2016年10月05日

北国街道その17・善光寺→矢代宿

善光寺の参道から。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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今回の行程の篠ノ井追分までの3/4の区間は
善光寺西街道(洗馬宿→善光寺)の時に歩いているのですが
逆方向での歩きは景色が違うもので新鮮さがありました。

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JR長野駅方向に伸びる一直線の道。
早朝は人がまばらなので気持ちが良いものです。

季節は3月。綺麗な梅が咲いていました。

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線路を渡って長野駅東口に出ます。

街道は拡幅工事の真っ最中のようでした。
数年後には景色が一変していることでしょう。

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長野市街地を歩いていて思うこととして
小さなお寺があちこちにある印象があります。

善光寺の門前町で栄えていた影響と思いますが
城下町松本市と比べても多い気がします。

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丹波島の渡し跡。
松本平から流れてくる犀川を渡ります。

この川は急流で水量が多いことから川止めが多く、
松代道で迂回することが度々ありました。

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丹波島宿。
宿場の端には秋葉さん。

バランスが取れた造りでなかなかのもの。
北信濃では集落の入り口に祀られることが多いですね。

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篠ノ井駅まで一本道。
車はさほど多くない長閑な風情が続きます。

篠ノ井駅周辺は駅前ということもあって
商店が並んでいて結構な賑わいがありました。

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ところがこの駅周辺の賑わいは鉄道が開通してからのもので
それまでは篠ノ井追分あたりが更級郡の中心地でした。

「篠ノ井追分宿跡」の碑。

宿とありますが正式な宿場ではなくて
間の宿の扱いです。

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この追分で松本、名古屋方面の善光寺西街道と北国街道が分岐します。
追分から少し行った所にあったのが郡役所跡です。

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今は農地になっていますが
ここが江戸時代の中心地になります。

矢代の渡しのすぐ近くの場所だったので
人の行き来も多くて交通の要衝だったことでしょう。

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「舗装記念碑」

車が頻繁に通るようになった昭和30年代。
当時の道は土道が一般的であったので
交通量の多い街道沿いは土埃が蔓延していました。

道沿いの家々は年中窓を締め切ったままの暮らしだったので
その状況を打開する策が道路の舗装化だったわけです。

現代では舗装路が当たり前になっていますが
この記念碑から当時の人々の嬉しさが伝わってくるかのようです。

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矢代の渡し跡。

軻良根古(からねこ)神社のすぐ脇がその場所です。
面白い名前の神社ですが当地を収めていた篠ノ井氏は
高麗由来の人だった影響からきています。

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篠ノ井橋で迂回して向こう側へ。
橋からは白馬の山々がよく見えました。

対岸は矢代宿の入り口にあたります。

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左から松代道と合流すると本陣付近。
そしてほどなく屋代駅でゴールとしました。

今回の行程では少し早めの13時にあがったのですが
まもなく無くなる大阪行きの特急しなの号で帰るためでした。

今は北陸新幹線が出来て多少は便利になってきたものの
大阪−長野間の移動は乗換があってまだまだ不便でなりません。
貴重な直通列車がなくなるのは寂しいものです。

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車中でお手製の記念乗車証を頂けました。


  
 
posted by にゃおすけ at 15:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 北国街道(北陸道) | 更新情報をチェックする
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