2016年04月28日

伊勢南街道その5・高見山登山口→七日市宿

街道最大の難所。高見峠へ。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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山あいの空気が澄んだ朝。
高見山登山口から先は一気に勾配がきつくなります。

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ふと入口を見ると
通行禁止の看板がありました。
伊勢南街道の小峠と大峠の区間も含まれています。

これはどうしたものかと思案したところ、
国道のトンネルで迂回もあるのですが味気ないので
山頂を経由して三重県側に抜けることにしました。

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小峠までは伊勢南街道で進みます。

元は街道だっただけに祠や古い石積みを見かけたり、
勾配は比較的緩く道幅も広いので歩きやすいものです。

さすがは街道ですね。

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石畳には苔がついていません。
今も高見山を登る人の往来が多いからでしょう。
石畳自体は修復されたものと思いますが
綺麗な石の状態は江戸時代を彷彿とさせてくれます。

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こういう掘割になっているところは
昔の人が苦労して作ったものなのでしょう。

九十九折の道を進んでいく小峠です。

ここから先は本格的な登山道で頂上へ。
迂回なので標高400mほど余計に登っていきます。

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急な勾配が続きます。先ほどまでとは大違い。
これが街道と登山道の差なのでしょう。

国見岩から伊勢方面を眺めると
雲海が広がっていました。

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高見山山頂。
独立峰ならではの素晴らしい視界。

高見山は11月下旬ともなると紅葉は終わっていて
登山客は殆どいなく言わばオフシーズンにあたります。
雪が積もる時期になると樹氷登山で賑わうそうです。

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頂上から大峠へ下ります。
大峠がいわゆる高見峠にあたります。

高見峠から先は伊勢の国(三重県)。
名前は和歌山街道と変わってゆきます。

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高見峠。本来の街道はアスファルト道に沿った草道がある。

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尾根沿いを進みます。

途中には崩落個所がありましたが
まるで高速道路のような道筋が続きます。

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半分崩落している箇所も

それにしても高見峠は前調べの段階では
藪が生い茂って大変と思っていたのですが
奈良側も三重側も良く整備された道で意外でした。

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船戸の集落を抜けると
櫛田川沿いに下っていきます。

紅葉を楽しみながら道なりに。

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伊勢の国最初の宿場町は波瀬宿。
旅籠屋が4軒ありました。

産業としては煎茶・串柿・芋・栗・
大豆・小豆が主なものだったそうです。

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連子格子の家々が連なります。
この立派な建物は元は本陣でした。

宿場の規模としては大きめで町割りが特長的です。
町の中央には波瀬神社がありました。

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「右、いせ道」。反対側に「かうや、よしの」の文字。

所々で国道と合流して進みますが、
かなり改良されていて車は走りやすいようです。
反面、その影響で旧道は削られてしまった箇所が多く、
元の姿をとどめていないのは残念なところです。

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ここが峠の入り口。

大定峠への道。

峠から先が廃道になってるという噂を聞いていたので
とりあえず峠まで進んでみることにしたのですが
峠への道の入口を探すのに四苦八苦しました。

この坂の手前にある床屋が目印です。

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植林の影響で道がわかりづらいですが
踏み跡を辿っていくと昔ながらの峠道にでました。

街道歩き的に良い道というのは舗装路ではありません。
このような土道と出会うとたまんないです。

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大定峠にはお地蔵さんがおられます。

さて、下山です。
踏み跡を頼りに廃道となってる区間を歩きますが
荒れてはいたものの意外と苦労せず下りることができました。

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ただし、獣除けネットや一部で崩落があったりと
一筋縄にはいかない場所はありました。
三重県のウォーキングマップでは廃道扱いでしたが
こういった理由から迂回を推奨していたのかもしれません。

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本陣跡

七日市宿。
本居宣長も泊まったことのある宿場です。

この辺りになると
櫛田川の流れは緩やかで石が特長的です。

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茶畑が一面に広がります。
この辺りはお茶の生産が活発です。

