2015年02月24日

西国街道その9・岡山城下→矢掛宿

夜明けが遅くなってきた10月の朝。
矢掛の本陣を見学したく暗いうちに出立しました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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岡山城下の宿場機能は
下之町、上之町付近が担っていました。

今もこの付近は大きな商店街になっていて
かつての賑わいを感じることが出来ます。

ただ、古い家は皆無に等しく、
戦災の影響で残っていないようです。

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柳川交差点。
この辺りの道路はとてつもなく広いのが特長的です。
戦後、道路の拡幅とロータリーの建設が行われています。

江戸時代においてもこの道筋は重要だったようで
古地図を見ると堀があり小橋が架かり枡形があったそうです。

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町がようやく目覚めてきました。

新幹線の高架をくぐっても
別の商店街がまだまだ続いています。

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こちらは奉還町商店街。
明治になって武士は失職した際の退職金を奉還金と呼ぶのですが
奉還金を元手に武士が商売を始めたという歴史のある商店街です。

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水路がある街道風情。
石積みに古さを感じますね。

この辺りからは古い家をちらほら見かけることができます。
空襲の影響は山沿いなので少なかったのでしょう。

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やがて街道はちょっとした高台へ。
矢坂宿と呼ばれる間の宿に差し掛かります。

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この写真のあたりは本陣跡と呼ばれていますが
おそらく茶屋(本陣)の意味かと思います。

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郊外の風景になってきました。

左には吉備津彦神社があるのですが
以前寄ったことがあるのでスルーしています。

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今回の区間ではこのように史跡が豊富です。
もしかすると西国街道一番の見どころ多い区間と思うので
余裕があれば2回に分けて歩いたほうが良いかもしれませんね。

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この辺りは左にカーブをしてますが
右方向からの細い道と合流します。

この道こそが藤井宿付近で分岐した古代山陽道です。

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この先で備前、備中の境界碑(元禄年間)を見て
真金一里塚にたどりついます。

上の木は後年のものになるのですが
盛り土に往年の面影を感じることができました。

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吉備津神社への参道と分けます。
立派な松並木が西国街道の鳥居から出ています。

この吉備津神社近くの宿場町が板倉宿です。

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江戸時代の後期は歓楽街としても賑わっていたそうで、
なまこ壁の立派な家があるなど面影を感じます。

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この昭和60年に復元された道標には
松山(備中)や陣屋のあった庭瀬などの文字を確認できます。
板倉宿は交通のジャンクションだったことがわかります。

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備中高松城攻めで有名な足守川を渡ります。
この周辺は田畑が広くなんとも気持ちの良い眺めです。

川の堤防横には明治天皇野立場跡があるのですが
明治43年にあった軍事訓練の観閲時によるもので
さぞ見渡しが良かったものと思います。

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国分寺の五重塔が見えてきました。
ここからしばらくは右手に眺めながら進んでいきます。

この付近の風情ある旧道。
造り酒屋があり試飲が出来るみたいです。

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土壁が実にいいですね。
「金」と書かれた立派な金毘羅さん常夜灯もありました。

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やがて高梁川の堤防へ。

現在は橋で渡るしかないのですが
かつては舟で渡っていました。

対岸の川辺宿側には渡し場跡が残っています。
川には高瀬舟の往来もあり相当な賑わいがあったそうです。

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川辺宿。

今回のゴールは有名な矢掛宿ですが
川辺宿は川止め対策の宿場町でもあったので
矢掛宿を上回る重要な拠点だったといいます。

現在は国道のバイパスが出来ているので
宿場の風情はひっそり。なんとも静かなものです。

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秋は祭りの季節。
立派なのぼりが立ってました。

ここからはひたすら西へと進んでいきます。

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途中なにもないところで街道は屈折します。

大曲です。

なぜこれほどまでに曲がってるかというと
条里制に関係しているという話です。

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この付近は吉備真備の史跡を多く見かけます。

街道を歩いていると歴史を感じることがありますが
それは江戸時代から近世にかけてのものが多いです。

ところが今回の区間に関しては
江戸時代以前の歴史を感じる箇所が多いもので
先ほどの国分寺にしろ数多くの古いものが残っています。
それだけ山陽道は古くからの重要道だったということでしょう。

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黄金に輝く稲。
西日が強くなってきました。

家族総出の光景をあちこちで見かけました。

左手の山は猿掛城跡です。
街道は山と山の間の空間を抜けていきます。

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国道と離れ旧道に入ります。
三谷駅付近ではしばらく高台の道を進みます。

おそらくは川の氾濫対策だったのでしょう。
かなり高い位置まで上ったので国道が真下に見えました。

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やがて矢掛宿に到着です。
ここは本陣と脇本陣の建物が残る街道唯一の宿場です。

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脇本陣の見学は15:00までなのですが
本陣は17:00まで見ることができます。
希望すれば係員から説明を受けることができます。

