2010年09月27日

東海道五十三次その19・宮宿→佐屋街道佐屋宿

今日も暑くなりそうだ。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

8:30発 熱田(伝馬1丁目分岐点)

↓8km 90分

10:00発 岩塚宿


本来の東海道はこの区間、
宮から七里の渡しを使って船で桑名へ移動。
っと、昔の人はここから楽が出来たのですが・・・。

今は、そういう渡し舟もありません。
なので、この区間、電車で移動っ!!
と、なったらずっと歩いてきたのに
なんかもったいないですよねぇ(^^;

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そこで今回は東海道の脇往還で知られる
佐屋街道を桑名まで歩いて行くことにしました。
実際のとこ、佐屋街道は悪天候で七里の渡しがダメな時や、
女子供、船が苦手な人にはかなり使われたそうで
本道との違いも今回の見どころの1つです。

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宮からスタート。
横には大きな熱田神宮の境内が広がり
金山駅手前で分岐点に差しかかります。
ここには道しるべが。

名古屋市内は空襲が激しかったせいか
この辺り道路も広いし昔の面影がないのですが
こういうのを見ると街道歩きの気分が高まります♪

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近鉄の高架を越えるまでは
市街の町並みが途切れることなく続いてます。

なので
信号が多くて歩きにくい・・・(笑)

それにしても名古屋市内は
喫茶店がやたらと多い。
あちらこちらと店がありました。

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10:00発 岩塚宿

↓10km 120分

12:00発 神守宿

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岩塚&万場宿を過ぎると
次の宿場町は神守宿。

やはり脇街道ということもあって
どこも宿場町は小さい。

ここが宿場町です!!
という看板もほとんどないし・・・。

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もっとも、街道の案内板も
ほとんど見かけることがなくて
今回の道中は何度か道に迷いました(^^;

まあ、東海道ですら看板少ないですし
この辺りは脇街道なので仕方ないのかも。

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でも道路にはヤジキタの絵があったり
古い家があったり道路が狭くうねうねしていたりと
街道なんだなってわかって嬉しくなります♪

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ようやく9月中旬になって
気候のほうも涼しくなってきました。
でも、日差しが出るとやっぱ暑いもので
お肌がヒリヒリと痛く感じます(^^;

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12:00発 神守宿

↓9km 120分

14:00発 佐屋宿


田園風景が広がる光景。

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今回は佐屋宿の少し手前で終了です。
ここからは昔は三里の渡しで桑名へ向かったそうです。

結局、最後は船かいっ!
だったら最初から七里の渡しで行けば・・・

と、思うのですが
今と違って転覆やら事故が多かったようなんで
少しでも距離を歩きで稼いで行きたかったんでしょうねぇ。

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次回はいよいよ木曽川を渡って三重県です☆


  
posted by にゃおすけ at 20:20 | Comment(2) | TrackBack(0) | 東海道五十三次 | 更新情報をチェックする

2010年09月21日

東海道五十三次その18・池鯉鮒宿→宮宿

前回に引き続き
猛暑の中の東海道中っ!
今年中に制覇しようと気合が入ります♪

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

前回の続き知立からスタート。
ノスタルジックな街並みが続いて
沿道の家の屋根が皆低いので
空が広く歩いていて実に気持ちがいい☆

9:00 知立本町局

↓9km 135分

11:15 桶狭間


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今回の見どころといえば”桶狭間”
有名な戦いがあったところですが
名前に狭間が付いてるだけあって
丘と丘の間にある感じで
この辺りは起伏が少しありました。

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義元公の墓があったりと
不思議と辺りはヒヤっとするような
涼しげなものを感じさせられます。

本日の気温は35度!

の、はずなのに・・・
ちょっと不思議な空間ですね。
やはり霊的なもの・・・!?

