JR八尾駅から歩きます。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
恩智街道とよばれている恩智までの区間は
明治に大阪市街から八尾駅まで汽車が開通してから
信貴山へのアクセスで大いに賑わいました。
ただし賑わっていたのは短い期間。
汽車が八尾から奈良に延長になってしまうと
参詣者は便利な汽車で最寄駅まで行くようになりました。
この写真の道標は明治時代のもの。
すぐ 柏原
すぐ 恩智 信貴山 右 柏原
すぐ 八尾
今の街道風情は住宅街になってしまってますが
古写真を見るに昔は見渡す限り田畑だったようです。
先ほどから抜け道として利用する車が多いのに気づきます。
今も八尾から恩智に抜けるには一番便利な道のでしょう。
やがて桜の名所の玉串川と合流します。
京都から高野山への街道である
東高野街道との分岐点には大きな道標がありました。
東 信貴山
西 大坂
南 高野山
北 平岡 京 道
平岡とは枚岡のことでしょう。
枚岡には河内一の宮の枚岡神社があります。
ここから中信貴街道と名前を変えます。
次第に勾配がきつくなってきます。
生駒山系を越える道は
今回の中信貴街道の他にもいくつもあるのですが
大阪側から登るとどれも急坂で大変な道のりです。
その分、少し登っただけでも
大阪の町並みを遠望出来て良いのですが
やっぱ疲れますね(^^;
恩智神社はこの辺りで有名な神社。
恩智といえば恩智越えという登山道があるのですが
今回はそれとは違う道になります。
昔の街道は恩智総池の横を通っていました。
山の中に入って行くにつれ寂しい雰囲気になっていきます。
人気のある恩智越えとは非常に対称的です。
横には川が流れていますし
なかなか心地よい道なんですけどね。
途中からは堰堤が作られてしまって旧道は消滅していました。
堰堤で切られてしまうことは山の中の街道ではよくあることです。
ここは無理をせず尾根道を伝って迂回します。
消滅した旧街道とほぼ並行する形で
急登の登山道が続きます。
やがて旧街道と合流します。
藪に包まれた合流点
合流地点では
かろうじてわかる旧道の雰囲気がありました。
旧道方向を見てみると完全に藪に包まれた廃道でした。
峠を越え奈良側へ。
信貴山のどか村を通過。
ここからは脇道に入っていきます。
廃道まではいかないものの
半分忘れられかけた藪のある道。
どんどん進んで行くと
やがて人里が見えてきました。
大阪から1つの山を越えただけなのですが
なんとも懐かしい光景が広がっています。
龍田越奈良街道との分岐点でゴール。
この付近は江戸期は”竜田””龍田”と呼ばれ、
奈良盆地の西の主要都市だったそうです。