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次回は広島県へと進めていきます。


  
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2015年02月19日

西国街道その8・伊部駅→岡山城下

この日の伊部は大賑わい。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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駅に着くと凄い人。人。人。
前回とは全く違う光景に驚いてしまいました。

備前焼祭りが開催され店が立ち並び、
自慢の備前焼きが売りに出されています。

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登り窯のある街道風情。
いかにも焼き物の町という雰囲気ですよね。

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左手に「大ヶ池」を見て進みます。
古くは名前の通り今以上の大きな池だったそうですが
江戸時代に堰が設けられ現在の大きさになったとのことです。

それにしても晴れていると気持ちがいいですね。
秋の空は高くて気分爽快です。

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この先の西国街道の道筋は地図で確認すると
JRの在来線沿いでなく新幹線沿いを進んでいきます。

在来線の時代はSLが走っていたことから
出来るだけ勾配が少ないルートを通っていたり
トンネルを短くできるルートを通っています。

街道は峠を越える山道を通ってるわけですが
新幹線の時代になると土木技術や車両の性能があがったことで
再び最短距離である街道ルートになったということでしょう。

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香登の集落。
この先の吉井川の川止め対策の村であったようで
なまこ壁の立派な家々が軒を並べます。

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ここには一里塚も残っていました。
大内神社の境内にあり石積みもしっかりしたものです。

稲荷社の備前焼キツネも必見です。

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この付近から増えてくるのは金毘羅さんの常夜灯。
台座にはしっかりと文字が刻まれています。

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ずいぶんと秋が深まってきました。
たわわに実った稲の光景はいいものですね。
次の新米は岡山米を買ってみたくなります。

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吉井川を渡ります。

広大な川なので渡しで越えていました。
香登側の渡し場跡は河川敷になってしまいましたが
反対側には一里塚跡が残り良い雰囲気がありました。

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昭和16年の一里塚の石標です。
堤防脇にあるわけですが今の時代は車が多くて
ここにたどり着くのはなかなか困難です。
歩道があればいいんですけど、、、

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一日市宿。
入口には文政年間の常夜灯が立っていました。

宿場内はいたって普通の住宅街といった感じですが
本陣の他にも脇本陣が神社付近にあったそうです。

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道中に立っている旧山陽道の標識。
岡山県内では山陽道と書く案内が多いような気がします。

ススキの穂と水路のある街道風情。
秋ですねー。

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立派な指さし道標がありました。

こういった造形の道標は
決まって明治後期から大正期のが多いものです。
しかも関東よりも関西に多い気がします。

この道標も大正期のもの。

「せとえき、美作津山、道」
「神戸大坂、岡山廣島、道」

大正時代で「大坂」表記は珍しいですね。

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果樹園が広がっています。
少し山沿いを進んでいくと藤井宿。
ここは岡山城下を前にした宿場町でした。

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宿場の西の端には幕末の動乱対策のために
岡山城下を通らない付け替え道の分岐があります。
神戸にあった徳川道のような役割です。

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藤井宿の先では古代山陽道が右へと分けていきます。

道筋的には先ほどの付け替え道とどこかで合流した後に
岡山の先の吉備津神社付近で再び西国街道と合流します。

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岡山県内では銀の鉄板屋根をよく見かけます。

元は茅葺の屋根だったわけですが
一説によると銀色は太陽光が反射するので
家の中が熱くならないのだとか。

晴れの多い岡山ならではの知恵なのでしょう。

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岡山市街地が近づいてきました。
東岡山付近になると旧道は車が溢れかえっています。

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ここにも立派な指さし道標。
こちらは明治38年建立のものです。

「長岡駅、西大寺観音、道」
「岡山玉島、神戸大坂京、道」

長岡というのは東岡山駅の旧駅名です。

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百間川を渡ります。
川幅が百間(約180m)あったことが由来です。

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総門付近には古い石積みを使った水路が見られます。
ここが岡山城下の入口にあたる場所です。

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この付近は古い家がちらほら残っていました。
戦時中は空襲被害が大きかった岡山市ですが
この辺りはさほど影響がなかったのかもしれません。

街道は大きく左にカーブしますが
横に川が流れている影響なのでしょう。

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ここで少し寄り道をしてみましょう。
次の交差点で右に曲がると岡山城が遠望できます。

川の流れと城とで風情がありますよね。

街道は他の城下町と同じく
城の周囲を避けるように進んでいきます。

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路面電車が通る街道筋。

街道は小橋、中橋、京橋と3つの橋を渡って中心部に入ります。
まさに岡山城下へのクライマックスといった感じです。

かつては橋の上流に渡しもあったそうですが
あくまで地元の人用だったのだとか。

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京橋はなかなか立派な橋です。
渡った左側には道路元標がありました。

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やがて西大寺商店街の中に入り岡山宿に到着します。


  
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2015年02月12日

西国街道その7・有年駅→伊部駅

いよいよ播磨と別れて備前の国へ。
その前に難所の有年峠が立ちはだかっています。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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有年駅を出ると千種川を渡ります。

