2017年07月10日

奥州街道十次その2・氏家宿→大田原宿

ひさびさの関東での街道歩き。
今回の遠征で五街道踏破となりました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

氏家宿は江戸時代は鬼怒川の水運で発展した宿場でした。
特産物の集積地だったので旅籠も大変な活況だったのですが
現在の中心部は交通体系の変化でひっそりしてます。

これはこれで昭和の雰囲気があって良いですね。

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この立派な門は江戸時代の絵図にも描かれているものです。
氏家周辺は水害が多く常に悩まされていたようですが
酷いときは門の半分まで浸かったといいます。

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瀧澤家住宅。

土蔵の上に塔を配した建築様式は
氏家の人気スタイルでしたが今はこの一軒のみに。

明治天皇行幸時では小休所として利用されていました。

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二十三夜塔に麦畑に大谷石を使った建物。
この3点は北関東の街道歩きでの定番の眺めでしょうか。

関西では見かけない光景なので新鮮ですね。

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民家の庭の中に残る一里塚。

一里塚がある街道は幹線であることが多いので
明治以降は払下げや道路拡張で崩されることがよくありました。
ここは庭に取り込んでくれていたおかげで現存してくれていて
これも一種の払下げですがありがたいことです。

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やがて関東平野の終わりである早乙女坂に入ります。
江戸時代からは弥五郎坂という名前でも呼ばれています。

さすがは平野の終わりなだけあって段丘になっていて
戦国時代は戦場になっていたといいますが
段丘からの眺めは非常に良いものです。

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途中から土道に入りますが
道路脇は崩れることが多かったということで
明治の早い段階で迂回ルートが開削されています。

道の横の盛り土を見ていると
崩れている箇所が何か所も確認できました。

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橋を渡って喜連川宿へ。

江戸時代にも橋が架かっていたのですが
洪水でも流されない特殊構造だったといいます。

道標には「右 江戸道、左 下妻道」の文字。

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喜連川宿は城下町でもありました。
脇道には風情ある路地が残っています。

本陣跡にはお洒落な建物が建っています。
パッと見は新しく見えますが実は大正時代のもの。

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宿場の出口は鉤状の大きな枡形。
北の備えは万全といったところでしょう。

アップダウンした道を進んでいくと
今回の区間のクライマックスともいえる旧道が現れます。

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養豚場が広がる丘陵地帯。
地図にある旧道に見える道筋は明治に作られたもので
江戸時代の道は右横に平行して残っています。

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若干荒れていますが見事な痕跡です。
ゴミが放棄されていますが普通に歩けます。

掘割状の道筋は500mほど残っています。
ここも早い段階で道路の付け替えが行われた関係で
今も昔のままの姿を見ることができるのでしょう。

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高原山が遠くに見えてきました。
1.5車線な感じの道がのんびりと続きます。

やがて佐久山宿。

城下町でもある宿場町で
那須氏発祥の地でもあります。

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入口付近の家には立派な看板が掲げられていました。

江戸時代の看板のスタイルはというと、
歩く人から見やすい位置にあるのが一般的ですね。
よく時代劇で見るような店の正面上にドーンと掲げるタイプは
どちらかというと少数派だったみたいです。

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美しいせせらぎ。
イトヨが生息しているほど水が澄んでいます。

近くにあった「蒲盧碑(ほろひ)」は文化9年のもの。
那須野に一隊の兵士が行進する蜃気楼が現れことが記されています。

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なんだか少しオカルトの香りが漂っていますが
この手の伝承というのは日本各地によくあるものです。
ただ碑にしてまで残すというのはレアかもしれませんね。

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蒲盧碑の近くには「町初碑(まちはじめひ)」もありました。

「此町初 寛永四ひのへ卯年」と書かれていて
町の起源を明らかにしていた碑は大変珍しいもので
書物で残すのが大半なだけに歴史的価値がありますね。

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水田と高原山と。イイ感じですね。

佐久山宿から大田原宿までの道筋には
松並木があったのですが戦時中に伐採されています。

この辺りの奥州街道は佐久山街道とも呼ばれています。

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大田原宿(城下)に入ります。

入口には珍しい洋風の愛宕神社がありました。

宿場の出入り口に火災防止のために
火の神様を置くことが多いですが大田原もそのようです。

神社の横には薬師堂もありましたが
まるで日光のような立派な彫刻で立派でした。

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城下町らしく屈曲のある道筋が続きます。

大田原と言えば那須与一。大田原城。
他の見どころとしては金灯篭でしょうか。

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文政2年に防火や町内安全や旅人の夜道の無事を祈願したもので
初代は戦争の時に供出、2代目は他の地区からの借りもの。
今のは三代目で昭和54年に初代に似せて作られています。

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大田原城城内

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大田原城を横に見て蛇尾川の橋のたもとへ。

普段は川の水量は少ないのですが
大雨になると砂利の上を一気に流れる暴れ川になるそうです。
そのため江戸時代は橋は無く徒歩渡りになっていました。

写真の渡り風景は明治のものなのでしょう。

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宿は橋から徒歩5分のところにある民宿を取りました。
今どき3500円での素泊まりは嬉しいですね。

次は白河宿まで約40キロの行程になります。



  
  
posted by にゃおすけ at 14:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 奥州道中十次 | 更新情報をチェックする