2016年06月23日

西国街道その18・大道駅→小郡宿→厚東駅

一面に霜が下りた光景。
この日も冷えた朝になりました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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大駅付近は市によって開けた集落で
古くは台道の市と呼ばれていました。

木製の電柱が残る風景。
薄暗いのでノスタルジックさが際立ちます。

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最初の峠は国木峠。
かつては立派な往還松が並んでいたそうですが
伐採されて跡形がなくなってしまっています。

長沢池が見えてきました。

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江戸時代前期に代官東条九郎右衛門によって
灌漑用に整備された農業用溜池です。

かなりの年月が過ぎているので
人工の池に思えない自然さがあります。

あまりの寒さに池から湯気のようなものが出ていました。
いわゆる蒸気霧と呼ばれるものです。

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長沢池の周辺はレストランやコンビニが点在していて
国道を通る車の休憩スポットになっているようです。

この先の街道は長沢池を迂回する形で進みますが
池が出来る前は今の国道に沿った道筋でした。

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弁天社の一の鳥居。
なんとも幻想的な光景です。

大きな下関の看板が目立つ四辻駅付近。
ここに来てようやくゴールまで近いことを実感しました。

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鋳銭司。
かつては市が並び周辺で一番の賑わいがあったそうですが
元々は名前の通り和同開珎などの銭貨の鋳造所があった場所です。

当時の鋳造所は河内国、周防国、長門国の3か所しかなかったので
いかに国にとって重要な場所だったかがわかります。

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集落の真ん中にあった不思議な石。

「建石」と呼ばれていて集落の地名「立石」の謂れなのですが
平べったい花崗岩のもので石には何も文字が書いてません。

一体なんの為に・・・!?
花崗岩は風化が早いので元々は何か書いてあったのでしょうが
寛保年間の記録でさえ「昔から立っていた」という程なので
相当な昔の代物かもしれませんね。

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続いては陶(すえ)の集落。
ここも市があって賑わっていた場所です。
古代はこの地で須恵器を製造していました。

なんとも歴史を感じさせる地名が続きます。

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やがて東津橋で椹野川を渡れば小郡宿です。
川には明治5年に橋が架かりますがそれまでは舟渡しでした。

古絵図を見ると数多くの帆掛け船が描かれてるのですが
単なる渡し場というだけでなく海から来た荷物を内陸へと運ぶ
物流の中継という重要な役割もあったそうです。

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小郡宿は宿場の中央でL字になっています。
ちょうどLの部分で山口方面からの山陰道と合流します。

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古地図を見ると宿場の家々は山陰道側にも連なってる感じで
追分を中心にしたT字型の宿場町だったというのが正解でしょう。
お茶屋(脇本陣)の施設などは山陰道側にあったようです。

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追分には立派な道標があるのですが残念ながらこれはレプリカ。
本物は近くの民家に保存されています。

「右 京 江戸」「左 萩 山口 石見」

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三原屋本陣跡。
ここは後の長州征伐の要因となった
幕府の詰問使が襲われたという三原屋事件の舞台。
今は大きな駐車場になっています。

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狭い路地のような道筋を過ぎると「粟島神社」
ここには烏森と呼ばれる大きな森があったそうですが
敷地に面影が残っているものの開発で失われてしまっています。

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雨乞山を左前に見て進みます。

山々の岩肌には所々に石灰質が見え隠れしていて
なんとも山口県らしい景色です。

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雨乞山のふもとをぐるっと回り込む道筋を進んで
宇部線とオーバークロスするあたりが荒神峠。

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それを過ぎると嘉川の市に入ります。
周辺の村々では嘉川に行くといえば”市で買い物”
と意味していたほど大きな町だったようです。

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公民館にあったイラストマップを見ると
たしかにずらっと店が立ち並んでいる様子がわかります。

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橋のたもとにあった道標。

「あしす、とこなみ、中の村」

海沿いにある阿知須への分岐点にあたります。

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この辺りから立派な常夜灯が増えてきます。
加えて庚申塚も大きなものが多くなってきました。

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割木松峠の郡境碑。
「東、周防国吉敷郡、西、長門国厚狭郡」

いよいよ最後の国である長門国です。

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ここから先の山中宿を含む区間では
わかりづらい旧道がいくつか残っています。

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ここが旧道の入口にあたるわけですが
入口が藪になっていて一見するとただの林です。

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ところが中に入ってみると路盤がしっかり残っていて、
出口には旧山陽道の標識まである。

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下調べでは道なのか農道なのか半信半疑だったのですが
現地で本当に道があった時は感激もひとしおです。

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山中宿は上市と下市に分かれていました。
どちらも良い風情が残ります。

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色合いが統一された瓦なんて美しいですね。

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この先は厚東川まで川沿いを進みました。(ルート図参照)
一説によると国道沿いを進むものもあるようです。

ただ、明治期に再整備された部分と江戸期の部分とは
曖昧になってる場所が多いようで国道が正解かはいささか疑問です。
それでも川沿いの道よりは重なってる部分が多いみたいです。

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厚東川を木田橋で渡ります。
この付近が”二俣瀬舟渡し”跡。

