2017年01月26日

大文字山からの京都の絶景と明治の香り

如意ヶ嶽の支峰である大文字山は、
毎年8月16日の「五山の送り火の大文字」で有名で
山上や火床からは京都市内を一望することができます。

IMG_1975.jpg



IMG_1977.jpg

大文字山へは幾つか登山道があるのですが
一般的なのは銀閣寺から登るものです。
急登ですが最短距離で登ることができます。

今回は三条から東海道を進み、蹴上、南禅寺を経て、
山頂、火床、銀閣寺を経由して吉田山、京大に至るルートです。

IMG_1985.jpg

ルートを先に明かしちゃいましたが
今回はミステリーツアーと称しての計画でした。
三条駅集合だけを告げて行き先は明かさずというもので
参加者の中には比叡山に行くのか?大津に行くのか?と
皆一様にドキドキしていたのは面白いところでした。

IMG_1988.jpg

IMG_1991.jpg

まずは蹴上、南禅寺付近。
紅葉や湯豆腐の名所だったりするわけですが
この一帯は明治の香りが漂っています。

琵琶湖疎水、インクライン、水路閣 etc

古い煉瓦造りの建物群は
東京遷都によって荒廃しつつあった京都が
いかに復興していったかがわかるものです。

IMG_1995.jpg

IMG_1997.jpg

日本で最初の営業電車は
琵琶湖から水を引くことで得られた電力からですし、
水を引くことになった理由はそもそも飲料水確保からのもの。

IMG_2003.jpg

IMG_2006.jpg

サスペンスでよく出てくる南禅寺の水路閣も
京都の復興の為ならと境内を通すことを許可しています。

IMG_2022.jpg

IMG_2048.jpg

IMG_2051.jpg

さて、前置きが長くなりましたがメインの大文字山です。

山頂からの眺望はそれなりに良いものがありますが
火床と呼ばれる場所はそれ以上のものがありました。

IMG_2063.jpg

正直ここまで展望が良いとは思いませんでした。
正面には愛宕山、遠くは大阪市内のハルカスや男山、
金剛山や生駒山、手前に吉田山、御所に京都タワー。etc。

標高がそれほど高くない分、
有名な史跡が目の前に手に取るように見えます。

IMG_2069.jpg

ちなみに「大」の字の中心部にある特別な火床は
京都人にとって神聖なものだから入ってはいけないのだとか。
傍にいた自称観光ボランティアが言ってたのですが
皆さん中に入って記念写真を撮っている様子。

IMG_2085.jpg

IMG_2103.jpg

急坂を下りていけば銀閣寺。
さすがの賑わいがありました。

IMG_2104.jpg

この後は吉田山に登って京大を見てから帰りましたが
吉田神社の辺りは一般的な観光ルートではないだけに
京都の新たな一面が見れて面白いものでした。


  
 
posted by にゃおすけ at 11:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近畿ボラボラ | 更新情報をチェックする

