2012年04月04日

奈良街道その1・奈良公園→棚倉

奈良公園と京都市内を結ぶ
奈良街道を2/26と4/1に歩いてきました。

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街道の呼び方は京から来る人にとっては奈良街道、
奈良から京へ向かう人にとっては京街道、
そして大和街道などいろいろとあるのですが
ここでは奈良街道に統一しときましょう。


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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都と元の都を結ぶので
徒歩の移動手段だけでなく物流の面でも
非常に重要な街道だったと思われます。

他の街道にない魅力のある奈良街道。
キーワードは「木津川」「巨椋池」「車石」でしょうか。

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奈良公園の中がスタート地点です。
現在ある元標は復元されたものになってるので
本来は西へ20mのあたりに元標がありました。
江戸時代の中街道との交点がそうでしょうねぇ。

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鹿があちらこちらにいて目を楽しませてくれます。
立派な木が多い奈良公園の横を進むと
交差点に京都への立派な道標が。

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国道の道を北へ。

奈良の良さというといろいろありますが
普通に国宝が道端にあるというのは
他ではなかなかないものですよね。

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この般若寺の門もその1つ。
周辺は普通の住宅街ってとこ凄いですね。

奈良阪のあたりは
雰囲気ある町並みが広がります。

奈良街道という名前がない頃、
この街道は「奈良阪越え」とも呼ばれたそうです。

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奈良阪のバス停あたりからは
右端の小さい坂道が旧ルート。
(ルートマップをご確認ください)

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旧ルートは県境近くまで現国道と別になっています。
ただ、前半は住宅開発で消滅してるところもあって
住宅街の中を歩く形になります。

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県境を越えしばらく車道を行き、
交差点を過ぎると万人講の大灯篭。

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当時、奈良へ行く人や伊勢へ行く人など
かなりの人がこれを見たでしょうねぇ。
今で言う「万人講」って凄いんだよーっていう
広告の役割もあったのでしょうけども
それにしても凄い大きさです。

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立派な家が多くなってきたと思うと
もうそこは木津市街。

江戸時代の木津はとても重要な拠点でした。
立派な家は当時の賑わいを今に伝えてます。

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なぜ重要な拠点だったかー。
キーワードの1つの「木津川」にあるんですが
この川を使っての水運が活発だったようです。

京都や大阪、伊賀方面からの運搬用の舟や
そして徒歩歩きの人のための渡し舟などなど。

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当時の絵図を見てみると
あらゆる種類の舟が細かに書かれていて
それは実に壮観なものです。

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さてさて
木津川を渡ります。

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堤防沿いを歩いていくと
大きな道標がポツンと。

この先にも多く見かける昭和3年製の道標です。
当時はこの付近が船着場だったようです。

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これより木津川の堤防上を進んでいきます。

この木津川沿いのルートは
古い町並みも道標も何も見当たりません。
あたり一面は田畑と川。
そして、国道には歩道もない区間も。

街道歩きとしては
全然面白くないルートではあります(^^;

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でも、これが江戸時代のルート。
それ以前はというと山側に山背古道という道がありました。
江戸時代になってからも使う人がいたと思うのですが
ショートカット出来る堤防上の道は非常に重宝されたようで
別名この区間を「新大和街道」と呼ぶ人もいたとか。

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もっとも、木津川の氾濫の恐れもあったでしょう。
その為、家や大きな建築物はなく
ただ道だけの面白くない区間だったようです。
では、この辺りの住民は・・・?というと
山背古道沿いの町に住んでいたのでしょうか。

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奈良と京都を結ぶ重要な街道だからこそ
今でいう新幹線と在来線のように
この辺りの奈良街道は旅人は川沿いのバイパスを歩き
地域住民は別の道という感じで住みわけが
出来ていたのかなーと考えられます。

ということで、前半はここまで。
次回は棚倉から伏見の区間をまとめます^^

  
 
posted by にゃおすけ at 19:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | 大阪近辺の街道 | 更新情報をチェックする