やがて街道は山道へ。殿様(どんだけ)道です。

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現在の国道はぐるっと山を迂回する形で明治期に作られています。

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若干、荒れ気味ではあるものの
昔の風情が色濃く残っている峠越えの道です。

出口には立派な標識もありました。

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やがて今回のゴール厚東駅付近に到着です。




  
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2016年06月16日

西国街道その17・戸田駅→防府→大道駅

真冬の西国街道歩き。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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良く冷え込んだ朝。
手洗い場の氷には厚みがありました。

まずは赤坂峠を越えていきます。

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峠の先にある船山神社。

今歩いてきた峠を眺めてみると
名前のいわれ通り舟の形に見えてきます。

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この山容から戸田という地名は
船形→船田→戸田と変化していったそうです。

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戸田は市で賑わってきた場所です。

宮島様と呼ばれる昔からある祠は
厳島神社のように池の中に立っています。

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今回の区間では峠が幾つか続きますが
どれも標高は低いもので楽なほうです。

次なる峠は椿峠。
国道の脇には江戸時代の道筋が残ります。

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立派な郡境碑がありました。
若干荒れ気味の場所に静かに立っています。

「従是 東都濃郡、西佐波郡」

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峠を越えると視界が広がり海が見えてきます。

ここまでずっと山の中だっただけに感動ものです。
きっと昔の旅人も同じような感覚だったことでしょう。

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富海宿は名前の通り海に面した集落で
「飛船」という海運で賑わっていました。

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中でも大和屋飛船問屋は
勤王の志士を支援していた所で史跡になっています。

富海宿の特長は街道の道筋が他の場所より一段高くなってる点で
海側の路地を見ると結構な段差になっていて見事な石積みが並んでいます。

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これは恐らく海から町(街道筋)を守るという意味があったのでしょう。
港町でもある宿場町の知恵を見ることができました。

横には気持ちの良さそうな砂浜が広がります。

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次なる難所は浮野峠。橘坂を上ります。

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街道の下にはJR線、旧国道、国道のトンネル、新幹線と
交通機関がこれでもかというぐらい集中しているので
東海道のさった峠に似ていると言われることがあります。

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この大きな石は手掛岩。
なでると足が軽くなるのだとか。

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峠道はハイキングコースとして整備されています。
道の端に石畳が残ってる場所もあったりと
全体的に江戸時代の風情が残っています。

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そんな浮野峠も明治に一部改修が行われています。
看板にある古地図を確認するとごく僅かな区間です。

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改修前の江戸時代の道筋は少し残ってるのですが
狭い上に若干荒れていてわかりづらくなっています。

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浮野峠を越えると防府の町に入ります。
防府は国衙跡や国分寺があった周防国の中心地。

また防府天満宮の鳥居町としての一面もあります。

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国衙の跡。広々とした広大な場所です。
街道は国衙跡の中を突っ切る形で進みますが
江戸時代にはすでにこのような道筋になっていたそうです。

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多々良大仏

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国分寺の広い境内

防府天満宮前の交差点で港側から来る萩往還と合流します。

萩往還とはしばらく重複して西へと進むのですが
この重複した場所にある宿場町が宮市宿でした。

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宿場には古い家が残っていて
かつての繁栄ぶりをうかがわせてくれています。

ただ、狭い街道筋には車がひっきりなしに行き交っているので
ゆっくり楽しむことができないのは残念なところです。

本陣は地域の豪商だった兄部家が担当していたのですが
立派な建物は近年解体されてしまっています。

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本陣の跡

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佐波川を渡ります。
ここには大崎の渡しがありました。

かつては渡しを見守るように
植松神社という大きな社があったのですが
現在は少し離れた橋のたもとに移転しています。

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この辺りから大きな常夜灯が目立ち始めます。
次なる難所は佐野峠です。

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峠の頂上には駕籠立場があって
眼下には高速道路のサービスエリアが広がります。

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峠からの眺めは佐波川の河口付近を見渡せます。

「まことに山陽第一の佳景なるべし。」

サービスエリア整備によって
一部旧道が消滅してしまっていますが
全体的に良い風情が残ってる峠でした。

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市があった岩淵集落を過ぎると
今回のゴールである大道駅付近に到着です。


  

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2016年06月09日

西国街道その16・高水駅→戸田駅

今回も見どころたくさん。
久しぶりに海に近い場所を歩きます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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呼坂宿。
朝焼けがとても綺麗でした。

名前の由来としては
宿場の西にある坂が海老のように曲がっているので
「エビ坂」と呼んでいたところ次第に「呼び坂」となっていったそうです。

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なかなかの急坂です。
石積みが立派!