2017年01月19日

熊野古道紀伊路その7・湯浅→御坊

熊野古道で現存している
最長の石畳を楽しめる区間です。

IMG_5888.jpg


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

IMG_5756.jpg

湯浅駅近くのJR線をくぐると
昭和の雰囲気が残っていました。

「すぐ勝楽寺」の道標。指差しがいい感じ。
湯浅は古い町だけあって寺が多いですね。

IMG_5759.jpg

IMG_5762.jpg

紀伊國屋文左衛門の碑。

紀州みかんや塩鮭で富を築いた話で有名なのですが
不明な点が多くて架空の人物とする説があるそうです。

久米崎王子跡を過ぎると広川沿いを進みます。

IMG_5770.jpg

ゆったりした流れです。

広川インターの手前で川を渡りますが、
この場所で川を渡るのは江戸時代に入ってからのことで
古来の熊野古道はそのまま左岸を進んでいました。

IMG_5782.jpg

IMG_5781.jpg

IMG_5784.jpg

その証拠となるのが津兼王子の場所。

高速道路の工事で周辺が変わってしまってますが
場所的には広川インターの中でだいたい合っています。

ここが古来からの道筋にあたるところで
ルート付け替え後の新道には新しく王子が作られています。

IMG_5787.jpg

IMG_5788.jpg

IMG_5790.jpg

井関から河瀬にかけては宿場の役割がありました。
かつては旅籠が何軒も並んでいたそうです。

集落の入り口には絵図が飾ってあったのですが
井関の住民が幕末の頃を思い起こして後年に描かれたものです。

下の絵は先ほど広川を渡った場所の様子。

IMG_5792.jpg

幕末なのでルート付け替え後になります。
右手に木が数本植わってる場所が一里塚の跡で、
その近くに新しい王子があったといわれています。

IMG_5800.jpg

IMG_5793.jpg

河瀬王子の手前で再び広川を渡ります。

絵図には土橋が描かれていて
右のこんもりした森が河瀬王子にあたります。

橋のたもとには供養型の道標。
天保の大飢饉の折に立てられたものです。

右、いせ、かうや道。

IMG_5803.jpg

IMG_5807.jpg

もう一つ自然石の道標もありました。

紀三井寺とは西国2番の札所。
熊野古道紀伊路は1番札所である青岸渡寺から続いている
西国三十三か所参りの巡礼道の一面もありました。

IMG_5811.jpg

巨石が残る河瀬王子跡。

祠も何もない状態なのですが
雰囲気的に何かを感じる場所でした。

王子は江戸時代の一里塚と同じく
休憩する目印の役割もあったといいますが
ここは休憩するにうってつけで涼かったです。

IMG_5815.jpg

今回の難所は鹿ケ瀬峠。

峠の入り口にあるのが地蔵寺です。
ご本尊様は汗かき地蔵とも呼ばれているのですが
険しい峠道を旅人の後ろから背中を押して手伝っていたので
汗をかいたという話が残っています。

IMG_5818.jpg

IMG_5828.jpg

街道マップにない本来の旧道入り口がこちら。

案内看板が倒れてしまっています。
この先は崩れてしまっているので廃道になる運命なのでしょうか。

IMG_5830.jpg

IMG_5833.jpg

イノシシ除けの門をくぐると草道が続きます。

草が足にまとわりつくほどのものなので
雨が降って水分を含んでいたら大変でしょうね。

IMG_5835.jpg

IMG_5847.jpg

IMG_5846.jpg

IMG_5856.jpg

大峠(鹿ケ瀬峠)の手前にあったお地蔵さんは
下半身の病気に霊験があると言われています。

お地蔵さんが立っていた場所ですが
明らかに旧道の雰囲気が残る切通しになっています。
これが元々の本道である可能性が高いように思いますが、
先のほうで崩れてしまっています。

IMG_5854.jpg

IMG_5855.jpg

紀伊山地は雨が多い地域で土砂崩れも多い場所です。
ここも何かしらの理由でルートが付け替えられたのでしょう。

IMG_5858.jpg

IMG_5860.jpg

大峠(鹿ケ瀬峠)の展望はよくありません。

ちょっとした広場になっていて
元々は茶屋が数軒あったので平坦です。
周りを見てみると立派な石積みが残っていました。

IMG_5870.jpg

IMG_5872.jpg

IMG_5873.jpg

小峠は大峠と違って若干眺望がききました。

ここから石畳が始まります。

IMG_5877.jpg

IMG_5881.jpg

やはり復元ものとは違ってホンモノは違います。

石には苔がついていて滑りやすく
しかも急坂なので要注意です。

約500mほど歩いて熊野古道公園付近で終わります。

公園といっても廃墟になりつつある広場で
熊野古道ブームの時に整備されたのでしょう。
何年か先には自然に戻ってしまうかもしれません。

IMG_5895.jpg

IMG_5900.jpg

紀伊名所図会にも描かれている金魚茶屋付近。

清流の水を引き込んで金魚を飼ってたのが有名で
旅人の疲れを癒していたそうです。

IMG_5902.jpg

見事な水田がある集落。
ここからは舗装路が続きます。

四ツ石は後鳥羽上皇の聖跡。
存命中に29回も熊野詣をしたのは大したものです。

IMG_5919.jpg

IMG_5924.jpg

IMG_5933.jpg

内ノ畑王子、高家王子と進みます。

IMG_5947.jpg

歩いてると地蔵型道標をよく見かけますが
地名が書かれてるところは赤い布が掛かっている場合があるので
めくって見ないことには確認することができないのですが
地名が書いてあると嬉しいものがあります。

IMG_5959.jpg

IMG_5965.jpg

IMG_5982.jpg

善童子王子、愛徳山王子を過ぎて道成寺。

本堂は正平12年(1357年)頃の竣工のもので
寺に残る仏像群の大半も平安時代のものです。

仁王門、三重塔などの諸堂塔は
近世を通じて徐々に整備されていったそうです。

IMG_5980.jpg

IMG_5984.jpg

道成寺といえば釣鐘饅頭です。
和歌山のお土産におすすめです。


  
posted by にゃおすけ at 15:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする

2017年01月12日

熊野古道紀伊路その6・海南→湯浅

峠が3か所あるダイナミックな区間です。

IMG_5507.jpg


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

IMG_5497.jpg

熊野一の鳥居跡。

今は何も残っていませんが
かつては巨大な鳥居が立っていました。

いわば熊野の玄関口にあたる場所で
中にはこの先にある藤白神社でお参りして満足すると
引き返して帰った人も少なくなかったといいます。

IMG_5516.jpg

藤白は全国の鈴木性のルーツともいえる場所です。

熊野の神職で神聖な「すすき」というのがあるのですが
これにちなんで「鈴木」の名字を名乗った人が
藤白王子の神職になったことが由来のようです。

「鈴木さんいらっしゃい」ののぼりが面白いですね。

IMG_2386.jpg

IMG_5514.jpg

熊野古道の提灯が美しい藤白神社。
なかなか立派な境内です。

ここから先には藤白坂が待ち構えています。
非常に険しく大坂から最初の難所といえる場所です。

IMG_5527.jpg

IMG_5533.jpg

IMG_5549.jpg

坂には旅人の無事を祈るように
一町ごとに石仏がおかれています。

この石仏群は道の荒廃によって不明になったものがあるのですが
近年になってほぼ昔の場所に復元されつつあります。

IMG_5537.jpg

IMG_5542.jpg

IMG_5544.jpg

坂は地道が基本になってるのですが
中には階段で整備されている場所がありました。

急坂を上っていくと展望が開けてきました。
海南の海が綺麗なこと!

