2015年07月29日

大川越街道と淡嶋道・岬町→和歌山市

大阪最南端の海沿いを進みます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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往時は大変賑わったであろう深日駅

かつて岬町深日(ふけ)は淡路島への拠点でした。
船に接続する難波からの直通電車があったのは今は昔。

深日で大阪から続いてきた孝子越街道(紀州街道)と分かれ
一路、海側へ進路を取ります。

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和歌山へ向かう街道はいくつかありますが
大川峠を越える大川越街道は難所が少ない上に
大川寺(報恩講寺)や淡嶋神社への参拝の人々、
さらに四国、淡路の拠点の加太へ向かう人々など
多種多様な人々が利用していたと思われます。

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多奈川のあたりは発電所があり鉄塔が何本も立っています。
空を見上げると電線がまるで蜘蛛の巣のようです。

かつて海岸線だった場所は埋め立てられ
大きな工場が建ち昔の面影が少なくなってしまいました。

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道路と民家の位置に注目

多奈川の集落付近は川の堤防上を進むのですが
民家とのレベルが異常に高いのがわかります。

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これは何度かの洪水によって
徐々にかさ上げされたのだそうです。

西畑越道との追分には道標がありました。

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「右 大川 加太 道」

なかなか立派なものですよね。
お地蔵さんの祠もあって重要な分岐だったことがわかります。

この先にある中ノ峠を越えると
いよいよ海が見えてきます。

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この辺りの海はなんとも綺麗です。
海岸線では釣りを楽しむ人が大勢おられました。

大阪と和歌山の県境には
「紀伊國」とのみ書いている国境石があります。

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文政四年製。
波打ち際なので風化が激しく、
本来は「是より南 紀伊國 大川」と書かれてありました。

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しばらく海岸線すれすれで進んでいきます。
高潮注意の看板があったりと荒天時は注意が必要です。

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右前方に大川峠が見えてきました

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やがて大川寺に到達します。
古い石塔などが多く残り時代を感じさせるお寺です。

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寺の手前には嘉永橋という江戸期の石橋が今も残っています。
嘉永なので嘉永年間(1850年ごろ)のものになります。

奥の平成の橋、昭和の橋との対比が面白いですね。

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一番左が嘉永橋

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さぁ、難所の大川峠です。

ここには平成に出来たトンネルと昭和時代の旧道、
そして昔からの街道と3本のルートが存在しています。

今回通ったのはもちろん江戸期の道ですが
藪が多くとても夏場は歩けないような雰囲気でした。

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この隙間が江戸時代の道の入口

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所々に石積みが残る

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かつては九十九折だったろう場所。
土砂で崩れてしまって何が何だかわかりません。

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峠には立派な祠がありました。
比較的綺麗なので定期的に清掃されてるのでしょう。

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この大川峠には
旧陸軍の施設が存在していたこともあって
今も名残を見かけることが出来ます。

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対岸にある友ヶ島といい海峡を挟んでの大川峠は
明治期において戦略的な要地だったのでしょう。

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大川峠から和歌山側に進んでいくと加太の町です。

加太は江戸時代よりさらに前の古い時代からの港で
南海道の駅の一つだったことがあります。

平城京からの使者や旅人は
この地から四国へ向かったといわれています。

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人形で有名な淡嶋神社。
境内には数多くの人形が置かれてあります。

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加太にあった道標。

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「左 あわしま道 右 和か山道」

ここからの大川越街道は
淡嶋道と名前を変え和歌山城下を目指します。

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古い石橋の跡?

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【グルメ情報】
街道沿いの加太春日神社向いのお店。
ここのあげパンが超旨いです。一個80円。
昼に行くと揚げたてほやほやでした。

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加太駅の南側はかつて陸軍の兵舎がありました。
この影響で街道の跡は全く残っていません。

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川の左側に軍に施設が広がっていた

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軽い山越えをすると視界が広がります。
ここから先はずっと平坦道です。

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和歌山の工業地帯を遠望

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南海加太線の線路沿いは道路事情がよくないからか
狭い道筋にも関わらず多くの車が行き交っていました。

逆に考えると狭い道筋は
昔からの光景そのままということなので
これはこれで有難いですが少しおっかないですね。

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加太線沿いに進む

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紀ノ川の手前にある住吉神社。

かつては堤防付近に渡し場があったので
神社にお参りして舟に乗る人が多かったとのこと。

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ちなみにこの北島地区には
紀州藩の御殿もあったそうです。

