水路が発達し全般的に平坦なのが特長です。
しかし大阪城周辺に目を向けてみると、
上町台地の高低差はかなりのものがあり
大阪のひと味違った魅力を感じることができます。
今回は街道シンポジウムの一環で
大阪市内のマニアックなポイントを巡ってみました。
まずは天保山。(9:15・数字は立ち寄り時刻)
今や若者のスポットとして有名な場所ですが
元はというと人工的に土を積み上げて造られた山。
1831年(天保2年)では20mもの高さがあったので
古絵図でも描かれるほど目立つものでした。
天保山の作られた目的としては
当時の港湾部は水はけがよくなかったので洪水防止目的と
市中への大型船の入港をしやすくするためのものでした。
(横に流れてる川は当時の淀川の本流の一部)
現在の天保山の高さは4.53m。
明治になって砲台の設置などで削られてしまいました。
今となっては往時の面影はほとんど残っていませんが
水都大阪を象徴すべき場所の一つでしょう。
次に向かったのは対岸の桜島です。
桜島はUSJが出来て観光客で賑わっていますが
かつては重工業地帯で空襲が激しかった場所でした。
天保山から桜島へは渡船を利用します。(9:30)
大阪市には無料の渡船が数多く残っていますが
天保山の渡しは他の渡船とは一風違っています。
外人さんがびっくりするほど多いんですよね。
USJへ通勤されてる方が大半だと思いますが
外人が乗ってることによって雰囲気はガラッと変わるもので
海外でクルージングのような気分にさせてくれます。
以前は住宅地が広がる天保山側(港区)と
工業地帯の桜島側への通勤での利用が主でした。
工場は少なくなり道路が出来たりで利用者は減っているようで
現在の天保山渡船の利用者は1日に900人ほど。
昭和40年代は約1700人の利用者があったそうです。
渡船について詳しくは以前の記事にて
→古き良き日本が残る大正区の渡し船めぐり。
http://borabora.seesaa.net/article/363108975.html
次に向かったのは安治川トンネルです。
JR桜島駅から西九条駅へJRで移動しています。(10:10)
安治川トンネルとは川の下を潜ってるトンネルで
昭和19年9月に完成。日本初の沈埋工法で造られています。
地下へはエレベーターか階段で降りる形で、
向こう岸で再びエレベーターか階段で上る形です。
ここまでは普通のトンネルかもしれません。
でも凄いところは昔は車も通っていたことです。
建物左側の大き目のシャッターが車用の入口です。
エレベーターの老朽化と橋の整備で廃止になるのですが
ピーク時はどのような感じで捌いていたのか気になるところです。
活気のある九条商店街を経て九条の遊郭へ。(10:30)
関西の遊郭といえば飛田新地が有名ですが
九条の松島も負けてはいません。
ここは明治時代において外人の居留地が近く(川口)、
工業地帯も近く市電の便もよいので好立地だったようです。
独特な家並みが連なります。(11:00)
かつては中心である仲之町の目抜き通りには
桜が植えられ桜筋とも呼ばれていたそうです。
次は地下鉄谷町線で九条から四天王寺前夕陽丘に向かいました。
上町台地の上に上ってきました。(12:00)
大阪市内の中でも高低差のある地形で
古代は西側がすべて海だったという話です。
もしかすると福井の東尋坊のような
断崖絶壁な景色が広がっていたかもしれません。
平地から一気にせり上がる形になっているので
ここからの夕日の眺めは大変素晴らしいものです。
上町台地にある地名は夕陽丘のほか、真田山や、茶臼山、
帝塚山など、山や丘とつくのが多く特長的です。
見事な坂。
このような坂が幾つもあるのですが
広義で「天王寺七坂」と呼ばれそれぞれに特長があります。
その中でも源聖寺坂は
江戸時代そのままの雰囲気が味わえてお勧めです。
また周辺は寺が多く寺町を形成しています。
これは豊臣時代に大阪城近くから移転してきたもので
寺が多いおかげで町の喧騒がないのも良いところです。
清水寺は京都の清水寺と同じく舞台があります。
改修によって現代風になってしまっていますが
高低差がなければ作れない代物です。
ここには玉出の滝もあります。
大阪市内唯一の天然の滝です。
次に向かったのは大阪城です。(14:15)
地形的には上町台地の北の端に位置していて
旧淀川を堀の一つとして作られています。
元々、上町台地の名前のおこりは
秀吉時代に町人は台地の下(=下町)に住まわせ、
武士は台地上に(=上町)住まわせたことから。
大阪城の見どころは多すぎるので割愛させてもらって、
次に向かったのは八軒家浜です。(15:40)
今でいう天満橋駅近くになるのですが
ここは熊野街道の大阪の起点にあたる場所で
古い時代からの港になっていました。
八軒家浜から南の方角を見てみると
見事な高低差があることを確認することができます。
ここが上町台地の北の端。
なんともダイナミックなものです。
この付近から空堀にかけては
空襲の被害が少なかったので古い風情が残ります。
大阪の街道の中心”高麗橋”を経て堺筋へ(16:10)
堺筋は紀州街道の道筋であり、
御堂筋が整備される以前の大阪のメインストリートでした。
今も往時の立派なビルがいくつか残っています。
特に綿業会館ビルは素晴らしいものです。
難波橋を経て中ノ島。
中央公会堂を見て帰路につきました。(17:00)