2016年01月28日

西国街道その12・三原宿→八本松駅

難所が多い今回の行程。
瓦坂峠、松子山峠、飢坂と続きます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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早朝の三原宿。
この日は放射冷却で冷えました。

さすがは城下町だけあって西の惣門跡付近までは
枡形のような痕跡がいくつも見受けられます。

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順勝寺の山門は元は三原城のもの。
戦国時代のもので建て方に古さを感じますね。

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新幹線の高架を越えると海へと進路をとります。
この辺りは区画整理の影響で大きく消滅してしまっています。

旧道復活が復活する安芸と備後の国境には
明治期と大正期の2つの国境石がありました。

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木の浜一里塚跡。
かつては周辺が沼田川(海)だった影響で
地名に浜という名前が今も残ります。

この付近を走るJR山陽本線は
昔は海側にグルッと回るルートだったのですが
現在はトンネルが出来てショートカットしています。

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この山のどこかに道があったのだろう

街道も古くは峠道でショートカットしていたようですが
いかんせん資料が少なく山の形容を眺めていると
怪しい道筋が見えたりして悩ましいところでした。

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本郷宿に入ります。

国道と離れてるのでひっそりとしています。
町中にあふれる「お好み焼き」ののぼり。
このお好み焼きは俗にいう「広島焼き」のことですね。

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沼田川の渡し場跡(大渡)。

水量が少ない時は歩いて渡っていたといいます。
橋の横には地蔵、常夜灯があり必見です。

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のどかな道が続きます。
国道を少し下に見る形で続く道筋は
川の氾濫から避けるためか少し高台を通っています。

またこの付近は古墳が多いのも特長的です。
特に御年代古墳は国指定史跡に指定されています。

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草道のある旧道風情はいいですね。
藪が少ないので歩きやすくハイキング気分です。

追分というバス停がありましたが
ここは竹原方面との分岐にあたります。

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最初の難所は瓦坂峠です。

峠入口までなだらかな坂が続いていくわけですが
サテライト山陽という場外車券場付近では
藪があって少し歩きづらい感じでした。

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瓦坂峠の手前の旧道

一般的に今の時期(4月)は藪の量が少ないので
旧道探索に適しているといえます。

逆に10月ごろは薮の最盛期なわけで
写真のような場所でも歩けなかったりすること多々あります。
この先の瓦坂峠の雰囲気もきっと違うハズ。

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石畳が残る瓦坂峠付近。

峠での展望はよくありませんが
いかにも峠といった雰囲気がありました。

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広島城下から13番目の峠ということで
十三峠とも呼ばれることがあったそうです。

下り坂にも石畳が残っています。

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横大路の集落が見えてきました。
横には綺麗な小川が流れます。

ここは名前のとおり道に関係した集落で
道標があり間の宿の役割もあったのでしょう。

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東 大坂 西 廣島 道。
南 竹原 北 三次 道。

明治年間のものです。
寛政年間の雨乞いの地蔵さんもおられます。

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こちらは振り返ってみての構図。

道標に地蔵に峠のある光景は
まさに萌えの3点セットといったところでしょうか。

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一里塚の跡。
安芸国に入ってからは自治体が立てた案内をよくみかけます。

家々の屋根に目を移すと
この地方独特な色合いをした瓦が増えてきました。
立派な石積みが多いのもこの辺りの特長ですね。

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田万里市は間の宿です。
この写真の手前には枡形の跡がありました。
峠を前にした休憩所の役割があったものと思います。

広島や山口では宿であっても市と称することがありますが
町は市(市場)から発展したということなのでしょう。
この先にある海田宿も海田市というのが一般的ですね。

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次なる難所は松子山峠です。

かつては難所と言われるほどの険しさはなかったようですが
現代になって通る人が少なくなり道は荒れてしまいました。

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まさに現代になっての難所といった感じで
特に夏場は大変な状況になってるのが想像できます。

峠の入口はこの草道。

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パッと見た感じは農道の入口っぽいですが
この先にある国道バイパスがある影響で廃道になっています。

バイパスとぶつかるあたりは痕跡すらほどんどなく、
竹林の中をよじ登らねばなりません。

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松子山峠はもう少し先。
県道と交差するあたりには一里塚跡がありました。
碑は塚のモニュメントの少し手前にひっそり立っています。

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モニュメントは塚が2個きちんと作られていて
なかなか立派なものでした。

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山道に入ります。

先人の方々のレポートでは激しい藪の記述が多いですが
時期的なものもあってか少し荒れたハイキング道な感じでした。

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手作りの西国街道の案内看板に沿って進んでいくと
あっけなく松子山峠に着いてしまいます。

道筋には溜め池が何個かあるので
池沿いに進んでいくと良いかもしれません。

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松子山峠を無事越えると四日市宿(西条)。
水が美味しい日本酒の町です。