IMG_5547.jpg

IMG_5551.jpg

IMG_5552.jpg

筆捨松と硯石。

植わっている松の樹齢は若いのですが
いわれ自体は平安時代と古いもので
宮廷の絵師が熊野権現の童子と絵書き対決をして
絵師が負けたので根元に筆を捨てたとありました。

硯石はその話にちなんで
江戸時代に作られたものになります。

IMG_5561.jpg

峠のピークにあるのが地蔵峰寺。
本殿は室町時代のものです。

ちょうどこのあたりが藤白塔下王子にあたります。
当時は峠のことを「塔下」とも書いたのでしょうか?

IMG_5557.jpg

IMG_5559.jpg

ちなみに寺の裏からの眺めは
和歌山県朝日・夕陽100選に指定されています。

IMG_5565.jpg

峠から先は舗装されている箇所もあるのですが
新道と旧道が入り組んでいてややこしいです。

ここで助かるのが現地の案内看板。
これに沿って歩けば安心です。

IMG_5569.jpg

IMG_5572.jpg

これまでいろんな街道を歩いてきましたが
細かな分岐点にまで案内看板があるのは素晴らしいもので
あの東海道でさえここまで多くのものは記憶にありません。

これはひとえに熊野古道のメインたる場所が
和歌山県という一つの自治体で完結しているので
街道全体を整備しやすかったのではと思ったりもします。

IMG_5582.jpg

IMG_5589.jpg

橋本の集落に入ってきました。

「土橋」という橋を渡りますが
紀伊名所図会にも描かれている橋です。

絵を見ると川沿いにも道があるのがわかります。
これは難所の藤白坂を避ける別ルートのもので
和歌の浦方面への海路がありました。

IMG_5587.jpg

では行き(熊野方面へ)も海路だと楽と思うのですが
そこは苦労したほうが御利益的なものがあったのでしょう。
帰り限定で利用されてた旨が書かれていました。

IMG_5592.jpg

橋本は紀伊名所図会にも描かれていた場所だけに
人々が集まるジャンクションでもあったようです。

古風な家が所々に残っていましたが
かつては茶屋などが立ち並んでいたと思われます。

IMG_5593.jpg

IMG_5595.jpg

お菓子や柑橘類の神様で有名な
橘本神社は所坂王子跡でもあります。

境内には橘の木が植わっているのですが
古い時代に苗木を中国から持ち帰ってきたもので
いわば有田ミカンの先祖にあたります。

IMG_5596.jpg

IMG_5598.jpg

IMG_5606.jpg

ミカン畑の中を進んでいくと
再び急坂が始まります。拝ノ峠です。

IMG_5609.jpg

IMG_5620.jpg

IMG_5626.jpg

なかなかの絶景です。
苦労した分ダイナミックな景色を堪能できます。

紀伊名所図会によると茶屋があって
昔の人も休憩しながら眺めていたことでしょう。

IMG_5644.jpg

IMG_5651.jpg

IMG_5657.jpg

IMG_5671.jpg

「宮原」集落に入ります。

町の真ん中に大きな有田川が流れているのですが
熊野古道は天神社付近から渡しで渡っていました。

かつての渡しの情景が下の絵図。

IMG_5677.jpg

IMG_5680.jpg

IMG_5674.jpg

中将姫ゆかりの得生寺を過ぎると
一里塚と文久年間の立派な道標があります。

IMG_5689.jpg

IMG_5693.jpg

熊野古道は平安時代に賑わった街道ですが
江戸時代においても重要な道筋になっていたので
このような近世のものも所々で見かけることができます。

IMG_5706.jpg

IMG_5707.jpg

本日最後の難所が糸我峠です。

振り返ると先ほど通ってきた拝ノ峠が見えました。
ぐんぐん標高をあげていきます。

IMG_5705.jpg

みかんの花が満開です。
下っていくと逆川王子がありました。

IMG_5718.jpg

IMG_5721.jpg

逆川の由来は近くに流れる川からで
地形の関係で海と逆方向に見えることからきています。
こういうトリックは東海道の左富士みたいなノリですね。

IMG_5725.jpg

方津戸峠。
湯浅に藩の役人が来たときは
醤油商人が見送りにきたといわれています。

さあ、湯浅の町へと入ります。

IMG_5733.jpg

IMG_5741.jpg

湯浅は醤油の町です。
ぷーんとする醤油の香りが町中に漂っています。

重伝達地区にも指定されているので
なかなか雰囲気の良い町並みが続いています。

IMG_5748.jpg


 
 
posted by にゃおすけ at 15:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする