2014年10月28日

『街道歩きのススメ』 撮影テクニックと記録

街道を歩いていると感動する場面が出てきますが
それらをどうやって記録していくかが今回のテーマです。

街道歩きは人それぞれ楽しみ方があります。

各地の歴史を調べながらという人や、
街道風景の写真を撮りながら歩いてる人、
中には名物グルメを求めて歩く人も。

記録の取り方として
写真やスケッチやメモが思い浮かびますが
街道歩きでは行程に余裕がある場合は別として
じっくり何かをする時間が限られているので
効率良い記録となると写真が一番でしょうか。

以下、自己流の撮影テクニックになりますが
中山道の写真を交えて紹介させてもらいます。

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上の写真は塩尻の平出一里塚です。

歩いている最中に撮影した
いわゆるスナップ写真というジャンルです。

この写真には農作業の人が写っています。
人を入れると生活感が出て時代の風俗もわかって
後から見ると実に良い記録になったりします。

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人を入れての写真をもう一枚。
中山道に落ちた栗を掃除する光景です。

この後すぐに作業を終えて帰られたのですが
仮にカメラを鞄の中にしまっていたままだったら
せっかくのチャンスを逃していたかもしれません。

こういうチャンスを逃さないためにも
私は基本的にカメラを片手に持って歩いています。
一眼レフは画質は良いですが長距離歩きには重いので
軽いミラーレス一眼のEOSMを愛用しています。

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この2つの写真を見比べてみてください。
塩尻付近にある茶屋本陣跡(今井家)です。

右の写真は少し斜めになっているのがわかると思います。
一方、左は垂直の線が出ているので引き締まって見えます。

いつも撮る時に気を付けてるのは水平線です。
レンズの特性で広角になると歪みが生じて難しいのですが
ポイントとなる被写体は斜めにならないようにしています。

この写真の場合だとポイントを門構えにしました。
こう並べて見比べると写真の印象が随分違いますよね。

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下諏訪宿の町並みです。

この写真の一番残念なところは
奥の道路上にある赤いカラーコーンです。

このように色が目立つものは
出来るだけ写真に入れないように気を付けています。
アングルを変えると目立たなくすることが出来ますが
この時は少し急いでいたのかもしれません。

例としてカラーコーンをあげてみましたが
奇抜な色の車や派手な服装の人にも当てはまります。
他に巨大なポスターや変わった色の家もそうでしょう。

それらをメインとして撮りたいなら別ですが
本来主張したいものが脇役になってしまう恐れがあります。

要は何がいけないとか良いのかではなくて
何をメインに撮りたいのかなのかもしれません。

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この写真は妻籠宿付近のものです。
観光客が結構いたので休憩がてら少し待ってると
ほどなく誰もいない静かな空間になってくれました。

観光客は本来はそこの土地の人ではないので
カメラを持っていたり着飾っていたりするもので
どこか違和感を覚えることがあります。

よっぽど混雑している場合は別ですが
観光客はできるだけ写っていないほうが
本来の町の様子を記録出来るかなと思います。

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木曽路の寝覚ノ床付近の光景です。

左の写真は電線が目立っています。
電線は基本的に空に張り巡らされているので
これをどう処理するかが悩みのタネです。

左は順光で右は半逆光で撮っています。
どちらもほぼ同じ時間に撮っているのですが
右はうまく電線が消えてるのがわかると思います。

このように目立たないようにすることは可能です。
他の技としては広角で撮ると目立ちにくいです。
望遠だと空間が圧縮されるので目立ってしまいます。

電線に限らずとも
写真の中に何もかも詰め過ぎてしまうと
ゴチャゴチャしてわかりにくい絵になってしまいがちです。
伝えたい部分をうまく切り取ることが出来れば
見る側にもうまく伝わるかなと思います。

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和田峠のススキです。

基本的に花はバックを暗めにして逆光気味で撮ると
立体感が出て面白い写真になると思います。

花1つにしても構図によって随分印象が変わってくるもので
三分割法などの方法がありますが説明が長くなるので割愛します。

被写体を真ん中に置く”日の丸構図”は
一般的に当たり外れのない写真になると言われていますが
街道歩きでは出会った道標や看板を記録をするときは
構図をあまり考えず撮ったほうが良い記録になるかもしれません。

