2015年02月19日

西国街道その8・伊部駅→岡山城下

この日の伊部は大賑わい。

IMG_1337.JPG


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

IMG_1330.JPG

駅に着くと凄い人。人。人。
前回とは全く違う光景に驚いてしまいました。

備前焼祭りが開催され店が立ち並び、
自慢の備前焼きが売りに出されています。

IMG_1334.JPG

IMG_1340.JPG

登り窯のある街道風情。
いかにも焼き物の町という雰囲気ですよね。

IMG_1345.JPG

左手に「大ヶ池」を見て進みます。
古くは名前の通り今以上の大きな池だったそうですが
江戸時代に堰が設けられ現在の大きさになったとのことです。

それにしても晴れていると気持ちがいいですね。
秋の空は高くて気分爽快です。

IMG_1344.JPG

IMG_1350.JPG

この先の西国街道の道筋は地図で確認すると
JRの在来線沿いでなく新幹線沿いを進んでいきます。

在来線の時代はSLが走っていたことから
出来るだけ勾配が少ないルートを通っていたり
トンネルを短くできるルートを通っています。

街道は峠を越える山道を通ってるわけですが
新幹線の時代になると土木技術や車両の性能があがったことで
再び最短距離である街道ルートになったということでしょう。

IMG_1358.JPG

香登の集落。
この先の吉井川の川止め対策の村であったようで
なまこ壁の立派な家々が軒を並べます。

IMG_1364.JPG

IMG_1356.JPG

ここには一里塚も残っていました。
大内神社の境内にあり石積みもしっかりしたものです。

稲荷社の備前焼キツネも必見です。

IMG_1353.JPG

IMG_1369.JPG

この付近から増えてくるのは金毘羅さんの常夜灯。
台座にはしっかりと文字が刻まれています。

IMG_1371.JPG

IMG_1372.JPG

IMG_1378.JPG

ずいぶんと秋が深まってきました。
たわわに実った稲の光景はいいものですね。
次の新米は岡山米を買ってみたくなります。

IMG_1384.JPG

IMG_1401.JPG

吉井川を渡ります。

広大な川なので渡しで越えていました。
香登側の渡し場跡は河川敷になってしまいましたが
反対側には一里塚跡が残り良い雰囲気がありました。

IMG_1407.JPG

IMG_1406.JPG

昭和16年の一里塚の石標です。
堤防脇にあるわけですが今の時代は車が多くて
ここにたどり着くのはなかなか困難です。
歩道があればいいんですけど、、、

IMG_1410.JPG

一日市宿。
入口には文政年間の常夜灯が立っていました。

宿場内はいたって普通の住宅街といった感じですが
本陣の他にも脇本陣が神社付近にあったそうです。

IMG_1423.JPG

IMG_1420.JPG

道中に立っている旧山陽道の標識。
岡山県内では山陽道と書く案内が多いような気がします。

ススキの穂と水路のある街道風情。
秋ですねー。

IMG_1427.JPG

IMG_1432.JPG

立派な指さし道標がありました。

こういった造形の道標は
決まって明治後期から大正期のが多いものです。
しかも関東よりも関西に多い気がします。

この道標も大正期のもの。

「せとえき、美作津山、道」
「神戸大坂、岡山廣島、道」

大正時代で「大坂」表記は珍しいですね。

IMG_1441.JPG

IMG_1438.JPG

果樹園が広がっています。
少し山沿いを進んでいくと藤井宿。
ここは岡山城下を前にした宿場町でした。

IMG_1474.JPG

IMG_1470.JPG

IMG_1458.JPG

宿場の西の端には幕末の動乱対策のために
岡山城下を通らない付け替え道の分岐があります。
神戸にあった徳川道のような役割です。

IMG_1477.JPG

IMG_1478.JPG

藤井宿の先では古代山陽道が右へと分けていきます。

道筋的には先ほどの付け替え道とどこかで合流した後に
岡山の先の吉備津神社付近で再び西国街道と合流します。

IMG_1485.JPG

IMG_1475.JPG

岡山県内では銀の鉄板屋根をよく見かけます。

元は茅葺の屋根だったわけですが
一説によると銀色は太陽光が反射するので
家の中が熱くならないのだとか。

晴れの多い岡山ならではの知恵なのでしょう。

IMG_1497.JPG

岡山市街地が近づいてきました。