 
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2016年04月21日

伊勢南街道その4・大和上市→高見山登山口

吉野川と分かれて山深き場所へ。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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朝の大和上市。
国道の交通量はかなり多いですが
1つ中に入った旧道はとても静かな雰囲気です。

古い家が軒を連ねます。

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大和上市は名前に市とあるように始まりは市場町。
そして本善寺の門前町として賑わっていきます。

江戸時代になり参勤交代が始まると、
宿場町の側面も合わせもつようになります。

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街道の右下を流れる吉野川。
洪水から避けるように少し高台を進みます。

上市の集落を抜けると進路は北へと変わります。

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今回どこで吉野川と分かれるか悩みました。
資料が少なく航空写真で見ても実に難解でしたが
結局は大名持神社で曲がる竜門川右岸ルートにしました。

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竜門文庫付近。

私設の図書館のようなものですが
ここには数多くの古書が保存されています。

吉野川沿いは平地が少なく人家密集の町。
こういう場所は火災の心配が絶えないということから
町から離れたこの地に建設された経緯があります。

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徐々に勾配が出てきました。

広々とした山口神社の境内には
吉宗公が寄進した常夜灯がありました。

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伊勢南街道は伊勢神宮だけでなく
松坂や遠くは江戸へと続いています。

当時の松坂は紀州藩だったので
和歌山と関係深い史跡が多く残ります。

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自然石の道標に刻まれる文字。

「いせ、かうや、よしの」

小島峠を過ぎると三茶屋の集落へと入っていきます。

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三茶屋は伊勢と和歌山のちょうど中間地点にあたります。
双方ともに22里。現代でいうと約88キロです。

ここは街道と街道が交わる場所で
上茶屋・中茶屋・中やの三軒の茶屋があったそうです。

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ここにも立派な道標がありました。

「うた、はせ道。大峰山道。いせ道。よしの、こうやみち」

”うた”とは宇陀のことで””はせ”は長谷寺ですね。

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三茶屋を過ぎると久須斯神社を右へ。

車を通すために開削された道がありますが
旧道は山の中に眠っています。

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資料では消滅したように書いてあったのですが
崩落してる場所が一部あるものの路盤の状態は良く、
所々には反射棒まで残っていました。

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車道に出てホッとしたのも束の間、
すぐに次なる難所が控えています。

「小名峠」です。

こちらは先ほどの道と違って現役の峠道。
植林の影響で林業の人が時折通っているおかげで
道はそれほど荒れていない状態です。

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途中ガレてるような場所もありましたが
大したことはありません。

小名峠には天誅組の史跡がありました。

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所々に古い石積みが残ってるあたり、
ここが旧道であったことを教えてくれます。

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鷲家の宿場が見えてきました。

ここは東熊野街道と交差する場所で
宇陀と熊野を結ぶ交易の中継地でもありました。

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「いせ江戸みち、はせ大坂」「小川谷河上 いせくまの道」。

この江戸の文字は数ある伊勢街道の中でも
一番西の端に位置しています。

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鷲家宿の雰囲気はなかなかのものです。

宿場の中央には立派な鷲家八幡神社があり
社殿は流造、檜皮葺で1768年に修復されています。

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次なる難所は木津(こづ)峠です。

峠にはトンネルが新旧2つあるわけですが
江戸時代の道は旧トンネルの直上を越えていました。

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所々で崩落があるものの、
峠自体は昔のままの状態で残っています。

峠の先では関西のマッターホルンと言われる
高見山が綺麗に見えました。

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しばらく旧国道を進み本日のゴールへ。

伊勢南街道はバスの便が悪いので
どう行程を組むか悩ましいところだったのですが、
ちょうど良い場所に旅館「あまご池高見山荘」があり
一泊二食付きで泊まることにしました。

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2016年04月07日

西国街道その15・玖波宿→高水駅

ついに山口県へ。
今回は最も過酷な区間でした。

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眼下に玖波宿、奥に宮島


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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早朝の玖波宿。
ここは長州との国境に一番近い宿場町。