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立派な蔵がある店が立ち並びます。
各酒蔵の前には名水を飲める井戸があり
名水めぐりを楽しむ人で賑わっていました。

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今の西条は酒どころとして有名ですが
有名になったのは実は明治時代になってから。
江戸時代は安芸藩随一の規模の宿場町でした。

松子山峠を前にした重要な場所でもあったので
本陣は藩直営で運営されお茶屋番をおいていました。

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この何気ない川が西条のいわれ。
川を境にして西を西条、東を東条として賑わっていました。

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次の難所は飢坂峠です。
予定では西条で終わるつもりだったのですが
松子山峠が思いのほか楽だったので予定より早着してしまい
翌日は雨予報だったので八本松駅まで進むことにしました。

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飢坂峠に続く一本道。風情がありますね。
読み方は「かつえ坂」といいます。

名前の由来は空腹で多くの人が倒れたり、
飢饉で苦しんだ場所などそれっぽいことが書かれています。

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鬱蒼とした峠道を抜けると
八本松の集落が見えてきました。

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2016年01月18日

西国街道その11・横尾駅→三原宿

雨の山陽路を進んでいきます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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今回の行程は長距離な上に峠があることを考え
まだ薄暗い中の横尾駅よりスタートしました。

橋を渡って芦田川との中州地帯を進みます。
周辺の家々を見ると一段高く建てられています。
三重県の輪中のような洪水対策なのでしょう。

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大きな芦田川の渡し場は「大渡し」

普段は川の中を歩いていくのですが
冬は1枚板の仮橋が架けられていたそうです。
増水期は渡し舟の時もあったといいます。

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芦田川の下流域には福山城下があるわけですが
治水は城下を守るため早い段階から行われています。

西国街道は治水によって作られた堤防を進みます。
治水以前は山側の細い道を進んでいたという説がありますが
かなり時代を溯らないといけないのでルートは謎な部分が多いようです。

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堤防上には歩道がありません。
江戸時代の高さはもう少し低かったものと思われます。

治水はいろんな知恵が凝縮されています。
堤防の形が両岸によって違っているのは代表例。

下流域に向かって左側が城下方面になるのですが
右側の堤防を一段低く作ることで洪水の際は右に流れるようにして
城下が水浸しになることを防いでいたとのことです。

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堤防上の何もない景色の中を進んでいきますが
江戸時代の治水に思いをはせて歩くと楽しいものです。

この堤防はいわゆる郷分土手と言われています。
堤防沿いには二本松、三本松という地名が残っています。

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堤防から下りてしばらく一本道を進みます。
突然現れた大きな檜の木は元は一里塚。

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福山城下への道標。
大坂とふく山の文字が見えます。

西国街道は福山の西をかすめるように進んでいきます。
福山城下に西国街道を通さなかった理由としては
海路を重視していたということもありますし、
地形的なこともあるのでしょう。

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一つ興味深い点としては
笠岡を中心に鴨方往来という道があったのですが
山側の谷間を進んでいる西国街道に対して、
現在の国道2号に近いルートを通っています。
俗に岡山藩六官道のひとつにあたる道筋です。

現在の感覚だと鴨方往来を利用すれば
近道でもあるし楽なのではと思うのですが
おそらく地盤が安定してない場所があったり、
古代からのルートで賑やかだった西国街道ルートが
利便的、総合的な観点で良かったのかもしれません。

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水越峠というプチ峠を過ぎると
アップダウンのある道筋になっていきます。

ふと横を見ると奥に見えたのは備後赤坂駅。
街道は現在の国道よりも高台を通っているのがわかります。

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坂の下に駅が見える

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常夜灯その1

巨大な金比羅山常夜灯。
この付近には大きな特長的なものが多いですね。

3月上旬ということもあって梅の花が満開でした。

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常夜灯その2

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今津宿に入ります。

現在の松永駅周辺が宿場にあたるのですが
ルートは資料によって様々あり特定が困難でした。

いつも重要視するのは古地図なんですが
下の写真の場所では真っ直ぐ進む説が大半です。

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ところが中国行程記やあらゆる古地図では
弧を描く感じで描かれてる場合が多いのです。
真っ直ぐ進むと一里塚の跡の碑があるそうですが
実際にそこにあったかは謎です。

逆に古地図の道筋は絶大な信用は出来ないもので
道筋が大まかなので怪しいことがあるんですが
今回は古地図を信じて左に進むことにしました。

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今津宿には本陣、脇本陣が存在します。
本陣は立派な石垣と門がしっかりと残っていて、
脇本陣は蓮花寺が使用されたとのことです。

