街道シンポジウムの一環で歩いてきました。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
中山道との追分に立つ道標には
”たにくみ”の文字が刻まれています。
谷汲山は関西で人気のある西国三十三カ所の一つ。
三十三番札所ということで結願場所でもあります。
順路的には西から来る形になっているので
道標は西向きのわかりやすい場所に設置されていました。
赤坂宿は立派な港の設備をもっています。
これは大垣や伊勢湾への舟運によるもので
周辺の物資の集積地として大変賑わったようです。
近代においては金生山の石灰を運ぶ鉄道が整備されて、
今も駅の跡などの遺構を見ることが出来ます。
赤坂の家並みを抜けると田畑が広がっています。
この辺りはまだ平坦なので歩きやすいものです。
谷汲巡礼街道の特長としては
第一に自然石の道標が多いことがあげられます。
また自然石に限らず地蔵型や常夜灯も豊富です。
特に自然石の道標はどれも形が似ていることから
おそらく同じ時期に整備されたのではと思います。
近年立てられた谷汲巡礼街道を示す道しるべ。
しっかりと「江戸時代」と書かれています。
所々、区画整理などによって消滅箇所がありますが
おおむね旧道に沿って進んでいきます。
遠くに谷汲山が見えてきました。
杭瀬川を渡ります。
天井川だったので両側に高い堤防が築かれて
明治時代においては川の下にトンネルが作られていたそうです。
いわゆる「マンポ」というレンガ造りの代物です。
今はその痕跡を見つけることは困難で
天井川であったこともわからない状態になってますが
おそらくは河川改修の影響なのでしょうか。
明治の新道と江戸時代の旧道との追分。
道標には”新道”とくっきり刻まれています。
周辺を歩いてみると新道のほうに町並みが集中していて
旧道はいくぶん長閑な感じで対称的です。
この辺りの史跡といえば「乳くれ地蔵」さん。
お乳がよく出るようになることで有名です。
このお地蔵さんには面白い話があります。
行き交う女性に対して乳をくれとせがんだ老人がいたそうで、
当然ながら女性は気味悪がって逃げていたわけです。
実は老人は乳をくれるような優しい人を探していて、
ここに地蔵を立てて欲しかったとのことでした。
麦畑が広がる街道風情。
やがて揖斐川の渡し船の利用者で賑わったであろう
杉野集落へと入っていきます。
そういえば、古い建物をあまり見かけませんが、
明治時代にあった濃尾地震の影響なのでしょう。
揖斐川を渡ります。
かつての渡し場は現在の橋より少し下流だったそうです。
とは、言っても増水時などで場所は変わっていたらしく
しかも近年において河川改修が行われているので
どこが本来の場所だったかを探るには難しところです。
ちなみに、対岸の橋のたもとにある常夜灯は
下流にあった渡し場跡からの移設になっています。
山が近くなってきました。
揖斐川の旧堤防の上を進んでいき、
名鉄の廃線跡を越えると名古屋方面の追分がありました。
この立派な道標なのですが
俳句調に書かれている大変珍しいものです。
みぎハいせ
ひだりハき婦や
名古屋道
き婦とは岐阜のことですね。
山際を進んでいきます。
かつての平地は悪水のたまり場だったらしく、
平地を進むことが出来なかったようです。
時には山の中を進んでいく格好ですが
明治時代になって治水工事が行われてからは
平地の中を進む道が整備されていきます。
小野地区にある百観音。
これらの石仏は街道沿いにあったものですが
ここにどういうわけか集められたものです。
石仏には敦賀、京都、大坂の文字が書いてあるので
西国巡礼の折に置かれたのかもしれませんね。
小野坂峠への道筋。
江戸時代の道は掘割状になっていていたり、
所々に石積みや五輪塔の一部が残っていたりと
ここは昔は道であったことを教えてくれています。
やがて自性院というお寺の横を通ります。
ここは茶所でもあったようで、
峠を前にした巡礼の人々に茶を接待していたとのことです。
江戸時代の道はトンネル横から九十九折で登っていきます。
小野坂峠は時代によって三度ルートが変わっています。
現在のトンネルが出来るまでは
明治に江戸時代の直登の道の迂回路として
勾配が緩やかな道が整備されています。
いわゆる車や馬車を通すためのものですが
このように時代によって幾つもルートがある場所というのは
いかに交通上で重要な場所であったことがわかります。
小野坂峠。
谷汲側の展望はなかなか良い感じでした。
ここから先は所々に旧道を交えながら進んでいきます。
相変わらず多い道標と丁石。
丁石とは寺までの距離を表すものですが
近づくにつれ数字が減っていくので面白いものです。
この道標は道教え地蔵と呼ばれているのですが
お地蔵さんの小さい指に注目してみてください。
指先で進むべき方向を示してくれています。
やがて家や食堂が多くなってくると
谷汲山の門前町へと入っていきます。
上の写真は谷汲山の門の前ですが
これは近世に出来たもののようで昔からの山門はまだ先です。
おそらくは鉄道整備などで麓に向けて門前町が広がった影響なのでしょう。
かつてはこの山門と昔からの山門の間にある川のあたりまでは
ウネウネとした道が続いていたそうです。
参道の光景。
両脇には土産物屋が軒を並べていました。
立派な山門が見えてきました。
街道自体はこの山門で終了だと思いますが
丁石は本堂から数えられています。
谷汲山の本堂。
ハート型の常夜灯がなんともかわいいですね。