2015年09月02日

善光寺西街道その2・岡田宿→麻績宿

松本市郊外の岡田宿より。
大きな峠を2つ越えていきます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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早朝の岡田宿。
峠を前にした宿場町です。

道標がありました。

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「右 江戸海道、左 せんく王し道」

”海道”の表記がいいですね。
ここから江戸へは保福寺峠を越えて上田方面に抜け、
北国街道→中山道の道筋が近道になるようです。

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こちらは蓮台場。無縁墓地です。

陸軍の松本連隊が出来た当初は「連隊場」と間違えて来る人が多く、
読み方を「れんだいば」から「でんで」と変えています。
間違えてた人はさぞビックリしたことでしょうね。

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左の空き地が問屋跡

この少し先に問屋があった場所があります。

実に広々としてますよね。
ちょうど刈谷原峠の出入り口にあたるので
行き来する人々を見守る(監視?)の役割もあったようです。
岡田宿が開設されてからは宿内へと移設になっています。

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これから刈谷原峠を越えるわけですが
地図で見ると善光寺までの道筋はほぼ一直線です。

いわば山を突き抜ける形になっているので
全体的にアップダウンが激しくなっています。

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近代になっての鉄道や道路は
勾配を出来るだけ避けたルートで建設されたので
お陰で旧街道には昔ながらの風情が今も残ってるといえます。

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左が明治道

刈谷原峠では明治期に馬車道が整備されています。
善光寺街道とは別ルートの馬飼峠を通る勾配が緩い道です。
通る際に通行料が要ったので日本初の有料道路といわれています。
(日本初の有料道路はいろんな説があるようです)

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どんどん山深くなっていきます。

刈谷原峠の最初の見どころは石畳の跡でしょう。
電気のケーブル敷設の際に壊されてしまいましたが
川側に若干名残りを見ることができます。

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馬頭観音群。
この峠には他の石仏も含め100体ほどあるそうです。

刈谷原峠の眺望は残念ながらよくないです。
かつては茶屋が3軒あったということで広々としていました。
井戸や石積みも残っていて実に良い雰囲気です。

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峠を下っていくと刈谷原宿が見えてきます。

宿場の手前には草道が残っていて
左の小屋には庚申塔と道祖神が安置されています。

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刈谷原宿は静かな山の中の宿場といった風情。
同じく峠の前にある岡田宿とは違った雰囲気があります。

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街道の秋。日本の秋。
次の会田宿までは盆地の中を進んでいきます。

広々とした農村の光景が続きます。

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立峠を前にした宿場町が会田宿です。
ここは宿場内で2回直角に曲がっています。

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善光寺街道の行灯が良い雰囲気ですよね。

軒先には休憩用の椅子や水飲み場があったりと
歩く人への配慮を感じれた宿場町でした。

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2つ目の角を曲がると急坂が始まります。

宿場は2つの大きな常夜灯が立ってる辺りで終わりになります。
常夜灯には善光寺の文字が刻まれていました。

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芭蕉の句碑が立つ

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有名な岩井堂は寄っておいて損はありません。

この見事な岩山。そして本堂の横には磨崖仏もあり
往時の旅人もわざわざ寄っていたといいます。

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立峠はなかなか険しい峠です。

先ほどの刈谷原峠は道が広くて楽だったのですが
立峠では本来の道が一部崩れてるので迂回路を通ります。

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その迂回路もこんな感じで藪だらけ。
季節的なものがあるのでしょうが大変でした。

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本来の街道には往時の遺構が数多く残っています。
この石積みや石仏もその1つです。

やがて立峠に到着です。
見晴らしが良いです。

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峠からの下り道には石畳があります。
古い時代のものもあるようですが
大部分は修復されてるような感じです。

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とても歩きやすい道が続きます。
松本側とは大違いです。

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乱橋の集落。
ここは間の宿でした。

名前が少し変わっていますよね。
「阿陀の橋」「みたらし」などと記されることもあって
時には「乱」の字を嫌ってか「静橋」としたこともあったそうです。

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小さな中ノ峠へと向かう途中、
振り返って見ると乱橋集落がよく見えました。

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峠を越えると西条(にしじょう)
こちらも乱橋と同じく間の宿です。

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茶屋本陣の跡があったり、
宿場と同等規模の町並みが続きます。

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この火の見櫓の付近は
かつては枡形のようになっていたそうです。
櫓の脇には道筋の痕跡が残っていました。

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刈谷原宿から2つの間の宿を抜けて
ようやく次の宿場である青柳宿に到達します。

ここは坂のある宿場町。
石積みを利用した水を流す「樋」が特長的です。

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宿場の先の山中には
古くからの名所である「大切通し」があります。

大きな石を切り開いたもので
そこら辺にある切通しとはレベルが違います。

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ただ、岩を触ってみると脆い感じがしました。
意外と工事自体は簡単だったのかもしれませんね。

明治期には車を通すために
切通し下部を削った跡を見ることができます。

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小切通し

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「大切通し」の先には「小切通し」もあるのですが
こちらも見ごたえ十分の立派なものです。

これを抜けると麻績の盆地に入っていきます。

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麻績は「おみ」と読みます。

JRの駅名は以前は「麻績」だったのですが
難読駅名で読めない人が多かったからなのでしょうか
「聖高原」というハイカラな駅名に変更になっています。

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麻績宿は駅からほど近い場所にあります。
山間の宿場らしく静かな雰囲気が漂います。

次回は善光寺ゴールを目指します。
またまた峠を越えていきます。


posted by にゃおすけ at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | その他の街道 | 更新情報をチェックする