2015年07月07日

北国街道その10・小杉宿→岩瀬浜→滑川宿

晩秋の富山県内を歩きます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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小杉宿。
朝日に照らされた旧家は美しいですね。

しばらく進むと手崎の追分。
ここで北国街道は2ルートに分かれます。

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手崎追分。左が今回の道。右が富山城下。

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立派な道標がありました。

左、いわせ 右、とやま

前回は右の富山城下への北国街道でしたので
今回は参勤交代にも使われた左へと進んでいきます。

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開業直前の北陸新幹線。

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雪吊りをしている民家を多くみかけます。

冬はもうすぐ。
北陸の雪は重いので準備が大変そうです。

立山連峰が見えてきました。
まだこの時点では遠いですが歩くにつれ近づいてきます。

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下村宿。

この付近は集落を縫うように街道が通ります。
集落の外れには広大な田畑が広がっています。

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祠の中に大切に仕舞われている道標がありました。
正面には「右、江戸道」とくっきり刻まれています。

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加賀藩では参勤交代で利用する道筋は特に整備に力を入れていて
各地に「道番」と呼ばれる役人を置いていました。

その役人の屋敷があった場所がこの辺りで
地名には道番という名前が今も残っています。

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あちこちで色づく木々の葉。
11月の街道は実にカラフルです。

神通川を渡ると岩瀬宿です。

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立派な旧家が軒を連ねます。
岩瀬宿は北前船の寄港地として賑わいました。

廻船問屋の「森家」住宅は見学をすることができます。
料金は破格の100円。宿場の古地図もあり見応えがありました。

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家々は富山の町家形式の建て方をしています。

富山市内は大部分が空襲でやられたので
古い家が残っている岩瀬の町並みは貴重そのものです。
古き良き時代の富山を感じることができました。

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港と立山連峰。

だいぶ山々が近くなってきました。
ここからは暫く立山連峰を前に見る形で進んでいきます。

雄大な景色を見ながらというのはいいですね。
富山県内に関しては西から東に歩くのがオススメです。

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古志の松原。
海岸沿いは立派な松原が連なっています。

街道を行く旅人を日差しから守る役目があった他にも
海からの風雨を避ける意味合いもあったのでしょう。

古志の松原の命名は意外と新しく
昭和初期とのことでした。

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県道の脇にあった旧道の痕跡。

土道であるおかげで
まるで江戸時代さながらの街道光景です。

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松原は水橋宿手前まで続いています。

この辺りから増えてくるのは
立派な祠の中に入ったお地蔵さん。

窓や扉がある頑丈なものはなかなかお目にかかれません。
雪風の対策か高波や津浪の対策なのでしょうか。

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常願寺川河口と水橋宿。

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津波の話が出ましたが
次の水橋宿では安政年間に津波で壊滅しています。

いわゆる安政地震というもので
富山県内ではあちこちで相当な被害を残しています。

水橋宿においては海岸沿いにあった道筋は
民家とともども内陸へと付け替えられてしまっています。

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白岩川に架かる橋。

かつては水橋川と呼ばれていて
現在の常願寺川と白岩川を合わせた流れでした。

川幅が広く暴れ川だったことから
江戸時代は渡し舟だったのですが2隻しか常駐がなく
交通上のボトルネックだったみたいです。
ちなみに参勤交代では舟橋が架けられました。

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水橋宿では小杉宿の手崎追分で分けた
富山城下からのルートと合流します。

なぜ、参勤交代のルートは城下を通らなかったのか?
加賀藩はご存知、前田氏ですが富山藩も分家の前田氏です。

なので遠慮せず堂々と通ればよいと思うのですが
間柄が近いだけに気を遣うところがあったといいます。
大名行列では金銭的にもかなりの多くの費用を使いますし
城下を通らないことで費用を軽減できた意味もあったのでしょう。

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次の宿場の滑川宿を目指します。

その途中にあった「大岩道」の道標。
立山への参詣道のものです。

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富山県内を歩いていると
立山信仰に関するものを多く見かけます。

関西いると立山は馴染みがないですが
富山では数多くの道が整備され興味がつきません。

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滑川宿。

旧宮崎酒造さんの建物は立派です。
本陣として利用されることがあったのだとか。

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滑川は橋場付近に架かる橋を中心に発展したそうです。

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滑川のマンホール。
ほたるいかと立山が描かれています。

さすがは11月。日が暮れるのが早いです。
富山湾の美しい夕日を眺めてこの日を終えました。

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posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 北国街道(北陸道) | 更新情報をチェックする

2015年07月01日

茨木・枚方街道・芥川宿→枚方宿→郡山宿

摂津の主要都市を結ぶ2つの街道を歩いてみました。

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高槻の芥川宿のたたずまい。


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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芥川宿の追分。左が枚方街道。右が西国街道。

