2016年06月09日

西国街道その16・高水駅→戸田駅

今回も見どころたくさん。
久しぶりに海に近い場所を歩きます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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呼坂宿。
朝焼けがとても綺麗でした。

名前の由来としては
宿場の西にある坂が海老のように曲がっているので
「エビ坂」と呼んでいたところ次第に「呼び坂」となっていったそうです。

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なかなかの急坂です。
石積みが立派!

峠の頂上部にはお地蔵さんもいらっしゃります。
こういう難所では安全を見守る石仏が多いですよね。
歩いていてなんだか安心します。

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岩徳線沿いを進みます。

この線は岩国と徳山とを結ぶ短絡ルートで
一時期は山陽本線と名乗っていたことがありました。

日々増大する需要に対応すべく建設を急いだので
谷あいを縫うように街道沿いに作られています。
おかげで旧道が吸収されてしまった場所が多いようです。

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藪道。
早朝からの藪こぎは想定外でした。

雨が降った後なのでズボンが大変なことに。

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久保市宿。間の宿です。

名前は窪地状になった地形の場所に
市が定期的に開かれていたことからきています。

坂のある町並みが広がります。

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この付近が塩売峠(たお)。

今も昔も真昼でも暗い場所で
昔は山賊が出没することがあったそうです

山口県付近では峠のことを垰と呼ぶことがあります。
「たお」、「だお」は他地方ではあまり聞きませんね。

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柿がたわわに。花岡宿。
八幡宮の門前町としても発展してきた集落です。

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花岡八幡宮は毛利家の祈願社で
花岡の地名の由来は八幡宮にあった大木からきています。

花が咲くころは集落中に香りがしていたそうで
そこから山号を花岡山と称しています。

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花岡八幡宮からの眺め。

こうやって町を俯瞰できる場所があるのは
なんともありがたいものです。

今回の区間においては
このような高台にある神社が数多く存在しています。
次の区間でも防府八幡宮のあたりを通ることになりますが
山口県内ではこのような形が流行っていたのかもしれませんね。

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末武川沿いを進みます。
途中で対岸に渡る場所がありますが
対岸は江戸初期の道筋と言われています。

桜並木が続いてるので春の歩きは最高でしょう。

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やがて難所の見上げ坂にさしかかります。
街道の前に立ちはだかる絶壁。

かつてはこの上まで一気にあがっていたそうです。
明治期になって迂回する道筋ができています。

江戸時代の道の痕跡がこちら。

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石積みがなかなかのもんです。
ちなみに入口は私有地なので入りにくいですが
少しでも痕跡が残ってるのはありがたいものです。

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たんたんと進み標高を下げていきます。

櫛ケ浜のあたりは
名前のとおり近くまで海だった場所です。

現国道はそのまま平地を通っていきますが
街道は再び山沿いへと進路をとっていきます。

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久米峠。
どことなく峠の雰囲気が残っていますね。

その先にある早乙女坂ですが
一説では当地では「早苗打ち」という風習があって
縁起をかついで道行く人に早苗を投げて祝儀を貰っていました。

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ところが、風習を知らない飛脚に若い女の子が投げたところ
無礼!と言われ斬られてしまったといいます。
なんとも悲しいお話しです。

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遠石宿。もう徳山宿は目の前です。

徳山は戦災で焼けてしまっているので
遠石は古き良き徳山の風情を今に伝えています。

海側にはコンビナートが広がります。

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徳山毛利家の氏神でもある遠石八幡宮。
祭礼には瀬戸内海の島々からも参拝者が訪れてたそうです。

遠石のいわれとなる石があります。
影向岩といわれる大石。

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大昔に八幡大神がここに降り立ったといわれていて
石の上には蹄の跡が残っているように見えます。

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かろうじて残っている念仏坂。

坂は通路のようになってしまっていますが
国道が拡幅されるまでは倍以上はあったでしょうね。

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公園内に道の痕跡が残る

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徳山宿の入口にはさすりぼとけの碑があります。
石をさすると脚の疲れが治ったり難病を避ける力もあったので
大勢の人が訪れて番所を置くほどの賑わいだったそうです。

足の疲れが治るのはありがたいですよね。
ずーと歩いていると当時の人の気持ちがなんとなくわかります。

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徳山宿は先ほども書いた通り、
戦災で大きくやられているので痕跡は殆ど残っていません。

かつて駅前のロータリーの北側には大きな寺があったり、
代々木公園付近には遊郭もあったそうです。

徳山は毛利4万石の城下町でもありました。

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徳山宿の西のはずれにある音羽橋。
富田川に架かる石橋だったのですが幾度も洪水で流れています。

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この川が城の外堀も兼ねていたのですが
ふと見ると錦鯉が泳いでいました。
なんとも優雅な光景です。

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新南陽駅筋を過ぎての道標。

右側に下のせきと書かれています。
てっきり江戸時代は馬関や赤間関と呼ばれてたと思ってたのですが
あとで調べてみると元々は下関と呼んでいたようです。

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山崎八幡宮。

ここも高台に上ってみました。
遠くの工業地帯がなんともいえません。

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今と昔とでは見え方は違いますが
かつては奥のほうは海だったと思われます。

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山崎八幡宮は学問の神として庶民に信仰されて
毛利家の祈願所でもありました。

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富田宿。
中心部で直角に曲がっています。

この平野付近は旧山陽道の駅のひとつ。
石の産地で賑わったようで近世は瓦作りも活発だったそうです。

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温田峠手前の追分は
左が明治道、右が江戸道。

江戸道は消滅してると資料には多いですが
実はかろうじて残っています。

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こんな感じ。
ほんとにかろうじてですが。

国道と直交して先にあるスロープを上れば峠です。

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温田峠。萩御水茶屋所があった場所。
温田観音さんは雨乞いの観音様です。

福川宿には本陣の門が残ります。

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夜市川沿いを進むと今回のゴール戸田。
ここから先は再び山道へと進んでいきます。

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posted by にゃおすけ at 14:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする
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