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和田峠の風情です。

同じ場所でも季節や時間によって違う表情を見せてくれます。
またの機会に再度訪れてみたいものです。

さいごに。

いまやデジタルカメラが主流になってきて
枚数をそれほど気にせず撮れるようになってきました。

フィルムカメラは色の味わいなどで根強い人気がありますが
デジカメはシャッターを押すたびに時間や露出、
GPS付きなら場所までも記録されていくので
行動記録としてピッタリだと思います。

このようにデジカメは気軽に撮れて良いのですが
気軽に撮れるがゆえ一枚にかける情熱が少なくなってる気がします。

シャッターを切る前に一呼吸おいて
ファインダーを隅々まで確認してから撮影すると
良い写真が増えていくのではと思います。

そして撮ったものはそのままにしておかず
たまには整理して眺めてみましょう。
懐かしい思い出が蘇ってくるはずです。

整理はGoogleのPicasaというソフトを使用しています。
操作が簡単。しかも無料でオススメです。


  
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2014年10月21日

西国街道その3・西宮宿→三宮&西国浜街道

西宮と三宮の間の西国街道は二手に分かれています。

大名行列などが通った「西国街道(以下、本街道)」と
庶民が一般的に通っていた「西国浜街道(以下、浜街道)」。

それぞれ特徴のある2ルートですが
その違いを確かめたく同日に歩き比べてみました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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早朝の西宮宿。
宿場というよりも普通の住宅街な風情です。

もっとも今回の区間においては
両ルートともに古い町並みが殆ど残っていません。

これは戦災や震災の影響があるのでしょう。
道筋は区画整理や道路拡張で消滅していたりして
昔の道筋を歩くとなると大変な区間です。

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西宮神社の角に立つ灯篭型の道標。

「左 京都 大坂道」「右 兵庫 はり満道」

西宮宿は大坂からの中国街道も合流するので
比較的大きな宿場町だったそうです。

しばし街道は阪神電車と平行して進み、
香櫨園駅の先で本街道と浜街道とに分かれます。

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この付近が本街道と浜街道との追分

本街道は国道2号沿いを浜街道は国道43号沿いに進みます。

今でこそ双方とも似たような町並みが続いているのですが
明治の地図を確認すると人家は浜側に密集してるのがわかります。

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今昔マップより

かつて浜側は半農半漁の村として栄えてきたそうです。
また、水も綺麗なことから酒造も盛んでした。

一方、山側の本街道は
小さい集落を縫うように通っているのが印象的です。

冒頭で浜街道は庶民が多く利用したと書きましたが
単に沿道人口が多かった事情なのかもしれません。

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街道は六甲山から流れる川を何本も渡っていき、
西に進むにつれ山の姿が次第に大きく見えてきます。

この地域の川の特徴としては
土砂の堆積によっての天井川が多いということでしょう。

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江戸時代の名所図会を見ると
川沿いにはしっかりとした堤防が築かれ、
堤防上には道があり松が植えられているのがわかります。

今も夙川や芦屋川に大木を見ることができますが
下の立派な松も江戸時代からの松なのでしょう。

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本街道に見かけた「街道の名残りです」の看板。
こういう手作りのものは嬉しいですよね。

付近の地名は「茶屋之町」
おそらくは名前のとおり茶屋があったのでは思います。

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国道2号、国道43号ともども道幅が広い道です。

こうも広いと右側の歩道か左側の歩道か
どちらを歩けば昔の道筋に近いのか悩むところですが
こういう時は古い地図を用いて照合しながら歩くようにしています。

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浜街道の深江集落内は
新道と旧道の2手に分かれています。

それらが西で再び交わる辺りに「踊り松」がありました。

「深江越えたら大日如来、高い高橋踊り松」

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古い名所図会にも松の威容が描かれています。

その姿から踊ってるように見えたというのが
踊り松のいわれの一つだそうです。

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一方、本街道は住吉川手前に差し掛かると
衝撃的なお地蔵さんがおられました。

なんと、頭しかありません。”くび地蔵”です。

首から上の病気平癒に霊験があるそうです。
それにしても頭だけというのは上野大仏がありますが
元から頭だけというのは珍しいですね。初めてみました。

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住吉川の下流域は魚崎の集落です。
浜街道は魚崎の中を進んでいきます。

