↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
荒川の堤防より少し入ったところに
間の宿「吹上」がありました。
間の宿はまさに字の通り
宿場と宿場の間にある町で
ここで一服する人が多かったでしょうねぇ。
ちなみに「宿」とはついてるものの
宿屋の運営はしてはいけない条件でした。
なので立場や茶屋町の規模の大きいバージョン。
そんなイメージなのかなと思います。
高崎線の踏切を渡ります。
ここの名前は「中仙道踏切」。
実に良い響き!!
たんたんと旧道を行きますー。
英泉画「吹上」の絵のあたり。
英泉と言う人は
広重の「東海道五十三次」の
中山道バージョンを書いた人。
ですが、関東以降の宿場の様子は
殆ど広重が書いていたりするんですよね。
うーん、英泉画は人気がなかったのかな?(^^;
売るほうも商売ですからその辺り謎ですね。
路面にはカワイイこうのとり
さて、鴻巣宿に到着です。
関東型の土蔵造りの家が
チラホラと残ってるのが目につきます。
街道歩きでは名物を食すのが
楽しみの一つなのですが、
近年のここの名物の
「川幅うどん」を食してみました。
これがその川幅うどん。
めっちゃ食べにくいw
味はともかくとして面白いですね。
ちなみに
近くの荒川の川幅が日本一ということで
そこから生まれた名物だそうです。
鴻巣は人形で有名です。
街道沿いのお店は
人形店のオンパレード!
実に賑やかな通りになっていて
資料館までもありました。
近くの岩槻も人形の町ですが
そこでは頭を作られて
鴻巣では胴を作って合体。
鴻巣と岩槻を結ぶ岩槻街道も
その影響で賑わっていたそうです。
鴻巣宿を過ぎると
家がずーと続く景色になってきました。
道路はやや渋滞気味。 車の量は非常に多し。
北本駅付近。
初期の中仙道の鴻巣宿はここだったそうで
今も元宿の地名が残っています。
北本という地名もそこからみたいで
北元宿とかそんな感じなのでしょうかねぇ。
桶川宿
紅花職人で栄えた宿場町です。
紅花というのは当時の赤色の染材。
今は山形県が有名ですけども
江戸時代はもっぱらこの辺りも有名でした。
今も神社には
紅花職人が寄付で建てた灯篭が。
実に立派!
元旅籠の旅館が今も健在。
桶川から上尾までは
約1時間ほどの距離。
先ほどから
同じような道がずーっと続いています。
そんな中、
中山道の案内板や道標があると
気分的にホッとしますねー。
大きなビル群が見えてくると
やがて上尾宿。
都会だー。
ゴールは駅前付近でした。
次回は板橋宿まで。いよいよ都内です^^