2015年08月05日

孝子越街道・泉佐野→和歌山城

もう1つの紀州街道。
南海電車沿いに和歌山城へと進んでいきます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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スタート地点は紀州街道との追分。
立派な道標が立っています。

「左 紀州わか山」「右 大川あはしま」

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大阪と和歌山との県境には
いくつも峠が存在しているのですが
大きく分けて紀州街道(熊野街道)の雄ノ山峠と
今回の孝子峠が一般的に使われていたようです。

参勤交代にも使われた雄ノ山峠は
最短距離で結ぶのですが山間部は険しいのが難点で
対して孝子峠は距離は長いものの比較的楽なのが利点でした。

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9月はだんじり祭りの準備で大忙し

先ほどの道標に
「大川あはしま」と書かれていますが

「大川」は大川寺のことを指して
「あはしま」は加太の淡嶋神社のことを指しています。

また加太は淡路島、四国への港でもあったので
孝子越街道は単に紀州への目的の人だけでなく
これら参詣や渡航目的の人も多く往来していたようです。

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泉佐野の街道沿いにあった
古さを感じさせる天幕式のアーケード。
まだ早朝だからかひっそりした商店街でした。

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りんくうの高層ビルとは対称的な
レトロな雰囲気が広がっています。

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田尻町に入ると海が見えてきました。

孝子越街道はルート的には海沿いを進むのですが
意外と海を眺める区間がないので実は貴重な光景です。

その代わり少し山側に入った場所を通るので
アップダウンが多いのが特長的です。

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海沿いを進めば楽なはずなのですが
もしかすると他の街道の例にもあるように
海の災害を避けてのルート選定だったのかもしれません。

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今回の孝子越街道、紀州街道を含めて
大阪湾沿いを進む街道の歴史をひもいていくと
意外と歴史が浅いことがわかります。

江戸時代以前は内陸の熊野街道がメインでした。
一方、海沿いは住吉大社までは古くから往来があったものの
それより南は集落を結ぶだけの道といった感じだったようです。

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歴史が浅い理由はずばり海。
舟との競争があったからと言われています。

時が変わって江戸時代に入ると
参勤交代制度が始まり紀州街道が整備されていきます。
孝子越街道の原型も同じ頃に形成されたのではと思います。

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尾崎には立派な道標がありました。

「左、紀州 いせきごえ」「すぐ、大川 かだ」

天保年間に作られたもので、
左は井関越道を経由して紀州へと通じています。

対して下の孝子越街道の石碑は明治のもの。
孝子越街道の名称は明治に付けられています。

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尾崎港。
海沿いの集落といった雰囲気です。

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秋も9月の下旬になって
彼岸花をあちこちで見かけることが出来ました。

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国道26号に合流するあたりでは
大阪湾を丘陵から眺めれるようになります。

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この付近からみさき公園の駅付近までは
旧道と国道が交差を何度も繰り返していきます。

みさき公園駅を過ぎて深日の町へ。
ここは古くからの港町でした。

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町の中心部には千歳橋が架かっていて
橋を渡った場所で大川峠道と分かれています。

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左が孝子越え、右が大川峠越え

この付近は地図で見てみると
現代の国道より海側に大きく迂回してるのがわかります。

今の感覚からすれば迂回しなくても。となるのですが
当時の橋は千歳橋しか架かってなかったことに加え、
大川寺、加太方面に行く人が多かったことを考えると
ごくごく自然な道筋だったように思えてきます。

橋の先には時代を感じさせる
古いコンクリート舗装が残っていました。

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さぁ、孝子峠に向かいましょう。

峠の手前には孝子の集落があります。
下孝子、中孝子、上孝子と3つに分かれています。

孝子越えの峠は中孝子から分かれていて
上孝子には有名な孝子観音というお寺があります。

ここで峠についての疑問点が。

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江戸中期の古地図を見てみると
どこを探しても孝子峠が載っていないのです。
あるのは上孝子にある平井峠ばかり。

もしかすると孝子地域にある峠として
平井峠が孝子峠と呼ばれていたのかもしれませんが
いくら調べても裏付ける資料がありません。

少なくとも孝子観音にお参りした人は
平井峠を経由して紀州入りしていたとは思います。

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現代の孝子峠。

道路が開通したおりに
大きく掘り下げられてしまったようです。

この付近には歩道がなく
峠自体は楽なのですが車には神経を使いました。

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和歌山県側に入ります。

和歌山大学前駅付近は
近年の大規模開発によって地形が大きく変わりました。
そんな中でもかつての旧道が一部残っています。

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この草道。なかなかのものでしょう。

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ちなみに右側に見える大きな池は
元々はもう少し上の場所にあったそうですが
南海電車を建設する際に今の位置になったようです。

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梅原の交差点。
ここを左斜め方向へと曲がっていきます。
右側からは加太方面からの淡路街道と合流します。

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この辺りになると住宅街といった風情です。

和歌山市内の孝子越街道の道筋は
いろいろと説があって大いに悩まされたのですが
今回は歴史の道調査報告書を参考にしています。

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次郎丸バス停付近に残る旧道。
草道が良い感じに残っています。

変電所の裏を通っていくと北島交差点です。

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紀ノ川を渡る北島の渡し場へと道筋。
この狭い通路のような場所が旧道のようです。

左の用水路脇には古い石積みがずらーと残っていたり
所々で道幅が広くなっている場所があったりするので
かつては街道らしい道幅があったのかもしれません。

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北島の渡し跡。
神社が近くにあります。

この場所は和歌山市内からの
淡嶋神社、四国への淡嶋街道の追分でもあります。

紀ノ川を渡って和歌山市街地へ。

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大きな堀沿いに進んでいくと
和歌山城の京橋に辿りつきます。

それにしても今回の行程なのですが
計画では17:40までかかる予定だったところを
結局は15:40と2時間も早くの到着でした。

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これは、涼しくなってきたからと
道中はそれほど迷うところがなかったこと、
足さばきが終始スムーズだったからでしょう。

そのおかげか少し筋肉痛がきてしまいましたが
大阪マラソンに向け良い筋トレになりました。

  
 
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする
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