2015年01月27日

歴史ウォーカー的「Ingress」

Ingressというゲームをご存知でしょうか?

簡単にいうとGPSを利用した陣取りゲームで
青と緑チームに分かれてリアルタイムで戦うものです。

実世界とは違うパラレルワールド的な面白さがあって、
普段何気ない日常的な光景の場所だったとしても
ゲームでは実は重要な場所だったりします。

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操作はスマホに入れたIngressのアプリ(スキャナー)で
実世界と平行する世界を映し出して行動していきます。

詳しい内容は以下のリンクをご覧いただくとしまして

「Ingress」のまとめ
http://matome.naver.jp/topic/1MAqW

何が面白いかは人それぞれですが
個人的にツボにはまった点をいくつかあげてみます。

★地域の史跡が拠点になっていたりする

ゲームでは拠点のことをポータルと呼んでいます。
ポータルは実世界の神社や寺や石碑など史跡であることが多いです。

陣取り合戦なのでポータルを奪ったり強化していくのですが
それには実際に現地におもむく必要があります。

たとえば、
地元にポータルがいくつかあったとしましょう。

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この石碑なんて一見は普通のものですが
Ingressの世界では実は大事な拠点だったりします。

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石碑からリンクが何本も

ポータルをめぐっていると

「こんな道があったなんて!」
「ここに史跡があったとは知らなかった!!」

と、地元でも知らないことが多いものです。
Ingressは地元再発見に最適ツールかもしれません。

★知らず知らずに長距離を歩いている

ポータルを奪う&強化するには
実際に現地におもむく必要があることを書きましたが
歩き、自転車、車などあらゆる手段を駆使して現地に向かいます。

都会の町中に関しては無数にポータルがあるので
何かと歩きが便利です。攻略しつつ歩いていきます。

Ingressの凄いところは、
知らず知らずに時間が過ぎていくところでしょう。
それはハマっている人ほど感じるはずです。

時間が過ぎてるということはそれだけ歩いてるわけですが
10km、20kmと歩いても不思議と疲れを感じさせません。

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歩きのカウントで貰えるメダル

普段あまり歩いていない人でも長距離を歩けてしまう面白さ。
山の上にポータルがあれば登山もするプレイヤーもいます。

今はゲーム目的だからという人が多いと思いますが、
将来的に考えると歩き好き人口が増えていくのではないでしょうか。

★ミッションが面白い!

基本は陣取りゲームなのですが
規定の場所をめぐる「ミッション」という機能があります。

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上の写真はとある地域のミッション一覧です。
地域ごとに特長のある様々なものが用意されています。

例えば「布施のえべっさん参拝ツアー」においては
駅から始まり観光名所をめぐり神社にたどり着く感じで案内していきます。
案内された場所のポータルを全てタッチ(ハック)すればミッション完了です。

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布施のえべっさん参拝ツアー

ハックすると各ポータルにまつわる話が表示されることがありますが、
案内看板に書いていないような裏話を教えてくれたりするので
活用すれば散策の新たな楽しみ方になるのではと思います。

このように歩く道順までナビしてくれる「ミッション」
ゲームだけにしておくのは勿体ない面白さがあります。

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ミッションは自分で作ることもできます

★いろんな人とのコミュニュケーション

リアルタイムで進んでいくゲームだからこそ
他のプレイヤーの動向は気になるものです。

自陣営のコミュニュケーションとして
ゲーム内でチャットできるシステムがあるのですが
相手陣営にも漏れてしまうことが多いそうです。

秘密にしておきたい作戦とか計画とかは
ハングアウトやGoogle+でやることが多いのですが
活用すると地元で同じく活動している人と出会えたりします。

共同作戦でゲームを進めるのも良し、
いろんな情報も仕入れることが出来ますし良いものです。

『さいごに』

Ingressをやり始めて1か月が経ちました。

英語のアプリなので最初はとっつきにくかったのですが
やり方がわかってくるとみるみるハマっていきました。

楽しみ方は人それぞれ。
いろんなプレイスタイルがあるのもIngressの良いところで
特に歩きと歴史が好きな方にオススメしたいです。

では、Enjoy!Ingress!


   
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | ゲーム(Ingress・ポケモン) | 更新情報をチェックする

2015年01月21日

西国街道その6・姫路城下→有年駅

秋空の姫路より出立です。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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姫路城下の西国街道は
西二階町のアーケードの筋を通っています。

朝早いのでひっそりと静かです。

江戸初期までは1つ北側の筋が街道だったのですが
堀の工事をした際に道に土砂など敷いたところ
歩きづらくなりこの筋に移ったという話があります。

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姫路城下の西の端。
ここには備前門が設けられていました。

早い段階で撤去されているせいか
明治の地図でも位置を把握は難しいのですが
古絵図を見ると現在の緑橋付近が跡だと言われています。

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内堀には石垣が残ってるのを確認できます。
かつては備前門橋と呼ばれた木橋が架かっていたそうです。