酒造の看板が増えてくるのはこの辺りから。
魚崎郷として観光地化を目指しているようで
立派なポケットパークをあちこちで見ることができました。

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魚崎を過ぎると御影に入ります。
浜街道では西宮に次ぐ大きな村だったようで
集落内は入り組んだ道筋になっていたそうです。

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立派な道標が残ってました。

「左 兵庫明石道」「右 西宮大阪道」

新旧2つの道標があり大きいほうは嘉永年間のものです。
江戸時代、大阪は「大坂」と書くのが一般的だったので
もしかすると再建のされたものでは?と説明板にありました。

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汽車駅への道標もありました。

しかしながら
江戸時代でも「大阪」と書くことがあったように
文字だけでは判断が難しいところで実際のところどうなのでしょう?

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一方、本街道は石屋川付近で
徳川道という六甲山へ抜ける道と分岐しています。

正式には「西国往還付替道」というのですが
幕末の神戸開国で神戸市街を避けるために作られ
本格的に使われないまま明治を迎えてしまっています。

大正期にハイキング道で一部復活を遂げたのですが
明石付近までの約38km道のり。幻の道と呼ばれています。

幻の徳川道その1・石屋川→鈴蘭台
http://borabora.seesaa.net/article/404875849.html

幻の徳川道その2・鈴蘭台→白川→大蔵谷
http://borabora.seesaa.net/article/405194579.html

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本街道のJR灘駅付近は少しややこしくなっています。
明治の早い時期に港への貨物線が引かれていたので
古い地図を見てもどこが街道かさっぱりです。

かつては駅前付近に茶屋が数軒あったようで
兵庫津を目の前に良い休憩地点だったのかもしれません。

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灘の下流域には浜街道の新在家があります。
隣の御影と同様に大きい集落を形成していたようです。

浜街道は大部分が国道43号に吸収されてますが
新在家には旧道がよく残っていて良い感じです。
ただ、冒頭に書いた通り古い家が一軒もありません。
震災の恐ろしさをまざまざと見せつけられます。

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ここから先の街道は
両街道とも三宮までほぼ一直線。
街道を紹介する看板が増えてくるのもこの辺りです。

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三宮は古い時代から生田神社の社領になっていて
三宮神社が鎮座し静かな場所だったようです。

ところが現代の三宮は凄い賑わいです。
国鉄の旧三ノ宮駅が現在地に移転したことと、
阪急が入ってきたからなので昭和からの賑わいになります。

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それまでの神戸の中心地といえば神戸駅付近であり、
江戸時代は兵庫宿のある兵庫津という場所でした。

これはまた次回。

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posted by にゃおすけ at 19:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする

2014年10月07日

西国街道その2・芥川宿→西宮宿

梅雨明け初日。高槻から西宮への道中記です。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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芥川宿は高槻駅にほど近い場所にあります。

宿場内には今も一里塚が残るなど
都会にも関わらず良い風情が残っています。

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宿の東南方向に高槻城がありますが
城は芥川が形成した扇状地末端に築かれています。

芥川宿も扇状地の中にあるわけですが
天井川なので水害対策を随所に見ることができます。

この立派な石積みは宿場の西の端にあって
水門を兼ねた門だったのだそうです。

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ここからの西国街道は
JR東海道線と別れ千里丘陵を抜けていきます。

大坂に寄らない点はショートカットできて良いのですが
丘陵であるがゆえにアップダウンがあるのが特徴的です。

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一本道が続きます。

西国街道は幹線道路ということもあって
全般的に分岐が少なく歩きやすいのも特徴でしょう。

要所要所には道標や案内看板が新旧問わずあったりして
地方街道とは大きく雰囲気が異なってるように思います。

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摂津は化粧地蔵さんが多いですね。

やがて亀岡街道との追分が近づいてきました。
大坂から能勢、妙見山、亀岡へと抜ける街道です。

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辻には立派な道標がありました。

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郡山宿には本陣が残っています。

御成門脇に咲く椿が有名なので別名「椿の本陣」とも呼ばれ、
建物は実に約300年も前の享保年間のものになります。

参勤交代の大名や明治天皇も利用した建物が
今も残ってるというのは感慨深いものがありますよね。

内部の見学は基本的に予約が必要なのですが
年に2回ほどは予約なしでの特別公開があるそうです。

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アップダウンが続きます。
集会所の脇には道標が集められていました。

