秋からは50キロウォークや昼休み走りをしてましたが、
どうも普通の道ではテンションがあがりません。
そこで、ということで
前々から温めてきた河内街道を走ることにしました。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
河内街道とは私の地元八尾を起点とする街道で、
本来ならもっと早い段階で攻略しておくべきでしたが、
資料によってルートが複雑で謎な部分が多いのが悩みでした。
そういうことから5年以上前から計画はしていたのですが、
近年、デジタル資料のネットでの閲覧が簡単になったおかげで、
ようやく攻略することができるに至ったわけです。
河内街道の名称自体は明治からのものです。
現JR八尾駅と東海道枚方宿までを南北に結んでいます。
江戸時代では特に名称はなかったようですが、
河内に点在する各集落を結ぶ道筋になっていたので、
生活、交流面において大きな需要はあったと想像できます。
そういう経緯があるので、
明治期からの河内街道としての道筋と、
江戸時代までの道筋とは異なる場所が多数あり、
どの時代に重きにおいて進むかが重要になってきます。
龍田越奈良道との交点よりスタートしました。
明治の河内街道(以下新河内街道)は現JR八尾駅が起点です。
でも、今回は江戸期からのルートを考えて歩いたので、
駅ではなく街道と接続する場所が追分と考えるのが自然です。
旧大和川である長瀬川とほぼ平行して北上し、
大信寺を中心とした八尾寺内町へと入っていきます。
大和川の付け替え(1704年)以前は
JR八尾駅周辺は川のど真ん中で氾濫が多かった地域です。
付け替えによって氾濫はなくなり用水路と化した長瀬川沿いには
新田が出来、河内木綿の栽培で活況を呈した歴史があります。
八尾表町。ここは八尾の旧市街と言える場所です。
目の前の道路は太平洋戦争時に建物疎開で拡幅されています。
ここから北へはファミリーロードという商店街があって、
アーケードは旧近鉄八尾駅跡まで続いています。
古い道筋らしく古い家も点在しているのが特長的で、
河内音頭で有名な常光寺も旧駅そばにあります。
かつては大型バスがひっきりなしに通って、
まさに八尾の玄関でしたが今はひっそりした空気が漂います。
河内街道はここを左斜め方向へ。
昭和期は右斜めに行くとニチイがあって大変賑わっていた場所です。
やがて、萱振寺内町。恵光寺を中心に広がっています。
ここの道路は交通量が多く大型バスも通りますが道幅は昔のまま。
火の見櫓もあって懐かしい雰囲気です。
それにしても、ここまで走ってはきましたが、
見所が多すぎて止まり止まりとなって練習になりません。
果たして、ここを練習の場にして良かったのか疑問ではありますが
それだけ河内街道は面白いといったところでしょうか。
幸町交差点。横切る道路は長い直線道になっています。
戦時中に非常用の滑走路として整備されたものです。
実際に使われたかは非常に怪しいところではありますが、
戦後になっても周囲に建物が建てれない規制があったと聞きます。
やがて、戦後開削された第二寝屋川を渡って若江岩田へ。
この辺りは大坂夏の陣での戦いの場にもなっていた場所で、
木村重成など武将の墓や関連する寺が点在しています。
駅の北側にひと際目に付く古い旧家。
石田家住宅は江戸時代中期のもので屋根上には猿が二対。
享保13年の申年に瓦製のものです。
西側の猿は右手に御幣、左手に扇を持っていて
悪魔が去るという意味で住吉大社の方角を向いています。
若江岩田で有名なものといえば岩田墓です。
河内七墓の一つで奈良時代に行基菩薩が作ったものです。
お盆にお参りをすると家族に迷惑掛けず極楽浄土に行けるのだとか。
そのお盆の時には墓市が開かれていて露店が並びます。
元々は衣類や農具、農作物の物々交換の場だったそうです。
夜の墓というと怖いイメージを持つ人が多いと思いますが、
大坂七墓の跡地が盛り場(千日前や梅田)になった例を考えると
人が集まる交流の場だったと考えてもいいかもしれませんね。
河内街道は岩田墓の横を弧を描くように進みます。
新河内街道は北へ真っすぐ進むのとは対象的です。
ここが江戸時代の河内街道と暗越奈良街道との交点。
明治期の交点には道標があるので非常に間違えやすいです。
やがて、荒本集落を過ぎると横枕、箕輪へと続きます。
明治初期の地図を見ると集落を縫っていることがよくわかります。
この先は狭い道となってる場所が非常に多いのも特長的で
本当にここが街道だったの?と思ってしまうほどです。
でも、安心してください。
江戸時代までの河内街道は集落と集落を結ぶのがメイン。
大きな街道とは通行量も役割もちょっと違います。
それがわかる場所が上の写真。
横には新河内街道が並行して通っていますが、
比較的早い時期にバイパス的な道が出来ていたおかげで
古い旧道は旧態依然のまま残って保存状態が良く、
昔の様子を今も容易に想像することができます。
古い旧家の手前にある用水路は田園地帯だった頃の名残り。
川田、加納、押廻の集落を縫って住道駅へと続きます。
街道には道標や常夜灯がつきものですが、
河内街道でもチラホラと見ることが出来ます。
おかげ灯篭と呼ばれる下の写真の常夜灯。
江戸時代に流行った伊勢神宮おかげ参りを記念してのものですが、
「おかげ」とくっきりと彫られていて貴重なものです。
道標はというと、八尾など行き先を示す文字は見かけますが、
河内街道と刻まれているものは見かけません。
新河内街道上にはあるにはありますが。
江戸時代においては街道名が彫られるのは稀なことです。
昔の人々は枚方へ行く道だから枚方道だとか、
八尾へ続く道だから八尾道とか、そんな感じです。
加納の集落は古き良き雰囲気が残っていました。
次回は住道駅から枚方宿まで進める予定です。
走る練習の成果としては、
ペース的にはキロ9分ほどだったので
歩くよりはちょっと早い程度かな?といった感じです。
何もない田畑の真ん中のような場所は飛ばせましたし、
走りは結構有効的と思うところがありました。
ただし、荷物を背負ってない場合に限る。ですかね。
長距離の街道になると宿泊に伴う荷物がありますし、
よっぽど荷物を減らさないと難しいとは思います。
なので、自分がやる分には近場限定ですかね(^^;
【カテゴリ:大阪近辺の街道の関連記事】