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龍野町付近の町並み。

姫路は空襲により古い建物が少ないのですが
ここには昔の賑わいを感じさせる家々が残っていました。

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朝早くから秋祭りの準備で賑わう街道筋。
ところどころに丸いぼんぼりが飾られています。

これは「指手(しで)棒」という代物で
町ごとに色が違っていて実にカラフルです。

祭りの本番では神輿の「屋台」とともに
これを持って町を練り歩くのだそうです。

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祭りの旗と金木犀。
秋ならではの香りが街道に広がります。

夢前川を渡ります。

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かつては徒歩で渡っていたそうですが
橋が架かっていた時代もあったと記録があります。
その際は通行料がいくらか必要だったとのことです。

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川の手前に大きな常夜灯がありました。
普通は両岸に対になって置かれてるものですが
ここには姫路側しかありません。

片方は撤去されてしまったかは不明ですが
かつての旅人はこの大きな常夜灯を眺めて
姫路が近いことを実感したのではないでしょうか。

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立派な道標。
出雲方面への道の追分にあたる場所で
あらゆる地名が書かれています。

「すぐ 姫路 京 大坂 江戸 往還」

当時の三大都市の名前が
1つの道標に刻まれているのは
西国街道ならではかもしれませんね。

他に宮島や金毘羅、九州、因州の文字もありました。

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山田峠。
かつては笹ケ峠とも呼ばれていました。

現在の道筋は掘割状の道になっていて
大きく山を削った形状になっています。
実はこの道は明治以降に出来たそうです。

かつての道筋はというと
掘割状の道の左側にひっそりと眠っています。

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こちらがかつての山田峠。

藪があるので進みにくい状態ですが
路盤はしっかりしてるので歩こうと思えば歩けます。
ただし姫路側から来る分には住宅街の中なので
登り口が少しわかりにくいかもしれません。

逆方向からならば
この石柱が目印になります。

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山田集落の入口。
ここは左に曲がっていくのですが
資料の多くは右に進むものが多くなっています。

江戸時代の古地図を見てみると
集落内で大きく屈曲して描かれてるのがわかります。
右の道はおそらく明治以降の道ではないでしょうか。

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ちなみに屈曲してる地点には古い道標が立っていました。
判読は難しいですが旧道である何よりの証拠ですね。

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晴れ渡った秋の空。

少しアップダウンのある里道を進んで
名水「桜井の井」を経ると太子町中心部へ。

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街道を少しそれた場所には
太子町立歴史資料館がありました。
展示には先ほどの山田集落の古地図もあり、
西国街道の資料も豊富でなかなか楽しめました。

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太子町は斑鳩寺が有名です。

奈良の法隆寺領でもあったので
至るところに奈良の雰囲気を感じることが出来ます。

たとえばこの常夜灯。
聖徳太子の名前がくっきりと刻まれています。
ここが斑鳩寺の参道入り口にあたります。

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雰囲気のある家並みが続きます。
鵤(いかるが)宿と呼ばれていた辺りです。

ちなみに古代山陽道は
近世山陽道の少し北側を通っていたようです。

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揖保川を渡ると正條宿。

渡し場跡が残っていて
狭い路地から宿場内へと入っていきます。
真っ直ぐの道は室津街道と呼ばれ港に通じています。

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この付近の堤防は少し変わってます。
少し頑丈な造りで隙間が等間隔に空いてるのですが
これは畳堤といって洪水時は畳を欄干の間に入れるそうです。

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正條宿の光景。
右側のブルーシートのあたりが本陣跡です。

この手前には道標も立っていて
「左 たつの 山さき」と書かれていました。

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続いての宿場は片島宿ですが
宿場の名残りはあまり感じられません。

案内看板類も見当たらず、
普通に歩いてれば気づかないほどです。

この付近は山沿いになるので
木々の葉がだいぶ色づいていたのが印象的でした。

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新幹線も停車する相生の集落へ。
ここは赤穂城下への分岐点でもありました。

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この立派な道標は

「是より右さいこくみち」
「是より左あかう城下みち」とあります。

付近の道路が拡張されているので
元々の場所から移設されてはいますが
移設されても残っているのは嬉しいですね。

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相生を過ぎると住宅は少なくなり
アップダウンある道筋になっていきます。

国道はここまで片側2車線だったのですが
ここからは片側1車線に。

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現在、有年にかけて
国道の拡幅工事が行われています。
中には街道が大きく削れれてる場所がありました。
(重機のある辺りが旧道にあたります。)

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のんびりとした旧道風情。
稲もたわわに。彼岸花も咲いていました。

冬が近づき日が暮れるのも早いようで
15時ぐらいから顔面に当たる西日が強烈です。

西に向かう西国街道は
この西日との戦いになるのですが
疲れた体にこういう西日はこたえますね。

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有年集落の手前にあるJRの跨線橋。
ここは国道の路肩を歩くしかありません。

