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山あいの空気が澄んだ朝。
高見山登山口から先は一気に勾配がきつくなります。


ふと入口を見ると
通行禁止の看板がありました。
伊勢南街道の小峠と大峠の区間も含まれています。
これはどうしたものかと思案したところ、
国道のトンネルで迂回もあるのですが味気ないので
山頂を経由して三重県側に抜けることにしました。


小峠までは伊勢南街道で進みます。
元は街道だっただけに祠や古い石積みを見かけたり、
勾配は比較的緩く道幅も広いので歩きやすいものです。
さすがは街道ですね。


石畳には苔がついていません。
今も高見山を登る人の往来が多いからでしょう。
石畳自体は修復されたものと思いますが
綺麗な石の状態は江戸時代を彷彿とさせてくれます。


こういう掘割になっているところは
昔の人が苦労して作ったものなのでしょう。
九十九折の道を進んでいく小峠です。
ここから先は本格的な登山道で頂上へ。
迂回なので標高400mほど余計に登っていきます。



急な勾配が続きます。先ほどまでとは大違い。
これが街道と登山道の差なのでしょう。
国見岩から伊勢方面を眺めると
雲海が広がっていました。


高見山山頂。
独立峰ならではの素晴らしい視界。
高見山は11月下旬ともなると紅葉は終わっていて
登山客は殆どいなく言わばオフシーズンにあたります。
雪が積もる時期になると樹氷登山で賑わうそうです。



頂上から大峠へ下ります。
大峠がいわゆる高見峠にあたります。
高見峠から先は伊勢の国(三重県)。
名前は和歌山街道と変わってゆきます。

高見峠。本来の街道はアスファルト道に沿った草道がある。


尾根沿いを進みます。
途中には崩落個所がありましたが
まるで高速道路のような道筋が続きます。


半分崩落している箇所も
それにしても高見峠は前調べの段階では
藪が生い茂って大変と思っていたのですが
奈良側も三重側も良く整備された道で意外でした。


船戸の集落を抜けると
櫛田川沿いに下っていきます。
紅葉を楽しみながら道なりに。



伊勢の国最初の宿場町は波瀬宿。
旅籠屋が4軒ありました。
産業としては煎茶・串柿・芋・栗・
大豆・小豆が主なものだったそうです。


連子格子の家々が連なります。
この立派な建物は元は本陣でした。
宿場の規模としては大きめで町割りが特長的です。
町の中央には波瀬神社がありました。



「右、いせ道」。反対側に「かうや、よしの」の文字。
所々で国道と合流して進みますが、
かなり改良されていて車は走りやすいようです。
反面、その影響で旧道は削られてしまった箇所が多く、
元の姿をとどめていないのは残念なところです。


ここが峠の入り口。
大定峠への道。
峠から先が廃道になってるという噂を聞いていたので
とりあえず峠まで進んでみることにしたのですが
峠への道の入口を探すのに四苦八苦しました。
この坂の手前にある床屋が目印です。


植林の影響で道がわかりづらいですが
踏み跡を辿っていくと昔ながらの峠道にでました。
街道歩き的に良い道というのは舗装路ではありません。
このような土道と出会うとたまんないです。


大定峠にはお地蔵さんがおられます。
さて、下山です。
踏み跡を頼りに廃道となってる区間を歩きますが
荒れてはいたものの意外と苦労せず下りることができました。



ただし、獣除けネットや一部で崩落があったりと
一筋縄にはいかない場所はありました。
三重県のウォーキングマップでは廃道扱いでしたが
こういった理由から迂回を推奨していたのかもしれません。



本陣跡
七日市宿。
本居宣長も泊まったことのある宿場です。
この辺りになると
櫛田川の流れは緩やかで石が特長的です。



茶畑が一面に広がります。
この辺りはお茶の生産が活発です。