池田から能勢の中心地「余野」を目指します。
↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。
早朝の池田城下町。
今回の距離は20キロ未満なのですが
廃道区間が多そうなので早めの出立となりました。
ここが余野街道の起点。
立派な祠と道標がありました。
「左、妙見山、多田神社」
「右、久安寺、亀山、愛宕山」
亀山とは現在の亀岡にあたります。
左に行くと能勢街道。余野街道は右へ。
街道沿いには石仏が多く目を楽しませてくれます。
余野街道は終点の余野にて亀岡街道と合流します。
遠くは京都府の亀岡まで通じていることになるので
余野街道はバイパス道としても機能していたことでしょう。
バイパス道といえば西に5kmの場所で並行している
能勢街道も同じく重要な道筋だったといえます。
どちらを通っても亀岡へ進むことが出来るのですが、
どうも天候や目的によって使い分けられてた感じがします。
その一つに妙見山への参詣があるのですが
不思議なことに余野街道では妙見山への道標を見かけません。
前回の記事で余野から妙見山へのルートを紹介したわけですが
余野街道からも妙見山参拝は可能なはずなのです。
考えられることとして
・道中での休憩所が能勢街道に比べ少なかった。
・妙見山余野口は京都、茨木からの参拝者が主だったのではないか。
・妙見山入口までは能勢街道のほうが難所が少なかった。
こういうことから妙見山の参詣に関しては
比較的楽な能勢街道が多かったように考えられます。
しかしながら亀岡や愛宕山まで行くとなると話は別で
能勢街道より距離が短い余野街道は有利だったようです。
これは最初に紹介した道標からも見てとれると思います。
歩みを進めていきましょう。
この日の気温は3度ほどでした。
久安寺は街道一の大きなお寺です。
関西には花の寺という名所があるのですが
久安寺は牡丹や紫陽花が凄いようです。
久安寺から先は山の中を抜けていきます。
現在の川沿いの国道は明治に開削された道筋で、
渓谷状になってるので江戸期の技術的では厳しかったようです。
まるで登山のような雰囲気の中を進んでいきます。
沢沿いに進むのですが堰堤が作られ地形が変わって
街道の名残りを見つけるのは困難です。
そんな中でも石積みをいくつか見ることができました。
こういう名残りを見つけれると嬉しいものです。
峠付近の風情。
ここから先は道は比較的良く
スムーズに進んで行くことが出来ました。
この先では国道まで降りて
しばし川沿いを進むことになります。
たんたんとした道筋も束の間、
川が渓谷状になっていくと再び山の中へ入っていきます。
「バッバーン。」
あちこちから聞こえてきたのは銃声です。
どうもこの辺りでは狩猟が活発なようです。
こういう音を聞いてしまっては
無理な廃道への侵入は避けたほうが良いでしょうね。
熊と間違えられてしまっては大変です。
やがて視界が広がると里山の光景が現れました。
大きな柿の木も実に立派でした。
やがてゴールの余野へ。
ここには資料館があります。
火・木・土のみの開館と変則的なので
興味ある方は前もって調べていかれて下さい。
それにしても冬の歩き装備はいつも悩みますが
一番効果あるアイテムは手袋だと思います。
しかし今回の道中では濡れた木を触ってしまい、
冷たく濡れて使い物にならなくなってしまいました。
むやみに木は触ってはいけませんね。
前日に雨が降っていた時は特に。気を付けます。