今回は下高野街道と呼ばれている街道です。
大阪の中心部”四天王寺”をスタートします。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
境内には大きな道標がありました。
奈良や伊勢など遠方の地名が刻まれていて
かつてここは一大ジャンクションだったのでしょう。
阿倍野の日本一高いビルを見ながら
ビルとビルの間を進んでいきます。
でも、街道筋は静かなんですよね。
こういう下町風情はいいものです。
立派な道標。
この付近は別名"庚申街道”とも呼ばれています。
地域にある
古い庚申さんがいわれなのだそうです。
大阪市街地の下高野街道のルートは
開発や戦災の影響からか消滅箇所が多く、
資料によって別ルートもあったります。
なので、歩く時は結構悩まれてますね(^^;
桃ケ池公園。
街道は池の周りを半周する形で進みます。
歩いたのは2/11。
旧正月の影響なのでしょうか
あちこちで餅つきの光景が見られました。
通りすがりの僕もぜんざいを賞味。
小腹にはもってこいです。
大阪市内との境界にある大和川。
そこに架かる橋が”下高野橋”
今も残る街道の名前はいいものですね。
ちなみにこの付近の大和川は
江戸初期は存在しませんでした。
いわゆる人工的に作られた川になります。
街道は西除川沿いを進みますが、
この川も南から北へ向かっていたのが分断され
川の流れが変わっちゃっているんですよね。
1つの川を人工的に作ることは
さぞ大変だったことだろうと思います。
徐々に田園風景が広がり、
道の雰囲気も街道らしくなってきました。
ここは河内松原付近。
堺からくる長尾街道や竹内街道といった
有名な主要街道と交差していきます。
ため池が多くなってくるのも
大阪南部の特徴です。
寒いのに魚釣りされてる人が多いこと。
街道沿いには素朴な味わいがありますね。
北野田界隈に入ってきました。
この辺りから道に勾配がついてきます。
ゴール手前の狭山池。
この池は実は日本で一番古いダム。
1400年も歴史があって半端ないですよね。
行基の時代に作られたのだそうです。
そそ、先ほど記事に出てきた
”西除川”はここを源にしています。
中高野街道との交点が今回のゴール。
狭山は江戸時代狭山藩があって
その藩主は後北条氏。
小田原の戦いで滅亡したと思いきや
ここを治めていたんですね。