12:00 桶狭間

↓1.5km 20分

12:25 間の宿 有松


次の宿場町の手前に有松の町。
有松は絞りで有名だけど
古い街並みがよく残っています。

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東海道中では一番の光景かも。
絞り問屋の店構えの家は
どれも立派で迫力があります。
儲かっていたんだろうなぁ。

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12:30 間の宿 有松

↓2.5km 45分

13:15 鳴海宿


有松を過ぎると宿場町鳴海すぐ。
実は僕の身内がいるんで
何度か来たことがあるんですが
宿場町として見たことは一度もなく

「あー、宿場町だったんだ」

と、恥ずかしながら今回知りました(^^;

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実際のとこ
それっぽい光景は殆どないんですよね。
でも、歩いてよく見ればあるもので
狭い旧街道の道など東海道だなって
思わせる場所が多々ありました。

そういや東京から歩いて来ると
これでもかというぐらい一里塚を見かけるのですが
両側にキチンと残ってるのは意外と少なく
ここはその1つ。

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一里塚は愛知に入ってからそれがある場所が
”一里山”ってつく地名が多い気がします。
このバス停の名前も”一里山”

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ちなみにここのバスの運行日は
弘法大師の命日の日のみ運行らしい。
と、いうことは一年に一回だけ・・・なのか?

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13:45 鳴海宿

↓8km 135分

16:00 宮宿(七里の渡し跡)


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笠寺観音を過ぎるといよいよ名古屋市街地へ
交通量が増え道路も広く大変と思いきや
意外と旧東海道沿いは田舎の道といった雰囲気。

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先週は38度で今週は35度ということで
今回もかなり過酷と思いきや、
この3度の差は全然違うようで
ずっと歩いていても快適そのもの♪

体が順応してしまったのかな。
少なくともフラフラになることはありませんでした。

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さあ、宮の宿場町。

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熱田神宮のまん前にあります。
船着き場の遺構があったりと
公園が整備されてありました。

夕暮れでいい雰囲気です♪

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昔の人はここから船で桑名まで。
今は地上ルートで行くしかありません。
この船の”七里の渡し”を利用すると
距離にして27キロ。

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結構な距離です。
船が苦手だった人も当時もいるようで
その人達は次回、僕も歩くことになる
佐屋街道で桑名を目指すことになります☆

  
posted by にゃおすけ at 20:13 | Comment(3) | TrackBack(0) | 東海道五十三次 | 更新情報をチェックする

2010年09月14日

臼杵の石仏と城下町っ!

大分の臼杵(うすき)と言えば
石仏が有名なんですけども
臼杵は実は城下町。
良い町並みが残ってます♪

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まずはお城っ!
今は櫓が一部復元されてるんですが
注目は島全体に築かれたという
縄張りでしょうー。

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見ての通り
なかなか険しい崖です。
今は城址の周りは埋め立てられてますが
周りは海だっただけに
攻略は厳しかったでしょうねぇ。

城内に入ってみると
意外なほどだだっ広いっ!
展望台からは綺麗な海が見えました。

さて、城下町です。
ここの特徴は寺町に多く残る
まるで城にあるような通路群でしょう。

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ここは”二王座歴史の道”
通路の幅は狭く昔からの道幅。
上から眺めるとそれがよくわかりますねぇ。

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山のあちこちには
穴が空いてあったりします。
この周辺の石は加工がやり易い反面
長い年月が経つと脆く崩れ易い・・・

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あの有名な臼杵の石仏の石の材質も
そういったものがあるので
風化が激しく形がわかりづらいものも。

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その、有名な石仏は臼杵の郊外にあります。
今は風化を出来るだけしないよう
屋根に覆われその中に石仏がありました。

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僕が小さい時は
この石仏の頭は下に落ちていて(置いていて)
それが臼杵石仏の印象的なものだったんですが
今は元の場所に戻されています。

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そういや、石仏は大分県では
よく見かけることができます。
大分市内の街中にもあったりするんです。

上の写真は大分市の中心にある府内城。

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天守は今はありませんが
なかなかの癒しスポットです♪

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posted by にゃおすけ at 21:32 | 大阪 ☁ | Comment(4) | TrackBack(0) | 九州ボラボラ | 更新情報をチェックする