2014年12月27日

恩智・中信貴街道・八尾→平群

八尾から信貴山、伊勢へと続く街道。
JR八尾駅から歩きます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

恩智街道とよばれている恩智までの区間は
明治に大阪市街から八尾駅まで汽車が開通してから
信貴山へのアクセスで大いに賑わいました。

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ただし賑わっていたのは短い期間。
汽車が八尾から奈良に延長になってしまうと
参詣者は便利な汽車で最寄駅まで行くようになりました。

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この写真の道標は明治時代のもの。

すぐ 柏原
すぐ 恩智 信貴山 右 柏原
すぐ 八尾

今の街道風情は住宅街になってしまってますが
古写真を見るに昔は見渡す限り田畑だったようです。

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先ほどから抜け道として利用する車が多いのに気づきます。
今も八尾から恩智に抜けるには一番便利な道のでしょう。

やがて桜の名所の玉串川と合流します。

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京都から高野山への街道である
東高野街道との分岐点には大きな道標がありました。

東 信貴山
西 大坂

南 高野山
北 平岡 京 道

平岡とは枚岡のことでしょう。
枚岡には河内一の宮の枚岡神社があります。

ここから中信貴街道と名前を変えます。

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次第に勾配がきつくなってきます。

生駒山系を越える道は
今回の中信貴街道の他にもいくつもあるのですが
大阪側から登るとどれも急坂で大変な道のりです。

その分、少し登っただけでも
大阪の町並みを遠望出来て良いのですが
やっぱ疲れますね(^^;

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恩智神社はこの辺りで有名な神社。

恩智といえば恩智越えという登山道があるのですが
今回はそれとは違う道になります。

昔の街道は恩智総池の横を通っていました。

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山の中に入って行くにつれ寂しい雰囲気になっていきます。
人気のある恩智越えとは非常に対称的です。

横には川が流れていますし
なかなか心地よい道なんですけどね。

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途中からは堰堤が作られてしまって旧道は消滅していました。
堰堤で切られてしまうことは山の中の街道ではよくあることです。

ここは無理をせず尾根道を伝って迂回します。

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消滅した旧街道とほぼ並行する形で
急登の登山道が続きます。

やがて旧街道と合流します。

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藪に包まれた合流点

合流地点では
かろうじてわかる旧道の雰囲気がありました。
旧道方向を見てみると完全に藪に包まれた廃道でした。

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峠を越え奈良側へ。
信貴山のどか村を通過。

ここからは脇道に入っていきます。
廃道まではいかないものの
半分忘れられかけた藪のある道。

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どんどん進んで行くと
やがて人里が見えてきました。

大阪から1つの山を越えただけなのですが
なんとも懐かしい光景が広がっています。

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龍田越奈良街道との分岐点でゴール。

この付近は江戸期は”竜田””龍田”と呼ばれ、
奈良盆地の西の主要都市だったそうです。

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posted by にゃおすけ at 21:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 大阪から奈良への街道 | 更新情報をチェックする
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