この先、一旦山側へと進みますが、
小方で再び海沿いの町へと戻ってきます。

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小方は間の宿です。
広島藩の西の備えとして重要な場所で、
今も立派な遺構が残る亀居城が築かれています。

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写真左手が亀居城

現在、周辺では遺構発掘調査が行われていて、
街道沿いの家々も見事に取っ払われていました。

敷地は間口が狭く奥が広いという
典型的な街道の集落の敷地をしています。
敷地だけというのは寂しいところですが、
ある意味貴重なものを見させてもらいました。

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最初に過酷と書きましたが、
人によって過酷の定義はそれぞれだと思います。

個人的には藪が多く峠が多いというのが大変ですが、
それらが前調べで想像していたよりもハードだった場合です。
しかもそういう状況が何度も出てくるのが過酷です。

今回はまさにそんな行程でして
さっそく小方の集落を出ると苦の坂峠がありました。

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苦の坂峠の入り口

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名前から想像するにいかにも苦しそうな峠です。

一部は崩壊していて山陽自動車道に建設によって
ルート消滅箇所があるので江戸時代と比べると
今のほうが大変な道筋になってるのではと思います。

苦の坂峠の名前のいわれとしては
厳島神社の祭神である市杵嶋姫命が通ったおり、
「えらや苦しやこの苦の坂は金のちきりも要らぬものを」と
あまりの急坂でこう呟いたことから名前がついています。

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うっそうとした竹林。ここが峠です。

峠の手前には郵便マークの書いた建物がありました。
これは郵便関係の施設ではなく逓信省のもので
調べてみると昭和の初めのころに出来たもの。
電話ケーブルの中継基地だったようです。

こういうのがあるのがいかにも旧道ですね。
時間が止まっています。

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苦の坂峠を下りた先にはちきり池神社。

ここは先ほどの市杵嶋姫命に関係するもので
峠で”ちぎり”を投げたものが麓の池に落ちた後に
池を埋め立てて神社が造成されたとのことです。

次の木野集落までは小瀬川沿いに進みます。

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対岸は周防の国、山口県

木野は国境の町。
かつて渡しがありました。

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このスロープ状になっている坂は
船乗り場に向かうもの。立派なものです。

この他に殿様の駕籠を置く台もありました。

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山口県側から船着き場を見ます。

細長い石づくりの堤防は江戸時代からのもの。
三角形にはみ出た形状は川の流れを緩めるためもので
当時の工夫を見ることができます。

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小瀬峠へ向かいます。

現在の県道が旧道っぽい道筋をしてるのですが、
実は結構な区間で本来の旧道が残っているので
なかなか探索しがいのある峠でした。

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まず旧道入口のこの標識の場所。
ここから草道を上っていくわけですが、
この標識の反対側にも一部残っているんですよね。

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それがここ。
関門があったので立派な石積みが残ります。

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県道上の小瀬峠

小瀬峠の峠部分は2つの説があり、
現県道の直上のものと右手に逸れて山道を進んでいくもの。
どちらが正しいかは悩むところです。

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もう1つの説の小瀬峠

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その入り口

こういった場合は両方通ってみるわけですが
山道のほうがいかにも旧道らしい道筋だったものの、
峠には何もないという一抹の不安が残りました。

でも、雰囲気は良かったです。

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峠を過ぎると下り坂になるわけですが
しばらく行った先で左下へと進路を取ります。

旧道入口の標識を手掛かりに下りてみると、
路盤がしっかりしている見事な道筋が残っていました。

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ただし、藪が酷く、蜘蛛の巣満載。

標識は前調べでは近年設置されたものとわかっていたので
ある程度整備されていると思っていました。

ところがどっこい。

夏を過ぎた時期的なものもあるのでしょうが、
予想に反してかなりの労力を使ってしまいました。

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関戸宿。
山口県側の最初の宿場町です。

本陣横には吉田松陰東遊記念碑もあります。
さすがは長州。松陰さんは人気ですね。

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交通量の多い国道2号沿いを進むと
またもや旧道入口が現れます。