東岡山付近になると旧道は車が溢れかえっています。

IMG_1493.JPG

ここにも立派な指さし道標。
こちらは明治38年建立のものです。

「長岡駅、西大寺観音、道」
「岡山玉島、神戸大坂京、道」

長岡というのは東岡山駅の旧駅名です。

IMG_1499.JPG

IMG_1507.JPG

百間川を渡ります。
川幅が百間(約180m)あったことが由来です。

IMG_1509.JPG

IMG_1516.JPG

総門付近には古い石積みを使った水路が見られます。
ここが岡山城下の入口にあたる場所です。

IMG_1518.JPG

IMG_1521.JPG

この付近は古い家がちらほら残っていました。
戦時中は空襲被害が大きかった岡山市ですが
この辺りはさほど影響がなかったのかもしれません。

街道は大きく左にカーブしますが
横に川が流れている影響なのでしょう。

IMG_1528.JPG

IMG_1536.JPG

ここで少し寄り道をしてみましょう。
次の交差点で右に曲がると岡山城が遠望できます。

川の流れと城とで風情がありますよね。

街道は他の城下町と同じく
城の周囲を避けるように進んでいきます。

IMG_1545.JPG

IMG_1551.JPG

路面電車が通る街道筋。

街道は小橋、中橋、京橋と3つの橋を渡って中心部に入ります。
まさに岡山城下へのクライマックスといった感じです。

かつては橋の上流に渡しもあったそうですが
あくまで地元の人用だったのだとか。

IMG_1548.JPG

IMG_1562.JPG

京橋はなかなか立派な橋です。
渡った左側には道路元標がありました。

IMG_1567.JPG

IMG_1575.JPG

やがて西大寺商店街の中に入り岡山宿に到着します。


  
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(6) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
にゃおすけさん、いろいろありがとうございました。無事昨日岡山まで歩いてきましたが、最後は台風の関係であまりゆっくり出来なかったのが残念です。そのせいもあっていろいろ見逃してしまっています...

それで、藤井宿の端からの迂回路ですが、こちらは道は現存しているんでしょうかね。
また船坂峠のところも雨が降っていたので、江戸時代の国境碑も見に行けませんでしたが、もし江戸時代の道が残っているならまたいつか歩きたいと思っています。
Posted by 街道Lover at 2017年09月18日 20:23
街道Loverさんへ。

おつかれさまです!

藤井宿の端の道ですが
江戸時代以前のルートの認識なので
ルートとして残っているかは不明です。

船坂峠の江戸時代の碑ですが
岡山側からはスロープがあって到達可能なようです。


Posted by にゃおすけ at 2017年09月19日 11:01
すいません、追記です。

新往来という表記ですが
幕末の混乱期の迂回路として
古山陽道を復活させたものだと思います。
Posted by にゃおすけ at 2017年09月19日 11:06
にゃおすけさん、こんにちは
お返事ありがとうございます。

藤井宿からの新往来はあまり使われなかったようなので残ってないのかもしれませんね。
そういえば、僕が歩いた日光御廻り道(幸手宿〜栗橋宿)というのも、元々日光街道の洪水の際の迂回路だったようですがほとんど使われなかったようで、何も痕跡が残っていないつまらない道でした・・・笑
Posted by 街道Lover at 2017年09月19日 16:19
すいません、追記です。
新往来についてちょっと調べてみたら、以下の場所に一里塚跡があるようです。その先はちょっと分かりませんがここまでは辿れそうですね

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/photodetail.php?did=1060812&pid=1366b243787a63e7af6b2cad234d901f
Posted by 街道Lover at 2017年09月19日 16:58
幕末の新ルートの短い期間にも関わらず
一里塚を作ってるあたり面白いところですよね。
情報ありがとうございます。
Posted by にゃおすけ at 2017年09月20日 13:10
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック