2014年09月01日

『街道プレゼン』 富山の街道とルートの調べ方

関西の街道シンポジウムに参加してきました。
参加者各人がプレゼンをしていくのですが
私が今回選んだテーマは北国街道ものでした。

第2回 街道歩講 近江八幡シンポジウム
http://togetter.com/li/713823
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街道はどの道でも良かったのですが
お盆に歩いたばかりなので記憶が新鮮だったことと、
富山の街道は川の流れや信仰など興味深い部分が多いので
北国街道の富山市を中心にまとめてみました。

ルートの調べ方については
当日の参加の皆さんは詳しい方ばかりでしたが
街道を余り知らない人にも見てもらいたかったので
内容をわかりやすく仕上げています。

以下、当日に使用したプレゼンの画像と説明を
公開に問題ない範囲で書いていきます。
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お盆に富山県内を歩いてきました。
赤色の線が北国街道です。

左から高岡宿、小杉宿、富山城下、水橋宿の順に
約40キロの道のりです。
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ちなみに加賀藩の参勤交代は
紫色の線である海沿いの岩瀬浜を経由するルートでした。
このように富山城下を避けて通っていたことがわかります。

【補足】

なぜ、わざわざ富山城下を避けていたかなんですが
一般的な参勤交代でいえることとして通過する側も通過される側も
お礼やトラブル防止など気を遣うことが非常に多かったとのことです。

富山藩の場合は加賀藩の分家であって親しい関係でもあるのですが
親しい関係だったからこそ融通を利かせたのではと思います。

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富山は大きな川が何本もあります。

左から
小矢部川、庄川、神通川、常願寺川、黒部川

山から海までの距離が短い影響で、
増水時は一気に流れるようになっていたので
川が氾濫することが多かったようです。

このことから富山の北国街道は
時代や季節によってルートが変わったりと
複雑な歴史を刻んでいっています。

【補足】

有名なのは黒部川流域にある
山側の愛本橋ルートと海側の入善宿ルートです。

夏は水量が増えるので下流は通りにくい状態だったようです。
このため、一般的には入善宿ルートは使わずに
山側に迂回する愛本橋ルートを使用していました。
愛本橋ルートは別名で夏街道(上街道)とも呼ばれています。

また海沿いの地域では
地震による津波などでルートが変わった場所もあります。
水橋宿では内陸側に移転になっています。

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その中でも今回は神通川に焦点をあてます。
現在はこのような流れになっています。 
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昔はこんな感じでした。
おもっきり富山城の北側に蛇行してるのがわかります。

【補足】

旧流路は廃川地と呼ばれていて
官公庁を中心に区画整理されています。

名残りとしては松川の流れがそれです。
今は桜の名所になり春は多くの人で賑わっています。

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北国街道を赤線で書いてみます。
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明治時代に神通川が付け替えられてしまったので
元々の北国街道の一部は川底に沈んでしまいました。

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その現在の写真がこちら。

かつては真っ直ぐ道があったのだそうです。
このどこかに一里塚が眠ってるといいます。

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「神通川 船橋の図」松浦守美(1824〜1886) 株式会社 源 所蔵

旧神通川はどのようにして渡っていたかというと
このような舟橋が設置されていました。 

結構な規模だったので富山名所になっていて 
今も当時の様子を絵図で見ることが出来ます。

【補足】

浮き橋になっているので転落死する人が多く、
舟の上の板を幅広にしたりと試行錯誤を繰り返していたといいます。

また、洪水がおこるような流れの時は
舟をほどいて岸に寄せて流れが収まるまで待っていたそうです。

舟橋については
富山市郷土資料館のページにわかりやすい解説があります。
明治時代まであった実際の舟橋の写真もあるので興味深いです。


越中富山の船橋その1
http://www.city.toyama.toyama.jp/etc/muse/tayori/tayori29/tayori29.htm

越中富山の船橋その2
http://www.city.toyama.toyama.jp/etc/muse/tayori/tayori30/tayori30.htm

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すでになくなった現在においても
舟橋は富山市のマンホールにも描かれていたり。
公園の池で舟橋を再現するイベントがあったりと
市内を歩いてると何かしら名残りを見つけることができます。

さて、本題へと入っていきます。
このように富山市内だけでもルートが複雑です。

どのように調べていけば良いのでしょうか?
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私はまずガイドブックを用意しています。 

写真ばかり載せているものよりは
説明や地図が多くあるほうが計画する上でオススメです。
 
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次にネット上にあるサイトを参考にしています。

実際に歩いた先人のサイトの中には
GPSログ記録があったりするので計画する上で役立っています。

他に街道歩きに関係なくても地域の歴史を研究してるサイトは
現地の情報をピンポイントに多角的に分析していたりするので、
大変有難く参考にさせてもらっています。

あと、わからない点はメールで質問出来る点は
本にはない良さなのかもしれません。
 
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これらを参考にして
自分が歩く予定ルートを引いていきます。

【補足】

私はルートラボヤマレコで計画を使っています。
ルートを書いていく作業は紙媒体でも同じですが
デジタルだと現地でGPSを使って現在地把握が簡単です。
ただし電池切れや防水には注意が必要です。

詳しくは下記の街道歩きのススメをご覧ください。


『街道歩きのススメ』ルート作成から実践、記録まで。
http://borabora.seesaa.net/article/385760812.html
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ちょっとここで問題が。
上の図をご覧ください。

これにはルートが川沿いを通ってますが
18.jpg
こちらの図だと一本南の筋を通っています。

実際のところ、
町の中では適当に歩いていたと思います。
その影響からか資料によっていろんな説があるようで
果たしてどの道がメインだったか気になるところです。
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こういう時はまず航空写真で調べています。

これは終戦直後の米軍による撮影ですが
一本南の筋が目立っていて怪しいです。

一方、川沿いの道は船溜まりのようになっていて
とても多くの人が歩ける状態ではないようです。

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では江戸時代はどうだったかというと
古地図を見るのが一番手っ取り早いです。

近年ではデジタル化が進んできて
かつては現地に行かないとわからなかったものが
家にいながら見れるようになってきました。

【補足】

上のサイトは富山県立図書館のライブラリです。
富山県の資料が網羅されています。

この他にも調べるのに便利なサイトがあるのですが
リンク集として下記のページにまとめてあります。


『街道歩きのススメ』古地図や資料の調べ方。リンク集。
http://borabora.seesaa.net/article/400848931.html

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あと意外と便利なのがGoogle画像検索。
富山城、古地図 と検索してみるとズラ〜と出てきます。

特に城下の絵図というのは多く残されているので
検索すると数多くのものがヒットしてきます。
いろんな資料を見比べれるのは嬉しいですね。
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この中でもポイントになるのが、この2枚。

用水路の位置を古地図と現在の地図を比較すると
一般的に使われていた道筋は一本南の筋である可能性が高いです。
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さいごに。

ルートが正解かどうかは別として
疑問に思ったことは調べていくと楽しいものです。
歩く前に自分で調べていると現地に行ったときに
思わぬ発見や驚きがたくさんあるのではと思います。

では、エンジョイ!街道歩き!

以上です。

実はこの後は中山道の写真を使って
街道歩きでの写真の撮り方のプレゼンもしています。
これはまた次回にお届けいたしやす。 


  
posted by にゃおすけ at 16:44 | Comment(0) | TrackBack(0) | 街道シンポジウム | 更新情報をチェックする
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