かつては道沿いにあったものと思われますが
道路拡張などで邪魔になってしまったのでしょう。
このように公の施設に集められてることが多いように思います。

小野原の古い町並みに入ります。

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郡山宿から小野原の集落までは
西国三十三箇所の巡礼の道の一部になっていて
巡礼の人でも大いに賑わっていたといいます。

二十三番札所の勝尾寺は北に4kmの場所にあって
街道沿いの大鳥居から伸びる道は表参道にあたります。

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西国街道は小野原をピークに下っていきます。
田畑の向こうに千里中央のビル群がよく見えました。

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この箕面道の道標は字が見にくく古い年代の物でしょう。
かつては新御堂筋との交差点にあったようです。

先ほどの亀岡街道もそうなのですが
西国街道は東西に貫く街道なので北摂地域への街道とよく交差します。
この先も有馬道や能勢街道など分けることになりますが
大坂に根付いた保養地や信仰の道ということで面白い街道です。

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瀬川宿の町並み。

元々本陣は瀬川宿本陣だけだったようですが
後年になって隣の半町村にも本陣が作られたので
宿場としては両村にまたがる細長いものだったそうです。

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その瀬川宿も今は住宅街といった風情。
わずかに残る旧家に宿場町の名残を感じることができました。

それにしても綺麗なひまわりです。
夏の街道歩きはこういう光景が見れるので癒されます。

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コスモスが懐かしい!

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阪急電車の石橋駅付近。能勢街道と交差します。

古地図を見ると追分は踏切の中だったようで
線路脇には古い小さな道標が移設されていました。

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「右 西宮、左 大坂」「右 妙見、すぐ 西宮」
「すぐ 大坂京、左いけだ」

”すぐ”とは真っ直ぐという意味です。

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兵庫県に突入。猪名川を渡ります。

昔は徒歩渡りの時もあったそうで
芭蕉も歩いて渡ったと記述がありました。

今は、軍行橋でスーイスイ。
空を見上げると飛行機が轟音を立てて飛びたっていきました。

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伊丹市街地は伊丹丘陵上に位置しています。
通称”伊丹坂”を上っていくことになるのですが
名所図解にも記されてるほど大変な坂だったそうです。

ただ、現代は少し上っただけで上に着いてしまったので
もしかすると大きく改良されたのかもしれませんね。

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有馬道との追分がある大鹿集落を過ぎると
昆陽(こや)宿に入ります。

昆陽はかなり古い地名で北方に広がる昆陽池は
行基が築造したと伝えられています。

ちなみに昆陽池の中心部には
日本列島を模した人工島があって有名です。
大阪空港からの飛行機の窓から見ることができます。

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兵庫県内に入ると
西国街道の看板が増えてきます。

この看板を目印に進めば良いのですが
大阪府内に比べると道筋が複雑になっているので
あまり頼りすぎると迷いそうで悩ましいところです。

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武庫川を渡ります。

ここには髭の安兵衛さんの茶屋が近くにあったことから
通称で”髭の渡し”とも呼ばれていたそうです。

渡しは1909年(明治42)に甲武橋がかかるまで続けられて、
渇水期は徒歩で渡る人も多かったそうですね。

渡し跡付近にはそれっぽい道や常夜灯が今も残ります。

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今回はちょうど渇水期であって水量が少なく
川は子供の遊び場のようなキャンプ場の様相だったので
こりゃ行ける!と、徒歩渡りに挑戦してみました。

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本来は下流に架かる甲武橋まで
大きく迂回しないといけないのですが
飛び石みたいなのが設置されていたので
ひょいひょいと飛んで渡りきることが出来ました。

ただ、水はヌルく、石もヌメッてる感じだったので
あまり気持ちの良いものではなかったです(^^;

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西宮市街地に入ります。
夕暮れ時ということもあって西日がきつくなってきました。
あらためて西国に向かってるのだなーと実感します。

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日本三大厄神の門戸厄神の通り。
ここで阪急電車と交差します。

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ひたすら川沿いの道を進むと西宮宿。

西宮宿の東側は古地図で確認してみると
寺の場所で大きく枡形状になっていたようです。

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今も名残りを僅かですが確認することができました。

次は三宮を目指していきます。


  
posted by にゃおすけ at 19:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする