2015年01月06日

西国街道その4・三宮→大久保駅

西国街道と浜街道の交点よりスタートします。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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日曜の朝は人がまばらな神戸。
レトロな建物の中を進んでいきます。

三宮神社は神戸事件の場所です。
幕末に備前藩兵と外国人が衝突したものですが
同じようなことが堺や生麦でも起こっていますね。

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こういう衝突を避けるために
幕府は神戸をバイパスする徳川道を作ったのですが
通らなかったがゆえに起きた事件でもあったようです。

徳川道については

幻の徳川道その1・石屋川→鈴蘭台
http://borabora.seesaa.net/article/404875849.html

幻の徳川道その2・鈴蘭台→白川→大蔵谷
http://borabora.seesaa.net/article/405194579.html

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普段は人通りが多いアーケード街。
中華街で肉まんを買った後に歩くことがあるのですが
ここが西国街道だったなんて初めて知りました。

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お洒落な街路標識。
なんだか格好いいですよね。

アーケードの出口には
古い道路元標が保存されていました。

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やがて神戸駅前を通っていきます。
駅舎は昭和5年のもの。今も現役バリバリです。

神戸駅というと東海道本線の終着駅で山陽本線の始発駅。
高架橋はSLが走っていたせいか重厚感を感じられます。
こういう建築だったからこそ震災にも耐えれたのでしょうね。

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明治時代の神戸の中心といえば神戸駅でした。
現在は三ノ宮が中心といった賑わいがあるのですが
当時は市街地化すらされてなかったのだそうです。

では江戸時代の神戸の中心はというと
兵庫津(兵庫宿)という場所でした。

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兵庫津は、平安時代の日宋貿易のために整備され、
江戸時代には西国各地からの船舶の寄港地で賑いました。
街道は町の中心を通り海運と陸運の結節点だったわけです。

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この立派な建物は「岡方倶楽部」
昭和2年の建てられて今は資料館になっています。

この岡方という名前は兵庫津の地域区分で
岡方、北浜、南浜と3つにわかれていたそうです。

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兵庫津を出ると広い通りになり、
須磨寺付近までは道なりに進んでいきます。

この付近の昔の地図と見比べてみると
どうも北側部分を拡幅したような感じにうつります。
南側の歩道がちょうど旧道敷きになるかもしれません。

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他に古い地図を見ていると
溜め池があちこちにあったことがわかります。

現在は殆ど埋められてしまってますが
地名には池と書いていたりと名残を感じることができます。

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須磨寺付近の旧道を経ると
国道歩き。そして海岸線へと出てきます。

この辺りは晴れていると最高ですね。
須磨の山(鉢伏山)は見え、立派な松の木が生えてたりと
なんとも風光明媚で歩いていて楽しい区間です。

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この古いコンクリート壁は
かつては海際に続いていたものと思われます。

現在は壁の向こうには公園が広がっていますが
時代とともに海岸線が変わっていったということでしょう。

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大正時代に作られたモダンな橋。
橋の間からは海がよく見えていました。

なんとも長閑な光景ですよね。

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明石に近づくにつれ古い家も増えてきて
良い街道風情になってきました。

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垂水駅前にある海神社です。
国道は昔も今も神社を避けるように屈曲しています。

道路を隔てた海側にも鳥居があって
かつては船で着岸して参拝する人も多かったようです。
江戸時代は「日向大明神」と呼ばれていました。

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さあ、明石海峡大橋が見えてきました。

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対岸の淡路島もよく見えます。

ここには幕末には台場設置されていたのですが、
淡路島にある台場とともに外国船に睨みをきかせていました。

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現在もその跡が保存されています。
江戸時代後期の石積みが良い感じですね。

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やがてバイパス道である徳川道と合流すると大蔵谷宿です。

この辺りになると明石城下と同じ地域になるのですが、
宿場の宿泊に関する機能は大蔵谷が多かったのに対して
経済的な機能は西側の城下町に集中していたそうです。

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大蔵会館のある場所が
大蔵谷宿の本陣のあった場所のようです。

資料によると
江戸期は西国街道屈指の宿場として栄えたみたいで
宝永年間では本陣・旅籠61軒、馬46匹、駕仲間80人とあり
繁栄は明治時代末まで続いたとのことです。

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明石城下の中心部へと入っていきます。

古地図を見ると枡形が2ヶ所存在してるのですが
その1ヶ所目に日本標準時が通っています。

古い道標とともに立っている
標準時の子午線の石柱が目印です。

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明石焼きの店が多い街道筋。

ちなみに地元の明石市または東播磨以外の地域では、
明石焼きのことを卵焼きと呼ばれています。
なぜ他の地域では明石焼きなのかは
卵を調理した卵焼きと区別するためなのだとか。

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明石川を大観橋で渡ると城外になります。
この川は明石城の外堀的な役割があったのでしょう。

川を渡ると直角に北に進路を取り
少し進んで西へと進路を取っていきます。

この明石城を避けるように通る道筋は
敵の侵入を遅らせる意味があるのですが、
当時のこの周辺は田畑だったので見晴らしがよく、
敵の発見を早めたり、城の姿を遠くから良く見えたので
明石藩の威厳を示す意味もあったようですね。

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和坂で若干のアップダウンを進み、
水路が残る古い道筋を抜けると西明石です。

今は新幹線も止まる大きな駅になっていますが
ふた昔前までは何もない田園風景が広がっていました。

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街道沿いにある大きな池は「雲楽池」
蓮が一面に広がっていて実に圧巻でした。

ちなみに明石市内には約100か所の「ため池」があるのですが
兵庫県規模になると数は約4万。全国で一番なのだそうです。

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大久保に近づくにつれ
遠くに大きなマンションが見えてきます。

今や大阪や神戸のベッドタウンで人気で
西明石以上に開発されている雰囲気があるのですが
それでも街道筋は懐かしい光景が残っていました。

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次回は姫路城下を目指します。


   
posted by にゃおすけ at 20:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする
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