2015年04月24日

美濃路その1・宮宿→稲葉宿(国府宮)

久しぶりの名古屋の街道です。
東海道の宮宿より中山道垂井宿を目指します。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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日本三大土塀の一つ”信長塀”

この日の暑さは強烈でした。
熱田神宮の森からはセミの声が鳴り響いていました。

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東海道との追分にある立派な道標には
あらゆる地名が書かれてあります。

「北 さやつしま みのち 道」
「東 江戸かいどう」、「北 なこやきそ道」
「南 京 いせ 七里の渡し」

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美濃路は古い時代からある街道で
江戸期には将軍の上洛や朝鮮通信使なども通行したりと、
五街道に次ぐ重要路として整備されてきました。

今も随所に一里塚や面影を感じることが出来ます。
沿道には案内看板や休憩所が設置されいたりと
東海道の延長として歩く人が多くなってるといいます。

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熱田神宮を過ぎると国道を進んでいきます。
名古屋の道路は幅が広いのが特長的です。

かつての道筋はこの道路のどこを通っていたか
今や古地図で見比べるしか方法がありません。
道幅が広いのは防火防災の意味もあるのだそうで
戦後復興の都市計画がキッチリしていた成果といえます。

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佐屋街道は左へ。金山にて。

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大須の商店街付近では旧道を進んでいきます。

大須は若者が多く活気があります。
商店街の手前の仏壇街とは対称的な雰囲気です。

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街道は最初の宿場町。名古屋宿へ。

現在はビジネス街といった様相です。
名古屋城にほど近い場所になるのですが
かつては城下町の中でも町人街だったようです。

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今回歩くにあたっては名古屋の街道を網羅している
Network2010.orgというサイトを参考にさせてもらっています。

公開している図は名所が網羅されてて素晴らしいものです。
一部ルートで疑問に思うところがあったりするものの、
見ながら歩くとまるで江戸時代を歩いてる気分にさせてくれます。

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たとえば、写真の白川公園。
昔は寺がずらーと並んでいたそうです。

現在は寺の面影が皆無に等しいのですが
空襲の影響で古い建物はほとんど残ってない地域だからこそ
このような古絵図で現地で比較できるのはいいものです。

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白川公園の古絵図(Network2010.orgより

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堀川に架かる伝馬橋を渡ります。

この橋は織田信長の清須城から名古屋城へ
城下町を丸ごと引っ越しした時に架けられた代表的な橋です。

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現在の橋は大正9年製。
この付近は市中にも関わらず驚くほど静かです。
旧家が何軒か残っていて良い雰囲気でした。

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名古屋城を右手に見て
美濃路は西へと90度進路を変えて
一本道で次の枇杷島集落へと進んでいきます。

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枇杷島の由来は清音寺から

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庄内川を渡ります。

名古屋城の大外堀にもなっていた川ですが
ここには枇杷島橋という大きな橋が架かっていました。

かつては川の中ほどに島(中州)があったので
島を境にして「小橋」、「大橋」と分かれてたそうです。
しかも、巨大な木造二連の太鼓橋!

旅人は名古屋を目の前にして
凄いもの見せつけられた!と驚いたことでしょう。

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枇杷島の古い町並み。

古い雰囲気が残っています。
ただしこの付近は濃尾地震の影響が大きかったようで
建物は明治期以降のものが大多数になっています。

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入場無料の問屋記念館

枇杷島では川を利用して商いが活発でした。
それは江戸の千住、大坂の天満と並ぶ三大市場に数えられるほどで
問屋記念館ではかつての賑わいを知ることができました。

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名鉄の駅の名前にもある「新川橋」
橋のたもとには美濃路ポケットパークがありました。

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道標に刻まれた「つしま」の文字。
津島とは古くからある「津島神社」の門前町のことで
美濃路では津島へ向かう道をいくつも見ることができます。

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次の宿場は清須宿。

当時の城は五条橋から見える公園付近にあったそうです。
模擬天守の資料館とは違う位置にあたります。

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ちょうど木が茂ってるあたりが清須城跡

かつては清洲城の城下町で大い賑わった町は
「清須越し」によって一時はかなり寂れてしまったそうです。

その後、美濃路として街道筋が整備されることになると
今度は宿場町として再び息を吹き返したという経緯があります。

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本陣の門は今も健在。
濃尾地震にも耐えた立派な門でした。

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清須宿を過ぎると郊外の様相が出てきます。

かつて岐阜道との追分にあったという道標には
「左 京都道」としっかりと刻まれています。

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建てられた年代を見ると文政年間のもので
江戸時代に京都の表記は珍しいですよね。

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国府宮の一の鳥居。
ここから約1km北側の宮へと参道が伸びています。

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やがて今回のゴールである稲葉宿へ。
稲沢市なのになぜ稲葉?と思ったのですが
稲葉村と小沢村の一字をとって合併したそうです。

この日は国府宮駅前で宿をとりました。


    
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他の街道 | 更新情報をチェックする
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