太っていたら入れそうにない隙間から入り
はるか上にある旧道に取り付きます。

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擁壁の裏側

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半ば無理矢理よじ登る

消滅しているのでロープ必須。
まるで崖上りをしている気分でした。

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残っていた旧道はこんな感じ。
若干は荒れてるものの路盤はしっかりしていました。

この先には多田見峠があるわけですが、
かつては眼下に大池が広がっていたことから
現国道の場所は通れず山の中を進むしかなかったようです。

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多田見坂はなんとも雰囲気がある坂です。
清流の錦川を渡って御庄宿へ。

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水が美しい

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御庄というと新幹線新岩国駅の集落です。
街道は新幹線建設の際の区画整理によって、
錦川から新幹線高架のある場所まで失われています。

本陣付近の湾曲している道筋。
街道は山沿いを弧を描くように進んでいきます。

秋祭りの季節。大きなのぼりが立っていました。

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川沿いを進んで行くと思案橋。

ここは旅人が錦帯橋に寄るか寄らないか
思案したことから名前が付けられています。

そういえば錦帯橋は山を越えてすぐにあります。
車でいくと早いですが歩きだと結構かかるもの。
実は今回の道中でも行こうか行くまいか悩みました。
まさに思案する場所に橋が架かっているわけです。

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柱野宿。
整然と並ぶ川沿いの宿場町ですが、
当初は先にある古宿という集落にありました。

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なぜ移設したのか。
それは江戸初期に火災があったからで
当時は火災によって移転ということが結構ありました。

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この付近が古宿の集落。
どことなく宿場の雰囲気がありますね。

柱野宿を過ぎると欽明路峠です。

基本的には川沿いの道を進めばいいのですが
所々に旧道が残っています。

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まず、この場所。
しっかりした道筋が残っていますね。

やがて国道と合流しますが、
その先にも旧道の痕跡が残っていました。

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国道の先にあった旧道

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欽明路峠越えは
手前に中峠という峠が存在します。

そこまでの道筋がなんとも急なもので
奈良の暗峠越え並みの急坂と思うほど。

でも、時おり車が通るんですよね。
道幅が広い分、暗峠よりは酷道度は低いかな?

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スリップ防止用の切れ目は急坂の証

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中峠は茶屋(休憩所)があったそうで
雰囲気的に峠の風情をどこか感じられます。

対して欽明路峠はというと、
風情はなく峠であることを気付きにくいものでした。

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欽明路峠

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旧道はトンネル手前を横切っていた

欽明路峠から先は急坂で下りるんですが
今は山陽自動車道建設によって跡形なく消滅しています。

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峠のいわれの欽明寺。
ここからの眺めは良いものでした。

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この先は盆地の中を進む形で、
玖珂宿、高森宿といった宿場が連なります。

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玖珂宿は「玖珂三市」とも呼ばれていて
本郷市、新市、阿山市のそれぞれの場所で
毎月決まった日に市が開かれていました。

高森宿にも市が3カ所で開かれていて
宿場の入口を市頭、出口を市尻と称して
間に上市、中市、下市と並んでいたそうです。

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高森宿

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島田川沿いを進みます。

10月ともなると日が沈むのが早いので
西日が強烈に顔を差してきます。

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ヤギ!放牧されていました。

ゆるやかな川の流れに雄大な景色。
都会暮らしなのでほんと癒される光景です。

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次なる難所は丸子坂。

若干荒れてはいましたが、
数年前から藪狩りが定期的に行われているようで
意外とすんなり抜けることができました。

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丸子坂の入り口

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丸子坂はかなりの急坂だったので
牛が通る際は暴れないよう血を抜いていたとか。

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境界碑が残る中山峠を過ぎると今市宿です。

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正覚寺から見た宿場のメインストリート。
やっぱ街道には軽トラが似合いますね。

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だいぶ日が暮れてきました。
呼坂宿の手前の高水駅でゴールとしました。


  
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