2017年11月08日

『Ingress』歴史から見るMD東大阪

今回も「MD東大阪」に関する話題。

ミッションデーと呼ばれるイベントは
各地の見どころをめぐる町歩き的なものですが
MD東大阪は他と比べると広域に散らばっていたと思います。

なぜ広域に散らばってしまっていたのか
歴史を調べていくと面白いものが見えてきます。



まず、東大阪の旧国名である『河内』という地名。
名は体を表すというコトワザがありますが

”河と河とにはさまれた河の内の土地=河内”

東大阪の歴史の一番のキーポイントは河なのです。

ミッションの中で旧大和川の説明が多かったと思います。
現在の大和川は堺市を通って大阪湾に流れるルートですが
江戸時代中期までは東大阪地域を流れていました。

旧大和川は厳密には「玉櫛川、長瀬川」と呼ばれていて
これらは付替え後も用水路の役割で縮小して残るのですが
元々の川幅だった場所は新田として生まれ変わっていきます。

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旧河川の跡がクッキリと残る。地理院地図より。

具体的な場所は吉田、花園、小阪、永和、長瀬付近。
あと鴻池もそうですね。駅名にも鴻池新田で残っています。

もちろん旧大和川付け替え前も集落はあったのですが
幾度も水害に悩まされて住むには大変な場所でした。

現在もこれらの土地には
水害に関連したお地蔵様や神社を見かけますし
川沿いには堤防の痕跡を目にすることができます。

新しいビットマップ イメージ.jpg
明治時代のラグビー場周辺。今昔マップより。

変わって2つ目のキーポイントは街道です。

山沿いには京都と高野山を結ぶ『東高野街道』
東西方向に大阪と奈良を最短距離で結ぶ『暗越奈良街道』


これら2つの街道は全国的にも有名で
江戸時代においてイメージ的に高速道路のようなものです。
PAやSA的なものは街道では「宿場」「立場」にあたります。

現在の町に当てはめてみると、
布施(深江)、菱江(若江岩田北部)、松原(東花園北部)、瓢箪山。
これらの町は街道を行き交う人で発展していきました。

地名を見ると”江”や”原”と付いてます。
古代は「河内湖、河内湾」という広大な沼地があったのですが
ようするに大昔の東大阪の大部分は水の中でした。

それが長い年月をかけて旧大和川の堆積物で埋まっていきます。

『暗越奈良街道』はそういう中を突っ切って作られます。
旧大和川付替え前は渡し舟を何度も乗換する必要があったそうです。
こういう場所には必然と「宿場」「立場」が発生していきます。
そして名物お菓子や名所なども出来ていくわけです。

暗越奈良街道は暗峠ばかりクローズアップされてますが
こういった旧宿場、旧立場を巡るのも面白くてオススメです。

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暗峠へ続く街道風情

対して、瓢箪山は少し事情が違います。

こちらは山沿いの『東高野街道』に位置しています。
そもそも、なぜ山沿いを進む必要があったのでしょうか。

それは先ほども言った「河内湖、河内湾」が関係しています。

街道は多くの人が行き交います。
湿地帯を通さず地盤が安定してる場所を通すのが基本です。

瓢箪山稲荷神社の中には古墳があったと思いますが
古い時代は山沿いにしか住める場所がなかったといいます。

東大阪の著名な三社。
「石切神社」「枚岡神社」「瓢箪山稲荷神社」
これらが山沿いにあるのもこういった理由からなのでしょう。

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江戸時代の枚岡、暗峠周辺。河内国細見図より。

以上、駆け足で歴史から東大阪を紹介してみました。

近世では成り立ちが違う各地域の集落を合併に合併を重ね、
布施市、河内市、枚岡市と最後の大合併をして
現在は大阪府で3番目に大きな市となっています。

成り立ちが違うからこそ各地域で見どころが違う。
これがミッションが散らばっている理由かもしれません。

あと個人的なオススメポイントでは

・アーケードの残る商店街が非常に多い
・瓢箪山の国道商店街
・石切神社のお百度参り

はい、食べ歩きが中心ですw

MD東大阪は11/5で終わりましたがミッションは残ります。
また再訪される際にでも参考にして頂けると幸いです。

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posted by にゃおすけ at 11:09 | Comment(2) | Ingress | 更新情報をチェックする