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写真の中央部に和歌山城

紀ノ川を渡ると和歌山市中心部。
鉄道橋だった河西橋は老朽化が進んでいます。
そのため架け替えの計画もあったりします。

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地元では和歌山市駅のことを市駅と呼ぶ

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和歌山城京橋でゴールとしました。


 
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2015年07月22日

北国街道その12・三日市宿→愛本橋→市振宿

いよいよ越後との国境の区間です。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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早朝の三日市宿。
朝焼けの立山連邦の山々がとても綺麗でした。

東三日市駅はこじんまりしたレトロな駅舎です。

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前回は下街道の入善経由で泊宿まで進んだので
今回は一旦戻って愛本橋経由の上街道も歩いていきます。

道中のあちこちに石仏。
この道は信仰の道でもありました。

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街道沿いは黒部川扇状地にあたるので
地下水が豊富で多くの湧水が湧き出ています。

その一つが「箱根清水」
”しみず”と書いて”しょうず”と読みますが
北陸地方ではこういう読み方が多いですね。

味はもちろん美味。
ペットボトルに入れて持ち帰りました。

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大きな高架橋が見えてきました。
北陸新幹線の黒部宇奈月温泉駅です。

開業を前にして工事の真っ最中でした。
新幹線と旧街道。新旧の交通の対比が面白いですね。

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駅付近の工事によって
移設を強いられた石仏が大事に並べられていました。

昔のものを大切にする姿勢は嬉しいものです。

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愛本橋までの区間では
富山地鉄がほぼ平行して進んでいきます。

どの駅もレトロな駅で実に味わいがあって
古き良き時代にタイムスリップしたかのようです。

駅は短い間隔で設置されているので
歩いてる人も気軽に拝借することができます。

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勾配を稼いでいきます。
街道松がなんとも美しいですね。

道路の右手には山が連なり、
左は黒部川の扇状地が広がります。

まもなく浦山宿です。

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朝早いということもあって車は少なく
水路の水の音だけが響き渡っていました。

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宿場の真ん中には大きな道路元標。
富山市内の西町からの距離程が書かれています。

富山県内ではこういう形式の元標を
新旧問わずよく見かけることができます。

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愛本橋が近くなってきました。
下立付近でさらに標高があがります。

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ふと川を見ると水の量が半端ありません。
しかも、とても澄んだ綺麗な水。

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下の写真の石仏群は流灌頂です。
かつての北陸ではお弔いの供花や塔婆を
水で清める風習があったそうです。

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旧街道を歩いていると
古い時代のモニュメントをよく見かけますが
この巨大な岩は粕塚と呼ばれています。

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大昔に火山から飛ばされてきたと伝えられていて
江戸の富士塚のように登ることができます。

逸話としてこの地には酒屋があったのですが
僧が酒粕を所望したところ無いと嘘をついたので
僧が立ち去った後の酒粕はすべて石になってたそうです。

粕塚の粕は酒粕だったんですね。

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さぁ、愛本橋です。

ここで黒部川はグっと狭まります。
下流域の夏場は洪水が多くて渡りづらいので
ここに橋を架け安全に通れるようにしました。

加賀藩の財力はなんともスゴイもので
当時の橋は巨大なハネ橋で三大奇橋の一つでした。

近年、観光資源で復活の動きもあるそうです。

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現在の橋も十分に特徴的な橋ですよね。
かつては今より少し上流に架かっていたようです。

橋からの景色の山側は渓谷になっていて紅葉が美しく、
下流側は富山平野が広大に広がっています。

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黒部川下流へと進路を変えていきます。
山には雪が積もりなかなかの風情です。
立派な街道松も健在。

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やがて舟見宿です。

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枡形の痕跡

ここには綺麗な桝形が残っています。
黒い瓦屋根も美しいですよね。

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付近一帯には砺波平野ほどではないですが
散居村の風景が広がっています。

いわゆる風よけのための建て方で
家の片側に大きな木が植わっている形式です。

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本格的な冬を前にした雪吊り。

雪吊りというと兼六園を思い出しますが
普通の民家の雪吊りはいろんな形式が多くて
パイプを使った変わり種もあって面白いです。

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一里塚跡を越えて、
再び北陸新幹線と交差します。

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泊宿が近づいてきました。
ここで入善経由の北国街道(下街道)と再び合流します。

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泊宿は静かな雰囲気が広がっています。
そういう中でも大きな銀行の建物があったりするので
かつての賑わいを感じることができました。

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江戸時代初期の泊宿の場所は
海際の元屋敷という場所にあったそうですが
高波などの影響で現在の場所に集団移転してきています。