かつては渡し舟で川を渡っていて
旧道を辿ると渡し場跡が残っていました。

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有年宿。

山あいの静かな宿場町といった風情。

古い家はさほど多くないようですが
町中のあちこちに案内看板があったので
楽しみながら歩くことで出来ました。

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有年宿の外れに
立派な鳥居の八幡神社があります。

鳥居の右手は小高い山になっていて
上まで登ると大きな木製の灯台があるそうです。
千種川を下る高瀬舟の航行用だったといいます。

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道中はすっかり秋の気配。
柿がだいぶ熟してきています。

旧道を歩いていくと
突然、墓の前に出ました。

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資料によっては墓の中を通るものがあるのですが
いくらなんでも・・・という思いで左の道を進んでいくと、
ありました!一里塚跡!!

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ルートの説がいろいろある場所は
こういう確定的要素があると嬉しいですね。

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有年峠を前にした立場跡。
この辺りは西有年地区にあたります。

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公園には懐かしい土管。
まるでドラえもんの世界です。

有年峠に入ります。

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入口付近は車も通れるような道筋でしたが
次第に鬱蒼とした山道になってきました。

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石畳が破壊された名残なのでしょうか。
このようなガレ場もありました。

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途中からは完全な登山道。

峠的には大したことはなかったのですが
倒木や蜘蛛の巣が多くて難儀しました。

これでも昔よりはマシになってるみたいで
他の方の記録では藪漕ぎしまくってるものがありました。
一番藪が酷い秋口の季節に藪がないということは
近年は定期的に整備をされているのかもしれませんね。

所々には真新しい西国街道の看板も見かけました。

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峠では見渡しが全く効きません。

一本道で下っていきます。
途中には石畳が残ってる場所がありました。

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やがて梨ヶ原宿が見えてきます。

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この辺りは中世の遺跡があることで有名で
宿という名前があるとおり峠を前にした宿場でした。

江戸時代において西国街道が整備されると
梨ヶ原宿は正式な宿場ではなかったようですが
いわゆる間の宿として扱われてたそうです。

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集落の途中には
明治天皇が休まれた跡がありました。

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続いての峠は船坂峠です。
今回の行程ではアップダウンが続きます。

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船坂峠は県境です。
長かった播磨の国もここで終わり。
いよいよ備前の国へと入っていきます。

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ここにあった県境碑は
大正期に立てられた立派なものです。
東宮(のちの昭和天皇)の文字がしっかり刻まれています。

船坂峠にはもう1つ県境碑が残っています。
こちらは江戸時代に備前藩が立てたものです。

現在の峠から20m上の位置にあるのですが
おそらくはそこがかつての峠だと思われます。

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三石宿へと向かいます。
その手前には深谷滝への道標がありました。

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紅葉のシーズンには
大層賑わう三石の名所なのだそうです。

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三石の町は明治以降は煉瓦造りで発展しました。
今も立派な煙突を何本も見ることが出来ます。

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宿場の中ほどにある三石神社には
大きな岩がいくつも境内に鎮座してありました。
なにやら安産の神様だとか。

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煉瓦造りのJRのトンネルをくぐります。

明治の建築物はほんと立派ですよね。
おそらくこの煉瓦も三石で作られたものでしょう。

明治天皇はトンネル付近の光明寺で休まれています。

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ここから先は弟坂、兄坂と国道を歩いていきます。
さすがは国道2号だけあって大型車が多いです。

途中の八木山にあった明治天皇の休息地点。
三石の光明寺を出て30分も経っていません。

現代の道は整備されているのですぐの感覚ですが
往時はこの何倍も時間がかかっていたかもしれませんね。

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閑谷付近。
有名な閑谷学校は5km先にあります。

備前の国に入って
どこか家の風情もが変わったように感じます。

先ほどの船坂峠は方言の境でもあったようで
めっきり関西なまりを聞くことがなくなりました。

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備前焼を売るお店が増えてきました。
今回のゴールの伊部は生産地として有名です。

山間部を過ぎて行くと
片上の町へと入っていきます。

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片上宿は久しぶりに海が見える町です。

八幡神社の前にある狛犬は備前焼で出来ていました。
文政年間のもの。触ってみると固くガッチリしています。

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津山への道の追分。
片上宿内ではこのような案内看板が豊富でした。

それにしても町の雰囲気がいいですね。
牡蠣でも食べに冬に改めて訪れてみたいものです。

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葛坂峠。
ここにはお夏の茶屋がありました。

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お夏は天性の美貌と知れ渡った人で
店の評判は随分と良く人気の店だったそうです。

峠からは伊部の町を俯瞰できるので
ゆっくり休むにも絶好な場所だったことでしょう。

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伊部(いんべ)は備前焼の里。
登り窯の独特な煙突があちこちに立っています。

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天津(あまつ)神社の狛犬も立派な備前焼でした。
奥の門にも備前焼の瓦が使われています。

次回は岡山宿を目指していきます。


  
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