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和歌山の街道の起点というと京橋です。
大阪や奈良、伊勢、四国方面への道が延びています。
橋の南側は和歌山城内になるので
一般人はここからスタートです。

ぶらくり丁。
和歌山市街地は町名が「町」と「丁」と混在しています。
これは江戸時代の名残で「町」は町人の居住地、
「丁」は武士の居住地だったそうです。

この付近は和歌山でも一番の繁華街。
昼から夜にかけて多くの人で賑わっています。

しばらく紀州街道の道筋と重複して進みます。
伊勢南街道は伊勢へと向かう道ですが
別名で大和街道や和歌山街道とも言われています。
古代においては南海道の一部にあたり、
江戸初期は紀州藩の参勤交代路としての役割もありました。
参詣道としても伊勢、高野山、西国三十三カ所、大峰山など、
街道沿いに数多くの信仰場が存在しています。

嘉家作丁の交差点。
「懸け造」という独特な家々が連なっています。

和歌山市街は空襲にあっているので
古い建物は少ないだけに貴重な存在です。
この付近は国道に沿って歩くわけですが
北側は一段下がっているようになっています。

その理由は紀ノ川の旧堤防だった名残。
1633年の紀ノ川大水害後に築造されています。
当時はすぐ横に川が流れていたわけです。

地蔵の辻。
パッと見はいたって普通の交差点ですが
市街地からの別ルートが交わる地点である上に
有名な地蔵があったので多くの人で賑わっていた場所です。
お地蔵さんは移設されてしまっていますが
少し離れたJRの高架下におられます。


四ヶ郷の一里塚。
市街地にも関わらず対になって残っています。
横にあった案内看板によると道幅はほぼ昔のとおりで
地盤は今より少し低かったようです。

和歌山市街地も郊外になっていくと
水田が広がる光景になってきました。

八軒屋宿は紀州街道との追分にあたる宿場で、
大坂へはここから渡し船で対岸へと渡っていきます。
江戸時代中期以降の参勤交代はここで渡っていました。


堤防上の国道を進みますが歩道がないので要注意。
千旦の交差点で旧道へと折れていきます。

この付近は弧を描いた道筋になっています。
これは旧紀ノ川の自然堤防を利用したもので、
先ほどの国道の堤防道も元は自然堤防だったわけです。
この弧を描くような道筋は結構長く、
だいぶ先にある船戸の渡しまで続くことになります。


6月の頭は田植えのシーズン。
水田がまるで鏡のようで美しいものです。
いくつか雲があったほうが写真に映えますね。

布施屋駅付近。
熊野街道と交差します。
この先には馬次の集落がありますが
名前の通り継立場があったそうです。

馬次は宿場のような役割があったので
立派な古い家が点在しています。
気が付けば紫陽花の季節。
季節は目まぐるしく変わっていきます。



ここが船戸の渡し場跡。
伊勢神宮の常夜灯と古い家のコラボがいい感じです。


紀ノ川にはいくつも渡し場がありましたが
伊勢南街道のメインは船戸の渡し場です。
対岸には取締りの番所が設けられていました。

岩出宿。
今も良い雰囲気が所々に残っています。
規模的には大きいもので
紀州藩主の別館も置かれていたほどです。

宿場内は少し複雑な道筋になっていました。
下の写真は道路の角にあった道路元標ですが
普通の路地といったところにあったので驚きました。
ここがかつてメインルートだった証ですね。

岩出の道路元標


岩出宿の先にあった立派な道標。
右 こかわ二リ半 かうや(高野)道
左リ 祢ごろ(根来) 大坂道
岩出から先では歴史街道の標識を多く見かけますが
歴史街道的には「大和街道」と案内されています。
奈良へ行く道でもあるので間違いではないのですが
沿道にある数多くの道標には大和(奈良)と文字は殆どなく、
圧倒的に伊勢の文字が多くなっています。
そう考えると、大和街道というよりは
伊勢街道として紹介するほうが合っていると思うのですが、
こればっかりは何か考えがあってのことなのでしょう。


道標の先の地域は岡田嶋。
かつては紀ノ川の氾濫原でした。
井阪地区からはアップダウンが出てきて
河岸段丘の地形を使った道筋になります。
付近には条里制の時代の道の痕跡が残っていて、
この大きく弧を描く道筋もその一つだそうです。



紀ノ川の渡し場があった付近の町並みには
賑わいを感じる家並みが続いていました。
東田中神社の前には一里塚がありました。



左に長田観音が見えてきました。
厄除けで有名な観音さんです。
角にあった立派な道標を見てみると

右 いせ かうや
左 長田厄除観音 こかわ寺へ ぬけみち
ここにも大和(奈良)の文字がないですね。

アスファルトの下は石畳だったのでしょうか
松井の集落は粉河の元々の集落でした。
何かの都合で粉河寺の門前に移転してきたようですが
その辺りの詳しいことはわかりませんでした。

先ほどの「こかわ寺へ ぬけみち」の道標ですが
正式な分岐点(抜け道ではないルート)はこの辺りで
山側の粉河寺を遥拝できるお堂が建っていました。

その場所に立っていた道標がこちら。
こかわ いせみち
なかなか立派な自然石のものです。


淡路街道との追分。
四国、淡路方面の港である加太とを結ぶ道で、
ここから先は一層賑やかな道中になっていたのではと思います。

常夜灯と自然石の道標がいいですね。


高野辻。
和歌山市街地から高野山への分岐点です。

常夜灯には弘法大師永代常夜灯と書かれ、
右 かうやみち 左 いせ まきのを とも書かれてます。
「まきのを」とは西国三十三カ所の槇尾山のこと。


名手宿。
久しぶりに見る大きな集落です。
ここには本陣建物が残っていて見学可能でした。
無料で16:00まで中に入ることができます。

