2016年07月11日

西国街道その20・厚狭駅→赤間関(下関)

長かった西国街道も今回でラスト。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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冬の街道歩きで難儀なのは夜明けが遅いこと。
しかも西に行けば行くほど遅くなってしまうので
今回の出立は6時にも関わらず真っ暗でした。

山野井八幡宮の前を進みます。
手前に明治にできた道との分岐があるのですが
下調べではどちらが旧道なのか迷いました。

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新道、旧道とも神社に向かって参道が伸びてるのですが
参道にある常夜灯の年号をチェックしてみると
天保年間のものと大正時代のものがありました。

これでどちらが旧道か解決したわけですが
迷った時は神社の石の構造物は大いに頼りになりますね。

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薄っすらと雪化粧をする蓮台寺の山。
街道は鉄道と分かれて峠道へと入っていきます。

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右、吉田。左、埴生 道。

鉄道は埴生へ。街道は吉田へ。
しかし元々の旧山陽道は鉄道と同じ埴生を経由でした。
江戸時代になって蓮台寺峠のルートが整備されています。

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せっかく整備された峠道なのですが
九州方面に行くには埴生経由が近道だったので
相変わらず多くの人が歩かない街道になっていました。

それでは次の宿場の吉田宿が困る!ということで

「下関や九州への渡航」を禁止する」

このような立て札を立てて
徐々に移行させていったといいます。

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さて、蓮台寺峠です。
入口付近は区画整理で消滅箇所がありますが
全体的に草道になっていて良い雰囲気です。

崩落個所があるので注意して進みます。
若干ぬかるんでいましたが大したことはありません。

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蓮台寺峠。
立派な切通しになっています。

峠には石積みの跡が残っていて
かつて茶屋(民家)が何軒か立っていました。

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峠を下っていくと吉田宿。
毛利藩本藩の所領で代官所も置かれ栄えていました。

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右、上方道。左、萩道。

上方とは京のこと。

山口県内は幕末から維新にかけての史跡が多いですが
吉田宿には奇兵隊の史跡が多く残っています。

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左の一見普通の建物に見えるのは元は志士の宿舎で
中は改築せず江戸時代のままの建築物とのこと。

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意外だったのは近くにある長慶寺。
戦国時代の大名である三好家が松永久秀との戦いに敗れて
ここに辿りついて廃寺を再興したものだそうで
まさか山口で三好家を見るとは驚きました。

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木屋川の右岸を進みます。
対岸へは夏秋は舟渡し、冬は木橋を架けて渡ってました。

新幹線の線路が見えてくると
旧道は崖上の狭い道筋へと入っていきます。

この道が実にわかりにくい!

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現在の車道にあたる部分は昔は川の中だったので
川を避けるように安定し場所を選んで通されています。

川を見下ろすような道筋は見晴らしがとても良く
江戸時代に作られた地蔵さんがおられました。

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小月宿。
下市は宿場町、茶屋町は歓楽街で栄えたとのことです。

宿場手前にあった大きな庚申塔は
日本一大きなものと言われています。

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右、かみがた道。左、とよた道。

ここにもありました上方道。
この付近では京と書くより上方のほうがメジャーなようです。

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見廻り通りは静かな風情です。
武士が庶民の暮らしや治安を見廻っていました。

ここからしばらくはほぼ道なりに。
長府城下町へと入っていきます。

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所々に木製電柱が残ります。

高台にある清末八幡宮から海を眺めたり
のんびりと西へ西へと進みます。

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長府宿(長府城下)の地名は
「長門国府」にちなみ府中と呼ばれた時期がありました。

国府があったということは
下関よりも国の中心地だったわけです。

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宿場の中ほどに立つ忌宮神社。長門国の二の宮です。
境内にはニワトリと鳩がいっぱいでした。

長州といえば土壁のイメージがありますが
街道沿いにも古い家々が残ってて良い感じです。

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功山寺は高杉晋作挙兵の地です。
街道は寺の横を進みます。

さぁ、ゴールまであと少し。
ここからは別名で野久留米街道とも呼ばれています。

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辻堂峠を越えて見えてきたのは。
九州の山々と関門海峡大橋。

この見えた瞬間は格別でした。
広島県内でも九州が見える場所があるのですが
それとはまた違う感動があるわけです。

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前田の集落は古代山陽道の終点の地。
ここからしばらくは土地の改良で消滅してる部分が多くて
ゴールに向かってすんなり進めないのは歯がゆいところです。

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右、上方道。左、すみよし道。
すみよしとは住吉神社のことで長門国一の宮。

赤間神宮はなかなか特徴的な建物をしています。

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昔は鳥居のそばまで海があったようで
海からの参拝も考慮されていたものと思います。

赤間関宿の本陣伊藤邸付近。
遺構自体は井戸を除いてほとんど残ってないように見えますが
大きな敷地に名残を感じることができました。

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下関は戦時中の空襲によって大きな被害を受けました。
よって古い家はほとんど残ってないように思います。
また道筋も再開発によって消滅した箇所が多くなっているようです。

亀山八幡宮の石垣には焼夷弾の跡が残ります。

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その亀山八幡宮ですが海に突き出た地形の場所にあるので
堂崎の渡しという九州への渡船場がありました。

大きな鳥居の横には山陽道と書かれた碑があることから
ここが西国街道のゴールとする説があります。

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しかしながら、一里塚の位置を考慮すると
ここが本来のゴールというのは少し疑問が残るところで
現在は永福寺前の一里塚跡がゴールという考えが一般的なようです。

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亀山八幡宮から永福寺までは
大きく山側に迂回するような道筋を取ります。
これは湾があった影響で船溜まりになっていました。

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この立派な碑がある場所が永福寺前。
これにて西国街道を完歩としました。

全体の感想としては
またおいおい書いていこうと思います。

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posted by にゃおすけ at 14:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする
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