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この付近が元屋敷付近。

移転する際には道幅を狭くしたり、
家は徹底的に田畑にしたので跡が全く残っていません。

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3月に廃止する「はくたか」が通り過ぎていきました。

さぁ、日本海です。

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越中宮崎の家並み。

この付近の名物は「たら汁」
大きな身が2つほど入ってるのが特徴です。

付近一帯にはお店がわんさかとあり、
市振駅付近まで賞味することができます。

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遠くに親不知が見えてきました。

境の集落。

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ここには関所がありました。
そして大きな立派な一里塚が残ります。

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境川を渡ると新潟県です。

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市振駅でゴール。
次回は最大の難所である親不知です。


  
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2015年07月16日

北国街道その11・滑川宿→泊宿

11月3連休の2日目。
ほたるいかで有名な滑川宿を出立します。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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この日の富山は雨風ともに強かったのですが、
街道沿いはそれを隔てる建物がなかったおかげで
何度も吹き飛ばされそうになりそうでした。

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この立派な街道松は約240年の樹齢。

日本海側は11月になると天気が悪い日が多くなります。
結局は昼には天候が回復して助かったのですが
北陸の冬の厳しさを垣間見ることができました。

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橋には”ほたるいか”の装飾がされています。
やがてミラージュランド(遊園地)が見えてきました。

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ここまで殺風景な景色が続いてたので
なんだか気持ちがホッとします。

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魚津宿は港町であり城下町、宿場町でもあります。
有名なものとしては蜃気楼や埋没林があげられます。

街道筋には風情あふれる松が植わっていました。
左手に蔵が見えますが魚津は米騒動の舞台の一つでした。

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街道は魚津城を囲むように通っています。

本丸は小学校の敷地内なのですが
この日はたまたま中に入って見学することができました。
校内には魚津城に関する手作りの資料が展示されています。

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魚津城は戦国時代には珍しい平城です。

上杉関係の史跡も増えてきて
越後(新潟)が近いことを実感させてくれます。

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レトロ感のある商店街。

朝早いので殆どシャッターが閉じてたのですが
雨が降って人通りはなく少し寂しさを感じる場所でした。

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魚津の古くからの中心部は魚津城のあたりなので
後年に作られたJR魚津駅付近は新しい雰囲気があります。

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片貝川を渡ります。

北国街道の富山県内では
このような大きな川を何度も渡ります。

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代表的なのはこの先にある黒部川ですが
3000m級の山岳から一気に海へと流れる場所は
世界的にも見てもあまりないそうです。

こういう地形だからこそ洪水が多く、
街道の道筋は川の影響をモロに受けています(後述)

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三日市宿。
今の黒部駅のあたりです。

名前のとおり3日に1回程度の市が開かれていました。

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立派なケヤキ。

この木が植わっている辺りは
元は三嶋神社の境内だったのですが
新しい道路によって分断されてしまいました。

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なんともレトロな雰囲気ある三日市宿は
良い意味で寂れていていい感じです。

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三日市宿から先の北国街道は2ルートに分かれます。

今回のルートは下街道と呼ばれ冬によく利用されていました。
夏は山沿いを進む愛本橋経由の上街道がメインでした。

下街道=冬ルート。上街道=夏ルート。
上街道は参勤交代路でもあります。

なぜ、この二つのルートが存在したのか。
それはこの先にある黒部川が関係しています。

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黒部川は黒部四十八瀬とも呼ばれていて
当時の川幅は今より相当広いものだったようで
増水時は48もの川筋があって極めて通行困難でした。

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左の堤防は旧のもの。右は近年の堤防ですが
江戸時代はさらに西側に堤防(のようなもの)が築かれています。

時代ごとに当時の技術を駆使したものを作ってきたと思いますが
治水の歴史を見てると黒部川に対する人々の大変さがわかります。

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11月中旬の黒部川。
渇水期なので驚くほど水量は少な目です。

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入善宿。
養照寺の立派なイチョウ。

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富山県内のお寺には
イチョウが植わってることが多い気がします。
今回の道中では時期的にどの寺も見頃でした。

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街道松。
こういう昔ながらの景色は癒されますね。

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途中で道路工事がありました。

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左側に石積みの跡が見えますよね。

アスファルトの少し下は昭和中期の表面で
江戸時代の層はそれより下になると思うのですが
こういう断面は見てるとわくわくします。

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泊宿が近くなってきました。

道行く人を見るとすっかり冬の風情です。
この先で愛本橋からの夏ルート(上街道)と合流します。


  
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