2018年07月11日

また歩いてみたい西国街道、岡山、広島

被災された皆さまには、心よりお見舞い申し上げます。

今回の災害においては広範囲に被害が渡っています。
岡山、広島以外にも大きな被害があると思いますが
とりわけ実際に歩いた場所となると思い入れがあって
日々の報道に耳を傾けては気を揉む毎日です。

街道歩きでは歩く前準備で歴史を丹念に調べあげたり、
現地では歩行時間がかかることで滞在時間が長かったり、
古老との語らいもあったりと濃い旅を楽しむことができます。

今回は西国街道のハイライトというべき区間である
岡山から広島にかけて振り返ってみようと思います。

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西国街道その9・岡山城下→矢掛宿
ブログ:http://borabora.seesaa.net/article/414575941.html
写真集:https://photos.app.goo.gl/4BeQLZ4Ds6oU4qcp9

国分寺付近や真備、矢掛の辺りは大部分が平坦なので
古の旧山陽道らしい風情を心地良く味わえます。

かつての旧街道は沿岸部ではなく内陸部を通っていました。
今の感覚からすると不思議に思う人が多いと思いますが、
昔からある道のルートというものは理由があるもので
沿岸部を通らない事情があったものと思います。

瀬戸内の独特な地形や地質はその理由の一つで、
大昔は沿岸部の地盤が安定していなかったといいます。
しかしながら内陸部も今回の災害のように安定とは言いずらく、
一部は活路を海に求め舟での海運も発達していきます。

真備付近は昔から川の氾濫が多かった場所でしたが
場所によっては山の中腹に道を通しているように
川の氾濫を見越しての何かしらの対策が見られます。
現代になって治水が発達して安全になったと思いがちですが
過去の災害の事例は大事だと改めて考えさせられます。

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西国街道その10・矢掛宿→横尾駅
ブログ:http://borabora.seesaa.net/article/432286235.html
写真集:https://photos.app.goo.gl/nsYQfkXwEaWAb8Ky8

この区間も平坦で心地よく街道歩きを楽しめました。
矢掛宿はなまこ壁の漆喰など一体感を感じる良い町並みです。
また国境を越えての神辺宿には本陣が現存しています。

近世における沿岸部の発展と比べると良い意味で遅れたおかげで
レトロな町並みが好きな人にとってはたまらない区間です。

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西国街道その11・横尾駅→三原宿
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写真集:https://photos.app.goo.gl/gUTTF9cbQfBLwk5KA

横尾付近からは福山まで芦田川沿いを南下していきますが
江戸時代から城下を守る為に精力的に治水が行われてた影響からか
今回の災害においても決壊はなかったようです。

近年の改良で手が加えられてはいますが
かつては堤防の形が両岸で違っているので有名でした。
下流域に向かって左側が城下方面になるのですが
右の堤防を一段低く作ることで右を決壊させやすくして
城下が水浸しになることを防いでいたということです。

今の時代にこれをやるとエライことになりますが
当時は人が住んでなかったりと可能だったのでしょう。

この区間では有名な尾道も通ります。
福山からは沿岸部を通っていくわけですが
先述のように海岸沿いは地盤が安定してなかったので
峠越えがあったりと先人の苦労が偲ばれます。

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西国街道その12・三原宿→八本松駅
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写真集:https://photos.app.goo.gl/rfkWPaAH99UzzHkW8

三原城下を経て本郷宿を過ぎると
西国街道随一の難所である松子山峠です。

今回の災害では一体どうなってるのでしょうか。
元々この区間は狭い道が多く藪になってる箇所があるので
山崩れなど相当傷んでいるのではと思っています。

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西国街道その13・八本松駅→西広島駅
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写真集:https://photos.app.goo.gl/EdJutBVCYhbvjkXy7

鉄道の難所でもあるセノハチを越えて一気に広島平野へ。

この区間で何よりも一番に印象に残ってるのは
山にへばりつく形で建つ新しい住宅地でしょうか。
それほど広くない広島の平野部は開発し尽されたので
住む場所を山間部へと求めた結果なのでしょう。

あと、海田市のあたりも印象的でした。
昔は街道沿いまで海が迫っていたのですが
現代の地形からはちょっと想像ができませんね。

少ない平地を増やす努力は
干拓によって江戸時代から行われていたのですが
昔から広島周辺は土地不足で悩んでいたのかもしれません。

以上、駆け足で振り返ってみました。
この他にも山口県内の岩徳線沿いの被害も大きかったようです。
一日も早い復興を願うとともに皆々さまのご無事をお祈り致します。




posted by にゃおすけ at 14:36 | Comment(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする