この日も冷えた朝になりました。

↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

大駅付近は市によって開けた集落で
古くは台道の市と呼ばれていました。
木製の電柱が残る風景。
薄暗いのでノスタルジックさが際立ちます。


最初の峠は国木峠。
かつては立派な往還松が並んでいたそうですが
伐採されて跡形がなくなってしまっています。
長沢池が見えてきました。

江戸時代前期に代官東条九郎右衛門によって
灌漑用に整備された農業用溜池です。
かなりの年月が過ぎているので
人工の池に思えない自然さがあります。
あまりの寒さに池から湯気のようなものが出ていました。
いわゆる蒸気霧と呼ばれるものです。



長沢池の周辺はレストランやコンビニが点在していて
国道を通る車の休憩スポットになっているようです。
この先の街道は長沢池を迂回する形で進みますが
池が出来る前は今の国道に沿った道筋でした。


弁天社の一の鳥居。
なんとも幻想的な光景です。
大きな下関の看板が目立つ四辻駅付近。
ここに来てようやくゴールまで近いことを実感しました。


鋳銭司。
かつては市が並び周辺で一番の賑わいがあったそうですが
元々は名前の通り和同開珎などの銭貨の鋳造所があった場所です。
当時の鋳造所は河内国、周防国、長門国の3か所しかなかったので
いかに国にとって重要な場所だったかがわかります。

集落の真ん中にあった不思議な石。
「建石」と呼ばれていて集落の地名「立石」の謂れなのですが
平べったい花崗岩のもので石には何も文字が書いてません。
一体なんの為に・・・!?
花崗岩は風化が早いので元々は何か書いてあったのでしょうが
寛保年間の記録でさえ「昔から立っていた」という程なので
相当な昔の代物かもしれませんね。

続いては陶(すえ)の集落。
ここも市があって賑わっていた場所です。
古代はこの地で須恵器を製造していました。
なんとも歴史を感じさせる地名が続きます。


やがて東津橋で椹野川を渡れば小郡宿です。
川には明治5年に橋が架かりますがそれまでは舟渡しでした。
古絵図を見ると数多くの帆掛け船が描かれてるのですが
単なる渡し場というだけでなく海から来た荷物を内陸へと運ぶ
物流の中継という重要な役割もあったそうです。


小郡宿は宿場の中央でL字になっています。
ちょうどLの部分で山口方面からの山陰道と合流します。

古地図を見ると宿場の家々は山陰道側にも連なってる感じで
追分を中心にしたT字型の宿場町だったというのが正解でしょう。
お茶屋(脇本陣)の施設などは山陰道側にあったようです。

追分には立派な道標があるのですが残念ながらこれはレプリカ。
本物は近くの民家に保存されています。
「右 京 江戸」「左 萩 山口 石見」


三原屋本陣跡。
ここは後の長州征伐の要因となった
幕府の詰問使が襲われたという三原屋事件の舞台。
今は大きな駐車場になっています。

狭い路地のような道筋を過ぎると「粟島神社」
ここには烏森と呼ばれる大きな森があったそうですが
敷地に面影が残っているものの開発で失われてしまっています。


雨乞山を左前に見て進みます。
山々の岩肌には所々に石灰質が見え隠れしていて
なんとも山口県らしい景色です。

雨乞山のふもとをぐるっと回り込む道筋を進んで
宇部線とオーバークロスするあたりが荒神峠。


それを過ぎると嘉川の市に入ります。
周辺の村々では嘉川に行くといえば”市で買い物”
と意味していたほど大きな町だったようです。


公民館にあったイラストマップを見ると
たしかにずらっと店が立ち並んでいる様子がわかります。

橋のたもとにあった道標。
「あしす、とこなみ、中の村」
海沿いにある阿知須への分岐点にあたります。


この辺りから立派な常夜灯が増えてきます。
加えて庚申塚も大きなものが多くなってきました。


割木松峠の郡境碑。
「東、周防国吉敷郡、西、長門国厚狭郡」
いよいよ最後の国である長門国です。

ここから先の山中宿を含む区間では
わかりづらい旧道がいくつか残っています。

ここが旧道の入口にあたるわけですが
入口が藪になっていて一見するとただの林です。


ところが中に入ってみると路盤がしっかり残っていて、
出口には旧山陽道の標識まである。

下調べでは道なのか農道なのか半信半疑だったのですが
現地で本当に道があった時は感激もひとしおです。


山中宿は上市と下市に分かれていました。
どちらも良い風情が残ります。


色合いが統一された瓦なんて美しいですね。


この先は厚東川まで川沿いを進みました。(ルート図参照)
一説によると国道沿いを進むものもあるようです。
ただ、明治期に再整備された部分と江戸期の部分とは
曖昧になってる場所が多いようで国道が正解かはいささか疑問です。
それでも川沿いの道よりは重なってる部分が多いみたいです。


厚東川を木田橋で渡ります。
この付近が”二俣瀬舟渡し”跡。
やがて街道は山道へ。殿様(どんだけ)道です。


現在の国道はぐるっと山を迂回する形で明治期に作られています。


若干、荒れ気味ではあるものの
昔の風情が色濃く残っている峠越えの道です。
出口には立派な標識もありました。


やがて今回のゴール厚東駅付近に到着です。