近代になってこういう遺構は取り潰され、
駐車場や公民館になってるケースが多いですが
少しでも遺構が残ってることは嬉しいものです。

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山沿いを進み、関の地蔵のあたりに道標がありました。

「右ちかみち」

ここは海沿いに尾道へと進む道との追分にあたります。
西国街道はこれより山深き中へと進路を変えます。

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関の地蔵

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防地峠の旧道

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防地峠を越えると尾道はすぐです。
次第に勾配をあげ大きな池を横目に見つつ進みます。

峠はそれほど険しくないので楽だったのですが
当時は芸州藩と福山藩の国境にあたるので
旅人は決して楽な気持ちで通れる峠ではなかったことでしょう。

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峠の高台には今も番所の建物が残っています。
街道を下に見る形になってるので特等席です。

峠には芸州、福山双方の境界碑も残り、
往時の国境風景を垣間見ることができました。

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坊地峠より尾道へ一気に下ります。
下り道において本来の旧道が残っていました。
ちょうど道がヘアピンカーブしている場所です。

入口は少し崩落しているので
本来は5mほど上から取りついていたようですが
全般的に路盤はしっかり残っていて良い道でした。
(詳しくはヤマレコの記事を参考にしてください)

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尾道は昭和の懐かしさ溢れる光景が広がっています。
そしてグルメも多く大勢の観光客で賑わっていました。

街道的には商店街の中に一里塚や枡形、
奉行所があったそうですがどれも跡のみで
一里塚に至っては碑すらありません。

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しかしながら、これほどまで多くの人々が
商店街を歩いている姿を見ていると
かつての尾道宿の賑わいを感じれた気がしました。

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尾道駅の山側は飲食店街。
街道は今の山陽本線沿いを進まず、
大きく山側へと迂回するルートをとります。

いわゆる七曲り坂です。

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急な坂道を進んでいく道筋で
ところどころ道幅が狭くなってわかりづらくなっています。

本当にこれが街道なの?という感じでしたが
当時の尾道の河口付近は地盤が安定してなかったそうです。

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アップダウンが続きます。
続いての峠は大入峠。

道幅は狭くいかにも旧道といった風情です。
峠には一里塚跡の碑がありました。

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峠を下ると海が見えてきます。

西国街道は瀬戸内海に沿って進む道筋ではあるんですが
実際にはほとんど海沿いを進む機会はありません。

これは先ほどから書いてあるとおり
地盤が安定していなかったことが大きな理由でしょうし、
海は海で海運が発達していたということもあるのでしょう。

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あいにくの雨で島が霞んで見えます。

雨の街道はこれはこれで風情があっていいのですが
海に関しては晴れていたほうが断然いいですね。

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糸崎神社の入口。
狛犬が海側に座っています。

ここは広島玉乗り狛犬の発祥の地だそうです。

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糸崎神社の門は元は三原城の城門です。
境内には大きな楠木もあって見どころも豊富。
時間があればゆっくりしたい場所です。

三原市街が近くなってきました。

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糸崎駅周辺には集落内を通る狭い箇所があります。

なぜこれほどまでに分岐を繰り返す道筋だったのかは不明ですが
港があるのでその関係なのかもしれません。

この道にはバスが通っていたそうです。
よく見ると曲がり角は直角の曲がり角ではありません。
微妙に曲がってるあたりここが昔のメインルートだった証でしょう。

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この付近には三原城の東惣門があったようです。
線路沿いの道に城門跡の碑がありますが
碑には10m南と書かれてあり旧道はこの道で正解です。

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川の中には東大手門?の石垣が残っていて
橋の手前には本陣があったといいます。

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三原城の石垣は立派です。
普通は防衛の意味で本丸の横なんて街道を通さないものですが
三原城は古地図にもしっかりと道筋が描かれています。
なんとも不思議な三原城下です。



  

 
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2016年01月08日

西国街道その10・矢掛宿→横尾駅

岡山県から広島県へ。県境の区間を進みます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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雨があがった矢掛宿の本陣前。

重要伝統的建造物群保存地区には指定されてないですが
なまこ壁の漆喰など一体感を感じる良い町並みです。
近い将来は指定になるのではないでしょうか。

矢掛は手延べそうめんの発祥の地。
500円で食べ放題というお店があります。

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高通川を渡ります。
碑には昔は徒歩で渡っていたと書いてあります。

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近隣の公共交通機関というと井原鉄道がありますが
かつては井笠鉄道という軽便鉄道が存在していました。

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鉄道の遺構は街道沿いに点々と残っています。
この建物は旧矢掛駅。現在はバスターミナルになっています。
広々とした敷地はいかにも元鉄道駅といった雰囲気です。

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この付近に多い金比羅山常夜灯。

自然石をそのまま利用してるもので、
関西ではあまり見かけない造形です。

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街道沿いには地域の人が立てたと思われる
街道名が書かれた案内碑をあちこちで見かけます。

