2015年06月03日

日光西街道(壬生道)その1・小山宿→楡木宿

心地よい丘陵ハイキングになりました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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早朝の小山宿。

この付近は中心部なので本来は交通量が多いのですが
さすがにまだ町は寝ている様子でした。

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踏切に奥州街道の名前

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喜沢追分で分岐します。

日光西街道は宇都宮経由の日光街道よりも
2里(約8キロ)も短い上に混雑を避ける意味合いで
庶民の日光社参によく利用されていたそうです。

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追分に立つ石仏群

特に徳川家康の命日月である4月は
日光街道の混雑は凄かったみたいですね。

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名残りの松並木。
数本しか残ってませんが実に立派でした。

この付近から起伏に富んだ道が増えてきます。
周りの景色も田畑ばかりになってきました。

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森の中に一里塚

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飯塚宿はその名のとおり塚が多いところです。

周辺には古墳が多く残っていて
下野国分寺跡もあり古くから発展していたようです。

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下野国分寺跡

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両側に残る”飯塚の一里塚”

比較的小さいサイズですが状態は良いようです。
歩道は塚をわざわざ迂回して作られていてナイスでした。

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杉並木が現れました。

この辺りの古地図を見ると
昔はずらーと並んでいたことがわかります。

数本のみとはいえ樹齢を重ねた杉の威容は
素晴らしいものがありますね。

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枯れかかった杉の木も

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御成橋を渡ると壬生の城下はすぐ近く。

”御成”とは将軍も通った名残なわけですが
日光への行きは正式ルートの日光街道経由でも
帰りは日光西街道を経由することもあったそうです。

その際の宿泊は日光街道の宇都宮城に対し、
日光西街道では壬生城に泊まっていました。

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壬生の一里塚。
城下の出入り口に位置しています。

将軍社参のおりは
壬生の殿様はここまで見送りに来たそうです。

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壬生城下の風情。
電線も地中化されて良い雰囲気です。

何やら蘭学で有名な人が何人もいたそうで
メインストリート名が蘭学通りと名づけられてました。

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壬生城跡

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花が咲く街道風情。

かつてはここにも杉並木があったようですが
その跡地を利用して花壇が作られています。

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団子屋でいっぷく。
街道の話で花が咲きました。

帰り際に柏餅を2個もいただき有難いものです。

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金売り吉次の墓。
何やら平安時代末期の商人のようで
平家物語や義経記にも登場する伝説の人らしいです。

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大谷石を使った家々が増えてきました。

壬生宿から楡木宿まで宿場はないですが
古い集落が街道沿いに点々と存在しています。

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またも一里塚。

脇道であった日光西街道では
日光街道と比べて都市化が避けられ影響があるのでしょう。
車社会になっても道幅をそれほど広げることなく、
立派な一里塚を今もあちこちで見かけることができます。

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これは杉並木にも言えることで
楡木宿に近づくにつれ立派な並木が残っていました。

車と比較してみると面白いですね。
まるで車がおもちゃのように小さく見えてきます。

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立派な前方後円墳

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これも一里塚

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木が伐採されてるのも多々ありました

杉の木が生えている部分は
盛り土になっていて昔ながらの光景です。

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左からは例幣使街道

やがて例幣使街道と合流して楡木宿へ。
次回は日光の手前にある今市宿を目指します。

  
 
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日光への街道 | 更新情報をチェックする