大阪府の中心部を歩いていきます。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
今回は久々の長距離歩きということで
始発でスタート地点へ向かいました。
都会なのに誰もいない。
早朝の空気感がなんともいいですね。
大阪市内でも
意外と旧道は残っていました。
市内中心部より
少し東寄りを通っているので
戦災の被害も少なかったのでしょう。
放出の町並み。
寝屋川を渡る”渡し”があったので
古くから賑わっていた町のようです。
今も往時の面影が残る
古い家がよく残っていました。
中高野街道の新しい道標。
こういうのがあると嬉しくなりますねー。
鶴見緑地が近くにあるこの付近は
別名で剣街道や放出街道とも呼ばれてます。
地元の人と話す機会があったのですが
地元の人「なにを写真撮ってるのですかー?」
にゃおすけ「街道の風情を撮っています(にこにこ)」
地元の人「おー、放出街道ですか!(きらーん)」
この辺りでは
どうも中高野街道というより
放出街道というほうが通じるのかもしれませんね。
ちなみに剣街道の名前の剣(つるぎ)は
阿遅速雄神社(別名:八剣神社)からきているそうで
鶴見”つるみ”の語源になっているのだとか。
その阿遅速雄神社。
境内には大きな楠の木が植わっていました。
その横には”おかげ灯篭”も。
江戸時代、伊勢に行く人も
この道をよく利用されていたのでしょう。
街道は東大阪市と大阪市の境を進んでいきます。
昔でいうと摂津の国と河内の国の境ですね。
景色は守口の都会→大阪市の住宅街から
町工場が多く立ち並ぶ感じになってきました。
布施のアーケードを過ぎ平野郷へ。
ここは環濠集落で有名です。
各街道の入口には祠があったり
環濠の跡があり実に見所がある町です。
街道と街道の交点にある”全興寺”
ここは地獄めぐりが出来ることで有名です。
境内にはかつて街道と街道の交点にあったと思われる
大きな道標が保管されていました。
こういう彫りが深いのは特に萌えますね。
大和川を渡り大阪市と離れます。
架かってる橋の名は”高野大橋”
今に残る街道の名前ですね。
梅の花が咲き誇る”屯倉神社”
ちょうど梅を観る会なるものがやっていて
境内は賑わっていました。
たくさんの”しだれ梅”
その量の多さにちょっと感激。
河内松原を過ぎると
一気に光景は田園風景に。
そして、ため池が増えてきます。
狭山池がある大阪狭山市で
天王寺から来る”下高野街道”と合流。
ちなみに大阪狭山市は狭山藩で
城下町(陣屋町)だったのだそうです。
そのお殿様は小田原の北条氏の子孫。
意外なところで生き延びていたんですね。
堺から来た西高野街道とも合流し
道はアップダウンが続く感じになっていきます。
山が近いことを実感させられますね。
それにしても
久々の長距離歩きの足にはこれが結構ツライ(^^;
やがて京都からの東高野街道とも合流し
道標のある辺りでゴールとしました。
ここからは下、西、東、今回の中と
全て合流して1つに高野街道として高野山を目指します。
次も長い35kmの道のり。めざせっ。金剛峰寺!