峠の頂上部にはお地蔵さんもいらっしゃります。
こういう難所では安全を見守る石仏が多いですよね。
歩いていてなんだか安心します。

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岩徳線沿いを進みます。

この線は岩国と徳山とを結ぶ短絡ルートで
一時期は山陽本線と名乗っていたことがありました。

日々増大する需要に対応すべく建設を急いだので
谷あいを縫うように街道沿いに作られています。
おかげで旧道が吸収されてしまった場所が多いようです。

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藪道。
早朝からの藪こぎは想定外でした。

雨が降った後なのでズボンが大変なことに。

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久保市宿。間の宿です。

名前は窪地状になった地形の場所に
市が定期的に開かれていたことからきています。

坂のある町並みが広がります。

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この付近が塩売峠(たお)。

今も昔も真昼でも暗い場所で
昔は山賊が出没することがあったそうです

山口県付近では峠のことを垰と呼ぶことがあります。
「たお」、「だお」は他地方ではあまり聞きませんね。

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柿がたわわに。花岡宿。
八幡宮の門前町としても発展してきた集落です。

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花岡八幡宮は毛利家の祈願社で
花岡の地名の由来は八幡宮にあった大木からきています。

花が咲くころは集落中に香りがしていたそうで
そこから山号を花岡山と称しています。

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花岡八幡宮からの眺め。

こうやって町を俯瞰できる場所があるのは
なんともありがたいものです。

今回の区間においては
このような高台にある神社が数多く存在しています。
次の区間でも防府八幡宮のあたりを通ることになりますが
山口県内ではこのような形が流行っていたのかもしれませんね。

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末武川沿いを進みます。
途中で対岸に渡る場所がありますが
対岸は江戸初期の道筋と言われています。

桜並木が続いてるので春の歩きは最高でしょう。

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やがて難所の見上げ坂にさしかかります。
街道の前に立ちはだかる絶壁。

かつてはこの上まで一気にあがっていたそうです。
明治期になって迂回する道筋ができています。

江戸時代の道の痕跡がこちら。

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石積みがなかなかのもんです。
ちなみに入口は私有地なので入りにくいですが
少しでも痕跡が残ってるのはありがたいものです。

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たんたんと進み標高を下げていきます。

櫛ケ浜のあたりは
名前のとおり近くまで海だった場所です。

現国道はそのまま平地を通っていきますが
街道は再び山沿いへと進路をとっていきます。

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久米峠。
どことなく峠の雰囲気が残っていますね。

その先にある早乙女坂ですが
一説では当地では「早苗打ち」という風習があって
縁起をかついで道行く人に早苗を投げて祝儀を貰っていました。

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ところが、風習を知らない飛脚に若い女の子が投げたところ
無礼!と言われ斬られてしまったといいます。
なんとも悲しいお話しです。

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遠石宿。もう徳山宿は目の前です。

徳山は戦災で焼けてしまっているので
遠石は古き良き徳山の風情を今に伝えています。

海側にはコンビナートが広がります。

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徳山毛利家の氏神でもある遠石八幡宮。
祭礼には瀬戸内海の島々からも参拝者が訪れてたそうです。

遠石のいわれとなる石があります。
影向岩といわれる大石。

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大昔に八幡大神がここに降り立ったといわれていて
石の上には蹄の跡が残っているように見えます。

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かろうじて残っている念仏坂。

坂は通路のようになってしまっていますが
国道が拡幅されるまでは倍以上はあったでしょうね。

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公園内に道の痕跡が残る

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徳山宿の入口にはさすりぼとけの碑があります。
石をさすると脚の疲れが治ったり難病を避ける力もあったので
大勢の人が訪れて番所を置くほどの賑わいだったそうです。

足の疲れが治るのはありがたいですよね。
ずーと歩いていると当時の人の気持ちがなんとなくわかります。

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徳山宿は先ほども書いた通り、
戦災で大きくやられているので痕跡は殆ど残っていません。

かつて駅前のロータリーの北側には大きな寺があったり、
代々木公園付近には遊郭もあったそうです。

徳山は毛利4万石の城下町でもありました。

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徳山宿の西のはずれにある音羽橋。
富田川に架かる石橋だったのですが幾度も洪水で流れています。

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この川が城の外堀も兼ねていたのですが
ふと見ると錦鯉が泳いでいました。
なんとも優雅な光景です。

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新南陽駅筋を過ぎての道標。

右側に下のせきと書かれています。
てっきり江戸時代は馬関や赤間関と呼ばれてたと思ってたのですが
あとで調べてみると元々は下関と呼んでいたようです。

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山崎八幡宮。

ここも高台に上ってみました。
遠くの工業地帯がなんともいえません。

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今と昔とでは見え方は違いますが
かつては奥のほうは海だったと思われます。

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山崎八幡宮は学問の神として庶民に信仰されて
毛利家の祈願所でもありました。

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富田宿。
中心部で直角に曲がっています。

この平野付近は旧山陽道の駅のひとつ。
石の産地で賑わったようで近世は瓦作りも活発だったそうです。

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温田峠手前の追分は
左が明治道、右が江戸道。

江戸道は消滅してると資料には多いですが
実はかろうじて残っています。

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こんな感じ。
ほんとにかろうじてですが。

国道と直交して先にあるスロープを上れば峠です。

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温田峠。萩御水茶屋所があった場所。
温田観音さんは雨乞いの観音様です。

福川宿には本陣の門が残ります。

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夜市川沿いを進むと今回のゴール戸田。
ここから先は再び山道へと進んでいきます。

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