今回の街道は距離が短いですが
双方とも西国街道の宿場町を起点としています。

枚方街道・芥川宿−枚方宿
茨木街道・郡山宿−枚方宿

枚方では東海道と接続しています。

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まずは枚方街道。
高槻の芥川宿からスタートします。

旧道の狭い一本道。
駅前のマンションとの対比が面白いですね。

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道の右手にある水路は古地図を見ると
形は変わってはいますが昔からあるようです。

付近は高槻城の城下町だったので
碁盤の目のような町並みが特長的です。

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途中で見かけた斜めに立つ道標。

南面「右 八はた 淀 前島 舟のり場、すぐ 京伏見 山さ記 柳谷 よしみね」
東面「右 あくた川 かさのも里 のせ妙見、左 そうち寺 とん田いばら木」
北面「すぐ 大坂三しまへ からさき そうちヽ ひらかた」

北から南に進んできたので
「ひらかた」の文字がきちんと書かれてあるのがわかります。

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ちなみに東に進むと枚方市牧野へ出ることができます。

いわゆる前島街道という道なのですが
牧野付近の淀川の渡しが廃止されたので、
迂回路を10キロも歩く必要が出てきてしまいます。
地図を見ると淀川を渡ればすぐなんですけどね。

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高槻城下の出入り口には
「六口(ろっくち)」と呼ばれる木戸(門)がありました。

今回は芥川宿から歩いてきたので
城下の入口には「芥川口」をくぐってきました。
そして城外へは「大塚口」から出ることになります。

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大塚とは淀川の渡しのある集落にあたります。
それぞれの口には行き先に因んだ名前がついていて
他に京口、前島口、大坂口、富田口がありました。

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城下を出ての旧道風情。
さすがは市街地だけあって古い風情は少ないです。

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この場所はかろうじて残っている感じですが
かつてはこれの2、3倍ぐらいの道幅があったことでしょう。
家の敷地として払い下げられてしまったようです。

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尊重寺は立派な鐘楼があるお寺です。

淀川が近くなってきました。
堤防の手前にある立派な道標は明治期のものです。

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この他にも今回の道中においては
同じタイプの道標をよく見かけることができました。

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淀川の渡し場(大塚の渡し)跡。
ここから対岸の枚方宿へ舟が出ていました。

現在は枚方大橋で大きく迂回せねばなりません。
その距離2キロ(往復4キロ)。約30分の迂回です。

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枚方大橋。
大きな橋だけあって眺めがいいですね。

ここから上流は京都府境の八幡まで橋がありません。
距離にして12キロ以上。結構なものです。
昔は橋本の渡しや前島街道の渡しなどあったのですが
バスや車があるとはいえ不便になってしまいました。

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やがて東海道と合流して枚方宿。
ここが枚方街道の追分にあたります。

道標を眺めつつ
茶を飲んでしばし休息・・・。

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本日2本目の街道、茨木街道を進めていきます。

淀川の渡し場(大塚の渡し)跡までは
先ほど歩いてきた道を戻ります。

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淀川沿いを進むと最初の集落である唐崎へ。
屈曲した細い道筋が続いています。

唐崎は江戸時代主要な河港として賑わったのですが
河岸には護岸工事の影響で名残りがなくなっています。

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信楽寺の角にあった道標。
ここには三島江と刻まれています。

この三島江も唐崎と並ぶ主要な河港だったそうです。

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江戸時代に開削された番田水路。
街道は水路に沿って進んでいきます。

この付近は玉川と呼ばれていて
全国六玉川の一つで有名な場所でした。

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そう言われてみると川の水は
町中にも関わらず意外と澄んでいて
流れもゆったりしていて風流がありました。

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茨木城下に入ります。

城下といっても一国一城令で
江戸初期に廃城になってしまっているのですが
町の雰囲気は城下町そのものの感じがします。

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今回の道中では城下を2ヶ所も巡ることが出来て
ちょっと欲張りな街道でもありますね。

高槻城下、茨木城下に関しては
高槻街道の時の記録も合わせてご覧ください。

→高槻街道・南茨木→富田→高槻
http://borabora.seesaa.net/article/413568054.html

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茨木城の門の前で右折し丹波橋を渡ります。

かつては茨木川が流れていたのですが
昭和20年代に埋められてしまっています。

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信号の先の盛り上がりが川の跡。

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この丹波橋の手前にある農地付近が
茨木城の本丸であったと言われています。

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やがて亀岡街道と合流します。
この道は妙見山や能勢、亀岡へと抜ける道です。

もっとも街道名は明治期につけられたものなので
昔はただ単に亀山道や妙見道といった感じだったのでしょう。
(注・江戸時代の亀岡は亀山と呼ばれていました)

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これまで平坦な区間が続いていたのですが
千里丘陵が近くなってアップダウンが出てきました。

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右からの道が茨木街道。左の道は京都からの西国街道

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郡山宿。本陣。

やがてゴールの西国街道の郡山宿。
ここには本陣が残っていて”椿の本陣”として有名です。


   
posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 大阪近辺の街道 | 更新情報をチェックする