゴールとしました。


 
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2016年12月12日

淡路街道・和歌山市西ノ庄→粉河

淡路と名前が付いていますが
淡路島、四国と関係のある和歌山県北部の街道です。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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和歌山市は西ノ庄。
放射冷却の影響でかなり寒い朝でした。

淡路街道は大和、紀伊北部から紀ノ川沿いに
四国と淡路島の拠点である加太港とを結んでいます。

このルートは古代の南海道の道筋にもあたり
地方街道ながら重要な役割を担う街道でもありました。

加太〜西ノ庄の間は前に淡嶋道として歩いているので
今回は東の粉河へと向かっています

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木ノ本八幡宮の大きな鳥居。
近隣の氏神様で拝殿は山の中腹にあります。

山向こうは大阪府(和泉)になるわけですが
県境の山には街道が幾重にも通っています。

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その代表的なのが紀州街道であり孝子越街道であり、
どのルートもそれぞれ特徴があります。

淡路街道はそれら街道の紀伊側の拠点を結ぶ道筋なので
交点ではある程度の賑わいがあったのではと思います。

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木ノ本付近は現在の県道よりも
少し北側にある旧道を通っています。

一見、狭い路地といった感じなのですが
明治の早い段階で新道が作られたおかげで
古い時代のものがそのまま残っています。

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大きなお堂がありました。
手前に道標もあります。

左、加太。右、根来。

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梅谷交差点で孝子越街道と交差します。

淡路街道と孝子越街道は200mほど重複して進んでいきますが
再び分かれる地点は資料によってまちまちで悩むところです。

今回は歴史の道調査報告書を参考にしているのですが
それによると本来の分岐点は用水路の改良によって
消滅してしまっているではと考えられているようです。

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孝子越街道というと大阪と和歌山のメインルートの一つ。
本来なら道標や常夜灯があっても良さそうです。

左手に紀泉の山々を見ながら進んでいきます。

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平井峠が見えてきました。
孝子越えが整備される前は平井峠越えがメインだったようで
孝子観音あたりに抜けることができます。

ただし、現在は国道バイパス工事の最中なので
平井峠を越えるのは困難なようです。

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六十谷駅付近。
こちらも道路の拡幅工事の真っ最中。

先ほどの国道バイパスの工事もそうなのですが
和歌山県では近く開かれる国体に向けて
道路工事があちこちで行われています。

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幸い淡路街道に関しては道の消滅は少ないようですが
開発が進むにつれ幾ばくか影響が出るかもしれません。

旧道は新道と行ったり来たり。
交差を繰り返しつつ進んでいきます。

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やがて紀伊駅付近。

ここは昭和的な風情があって良いのですが
いかんせん車の量が多すぎます。

狭い路地に車が集中して
年中渋滞してるイメージです。

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駅付近は昔ながらの県道ですが
少し進むと元々の旧道は県道から離れます。

旧道は路地といった風情。
祠があり火の見櫓が立っていました。

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かつてはこの旧道がメインだったわけですが
交通量が多くなったので現在の県道が出来た経緯があります。
しかしながら、その県道も今や狭さは否めません。
さらなるバイパスが必要になってくるでしょうね。

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山口神社付近。

この付近は熊野街道と一部重複しているので
案内看板を頼りに散策されてる方をお見かけしました。

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道標が2本。

1本は墓の敷地に移設されたもので
もう1本は道路の下に半分埋もれてしまっています。

おそらくは「ねごろ」と書かれているのでしょう。

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根来といえば根来寺で有名ですね。
戦国時代は僧兵を有する巨大な拠点だったそうです。

その根来地区を淡路街道は通って行きます。

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かだ、いずみの文字がある道標。

この付近になると長閑な光景が広がってきます。
田畑が多くなり農作業風景を楽しめました。

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関西では珍しい双体道祖神。
小さな祠に石仏がひしめき合っています。

おそらくは道路拡張時に
移設され集められたものとは思いますが
今もこうやって残ってるのを見ると嬉しくなります。

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静かな一本道が続きます。
人も車もめったに出会いません。

ある程度大きな集落が続いているずなのですが
ここまで何も出会わないのは不思議な感覚でした。

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粉河が近くになるとスタートの西ノ庄からは
標高が100m以上高くなっています。

全般的に起伏がある道筋になってきて
所々に大きな溜め池が増えてきました。

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粉河は西国三十三カ所の粉河寺がある集落。
街道沿いは宿などがあり賑わっていたようです。

粉河で貝塚からの粉河街道と合流します。

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今回のゴールは集落の外れにある
大和街道(和歌山)との追分です。