これがあることで旧道である証にもなりますし、
単調な国道区間では良いアクセントになってくれています。

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路盤がしっかりした草道が続く旧道。
のんびりした光景を進んでいくと堀越宿に入ります。

ここは間の宿で正式な宿場ではなかったのですが
昭和の香りを感じる良い町並みが続いていました。

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電信柱にあったレアな看板。
これはかなりの年代ものですよね。

堀越宿は最盛期は78軒もの家々があったそうです。

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旧道沿いにある古い大きな火の見櫓。
ここがかつてのメイン通りだったことを教えてくれます。

やがて今市宿。こちらも間の宿でした。

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今市宿の入口

今市宿の入口は下の終戦直後の写真を見ると
1の道しか写ってないのがわかります。

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地図・空中写真閲覧サービスより

一見これが本道に見えるのですが
古地図では2の道も描かれているんですよね。
そして現代は2の道が再び復活しているという。

これにはどちらが本道なのか大いに悩みました。

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国道の左手には川があり橋があります。

橋のたもとには古い道標が残っていて
最初は左(1の道)が本道と思ったのですが
A地点の場所を考えると2の道のほうが自然な感じです。

おそらく1は対岸から宿への脇道ではないかと思うところで
戦後の車社会による道の改良で2が復活したのでしょう。

いろいろと考察してみましたが
こういう謎な場所は両方歩くに限りますね(^^;

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今市宿を過ぎると七日市宿。
名前のとおり7日に1回程度の市が開かれていたそうです。

また宿場入口には川があるので
川止めでの賑わいもあったことでしょう。

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かつての渡し場がこちら。

渡し場といっても普段は水量がないので
原則的に人足によるものだったそうです。

幕末には木の橋が架けられています。

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本陣跡はがらーんした駐車場になっていました。

往時は本陣・脇本陣、旅籠屋を含めて
宿泊施設だけで80軒もある大宿場だったそうです。

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大曲り跡。

西国街道を歩いていると
岡山県内に大曲が何か所か見かけますが
条里制だった時代の名残が今も残っています。

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この場所の大曲りは区画整理で失われてしまって
普通に歩いてると痕跡を見つけるには困難なのですが
こういう時に役に立つのは古い航空写真。

昭和40年代に撮影されたものでも
しっかりとした道筋が残っていました。

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大きな常夜灯が見えると県道と合流します。
橋を渡れば備中国最後の高屋宿です。

大坂から20番目の宿場であって
子守唄が有名でモニュメントをあちこちで見かけます。

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懐かしい消防自動車。

車だけでなく火の見櫓や古い庁舎とセットです。
これら全て現役というのはなかなか貴重ですね。

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高屋宿の家々の特長は
家の前に柵があったりするなど
明治から大正期の町家の形態が残っています。

これは江戸時代は大森銀山の継場として賑わった後、
明治に入って繊維工業でも発展したこともあるのでしょう。
他の宿場とは一味違った風情を楽しめました。

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ここが県境。江戸時代の国境です。
復元された距離程標識が立っていました。

この標識を境に車のナンバーが変わります。
家々は続いているのに岡山側は倉敷、広島側は福山。
まるで線を引いたような感じで面白いものです。

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一里塚の跡には立派な四ツ堂が残っています。
ここでは旅人の休憩処として使っていたそうです。

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あれほど多かった白屋根の元茅葺家屋は
広島県に入ってめっきり見なくなりました。

まもなく国分寺横を進んでいきます。
大昔はこの辺りがこの地方の中心でした。

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その国分寺ですが
今ある建物は後年建てられたもので
かつては参道沿いに大きな金堂や塔が建っていました。

参道の松並木は良い雰囲気で
日差しがとても心地よい感じでした。

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川沿いを進んでいくと神辺宿にたどり着きます。

入口付近にあった左右対称の大きな石積みは
おそらく防犯上の門か水防のための門の跡なのでしょう。

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神辺宿には本陣が現存しています。

16:00までに入れば見学が出来るのですが
建物の内部には普段はあがることができません。
16:00越えても事前に予約しておけば見学は可能だそうです。

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本陣内部にあった関札を見ると
福岡の黒田家が多く利用していたことがわかります。

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車が少ない静かなメインストリート。
ふと電信柱をみると電線がたわわにつながっています。
このような状態の木製の電柱は珍しくなりましたね。

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今回のゴールは横尾駅。

神辺宿から少し離れているのですが
出雲への道の分岐点でもあって賑わった場所です。

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追分には道標が残っています。

町並みも風情あふれるものがあるのですが
車の交通量が多いのは残念でした。

この日の宿は福山駅前でとりました。



  
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