一桁国道の国道2号線なので
大型トラックがバンバンと通っていきます。

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旧道の名残である草道を進んでいくと、
有年駅付近へと入っていきます。

次回はいよいよ難所の有年峠です。



  
  
posted by にゃおすけ at 20:49 | Comment(2) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする

2015年01月14日

西国街道その5・大久保駅→姫路城下

9月に入って最初の街道歩き。
道中随所に秋の気配を感じることが出来ました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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雨上がりの大久保駅前をスタートします。

マンションが立ち並ぶ大久保ですが
さすがは日曜の朝だけあって静かでした。
同じ時間でも平日は違った表情があるのでしょうね。

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刈り取り間近の稲穂。
もう秋ですねー。

溜め池も増えてきて
ようやく郊外の景色になってきました。

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所々に立派な道標が立っています。

「左 別府手まくらの松/をのへの可年(かね)/高砂相生末川(松)」

このように書いてあるのだそうです。

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別府や高砂のあたりの海岸は昔から「松の名所」だったので
この道標はそれらへの案内のものなのでしょう。

下の大山寺の道標は今の太山寺へのものになります。
場所は伊川谷にあるので結構な距離があります。
歴史は古く本堂は国宝に指定されているそうです。

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土山付近では大きな商店街に出会えました。

今の時代は大型ショッピングセンターが多くなってますが
昔ながらの公設市場は懐かしいものを感じます。

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半鐘付きの立派な火の見櫓。

火災時は鐘を叩いて知らせるのですが
最近は防災スピーカーで鳴らす場合が多いようで
半鐘は飾りになってるか撤去されてるのが増えてきました。

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野口神社の立派な鳥居。
江戸時代までは山王五社宮と呼ばれていました。

この辺りの古くからある神社なのですが
不思議なことに街道の南側にも2つ目の鳥居があります。

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なぜ2つも?となるのですが
おそらくは古い時代の山陽道(賀古の駅からの道)が
南側の鳥居の先に通っていたという説があるようです。

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加古川宿に入ります。
宿場の中心はアーケード街になっていました。

ちょうどこの日は市が開催されていて
大勢の人で賑わっていました。

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アーケードの出口付近にあった陣屋の跡。

加古川の川渡しを前にした加古川宿には
本陣や旅籠・店屋が多く立ち並んでいたそうで
渡しには人夫が100人、馬子が150人いたとされています。

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加古川を渡ります。
昼を前にして暑くなってきました。

今回の道中においては
旧道区間がほぼ全般に残ってて嬉しい限りです。
アップダウンも少なく実に歩きやすい道でした。

ただ今年の大阪の夏は涼しかっただけに
ちょっとした暑さにもこたえてしまいます(^^;

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宝殿駅近くにある道標。

「左 石寶殿」

石の宝殿と呼ばれる巨石は
昔から有名な名所だったそうです。

この道標にもあるように
街道から外れて周遊する形で道が整備されてたので
多くの一般の人も寄り道をしていたといいます。

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播磨らしい岩山が増えてきました。

景色も一層のどかな風情になってきて
古い家も多くなって良い感じです。

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橋の手前にあった道標。志方と書かれています。
黒田官兵衛の光姫の実家のある場所です。

道中の後半は官兵衛関係の史跡が多く
暑い中を歩いている歴女の姿が見られました。

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明治天皇は地蔵院で小休止されています。

地蔵院は曽根駅の近くにあるのですが
駅の近くでは道標が大切に保存されていました。
影になっているので保存状態は良いようです。

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別所付近は懐かしいものがいっぱい。
森高千里の「飲もう~♪」のポスターもありました。

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御着宿は間の宿です。
古い立派な家が続いていました。
近くには御着城跡公園。黒田家の廟所もあります。

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天川に架かる橋は
昔は大きな石造りの太鼓橋だったそうです。

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市川を渡れば姫路市街地ですが
その手前の旧道風情はなかなかのものでした。

市川橋を渡ります。

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姫路の市街地は空襲で焼けた場所が多いですが
京口の手前のあたりはあまり被害がなかったようで
古い家並みが良い感じに残っていました。

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京口は姫路城から見て京都に近い門ということで
ここには立派な京口門がありました。

門でクランク状になっていた道筋は
明治の早い段階で直線にする工事を行っています。
今も学校の敷地の下には石積みが残ってるそうです。

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姫路城が近くなり
道がややこしく曲がっていきます。

アーケード街には官兵衛ののぼりが。

官兵衛も通った道と書いてるあたり
ここが古い道である証拠ですね。

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宿場機能としては少し先が中心なのですが
今回は姫路駅前の道路でゴールとしました。

道路からくっきり姫路城。
白さが一層目立っていて綺麗でした。


  
posted by にゃおすけ at 19:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西国街道(山陽道) | 更新情報をチェックする