立派な道標と常夜灯がありました。

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ここから先は大和や遠く伊勢へと続いています。

  
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2016年12月01日

北信貴街道と信貴山旧参道・八尾→信貴山→平群

八尾から高安山越えを寒い時期に歩いてきました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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信貴山は人気のあるお寺で
特に寅年には大勢の人が訪れます。

河内平野から信貴山へ向かう街道は幾重にありますが
北信貴街道は遠く伊勢にも続く道筋です。

八尾の中心部よりスタートします。

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市街地の中にも関わらず
この旧道のクネクネ具合。たまりませんね。

やがて街道は桜の名所の玉串川にぶつかります。
南北5キロもの桜並木は春は花見で賑わいます。

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高安駅筋との交点に道標がありました。

「左 信貴山」
「右 八尾 大坂」

しっかりした文字で書かれています。

玉串川というと元々は大和川の本流でした。
現在の約4倍の川幅があったのですが氾濫が多く難儀したそうです。
そこで江戸中期に現在の流れに変更になったわけですが
この変更によって河内の街道においても格段に通行が便利になったことでしょう。

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高安駅筋を山に向かって歩いていきます。

少し狭いながらも交通量の多い道を抜けると
京都と高野山を結ぶ東高野街道との交点にたどり着きます。

山沿いの南北の交通はというと
現在は外環状線という幹線道路にとって変わりましたが、
ふた昔前(S40年代)までは東高野街道がメインでした。

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ここをバスやトラックが行き交っていたなんて
今の道幅などを見るとちょっと信じがたいところなのですが
それだけ当時は長閑だったということなのでしょうか。

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交点には大きな道標がありました。

「すぐ信貴山毘沙門天」
「毘沙門天王」
「和州信貴山道是四丁」

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今回の街道の見所の1つ教興寺。
大きな楠が立派です。

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風情ある町並みが広がってきました。
勾配がキツクなり眼下には大阪平野が見えてきます。

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狭くて細い道が続いてきますが
この辺りから増えてくるのが「町石」です。

寺までの距離程が書いてあります。
かつては一丁(約100m)ごとに立っていたそうですが
現代はなくなってしまってるものが多いようです。

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いよいよ、山の中へ。
入口に信貴山道の案内標識がありました。

一見、普通の山道に見えるのですが
勾配は登山道に比べると緩く設定されていて
多くの人が行き交った街道の雰囲気を感じることができます。

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所々には九十九折になっている場所があったり、
明らかな人工的な石積みがあったり。

森の中をどんどん進んでいきます。

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やがて視界が開けると高安山霊園に出ました。

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この霊園付近の街道は開発で一部消滅しているのですが
スカイラインの裏手には旧道が痕跡が少し残っています。
(この件はヤマレコでのレポに詳しく書いてみました)

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スカイラインの一部は昔は電車が走っていました。
今も随所に痕跡を見ることが出来ます。

ちなみに開業する前の電車の搬入経路はというと
ケーブルカーで持ち上げるという驚くべき方法だったそうです。
(詳しくは→信貴山急行電鉄wiki

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信貴山門バス停の手前には、
旧道にあった石碑などが集められていました。

左は信貴山までの距離の町石。
右は伊勢神宮への常夜灯。

こういうのがあると伊勢へ続いてると実感させられますね。
スカイラインから外れると街道沿いには古い家が多く良い雰囲気でした。

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街道は信貴山(寺の中)へと入ってきました。

現代の参道は大きな橋が架けられているのですが
昔は一旦谷底に降りるルートになっていました。

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急な下り坂に急な上り坂。

ふと道横にある常夜灯の刻んでる字を見てみると・・・
全部が全部、見事に年代が古い!

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参道が新しい別ルートになってしまったので
新しいものが立っていない=立てる必要がないということなのでしょう。

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旧参道はこんなところに出てきます。
有名な朝護孫子寺はすぐそこ。

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街道は右に折れて平群側へと下る形になりますが
せっかくなので「空鉢さん」という信貴山頂上に寄り道してみました。

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空鉢さんは「一願成就」の守護神として信仰されています。
戦国時代においては信貴山城があった場所でもあります。

ここからの眺めは頂上だけあって絶景です。

特に南側には隔たるものが何もないので
他の展望台に比べると葛城山など一風変わった眺めを楽しめます。

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街道に復帰してゴールを目指します。

仁王門を過ぎれば下り道がずっと続く形になります。
一本道なのですが結構キツイものです。

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途中で奈良盆地を一望できたり
信貴山のペイントされたタンクがあったり

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龍田越奈良街道と合流してゴールとしました。
北信貴街道はバラエティーに富んで楽しい道でした。


 
  
 
posted by にゃおすけ at 10:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 大阪から奈良への街道 | 更新情報をチェックする