2017年01月26日

大文字山からの京都の絶景と明治の香り

如意ヶ嶽の支峰である大文字山は、
毎年8月16日の「五山の送り火の大文字」で有名で
山上や火床からは京都市内を一望することができます。

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大文字山へは幾つか登山道があるのですが
一般的なのは銀閣寺から登るものです。
急登ですが最短距離で登ることができます。

今回は三条から東海道を進み、蹴上、南禅寺を経て、
山頂、火床、銀閣寺を経由して吉田山、京大に至るルートです。

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ルートを先に明かしちゃいましたが
今回はミステリーツアーと称しての計画でした。
三条駅集合だけを告げて行き先は明かさずというもので
参加者の中には比叡山に行くのか?大津に行くのか?と
皆一様にドキドキしていたのは面白いところでした。

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まずは蹴上、南禅寺付近。
紅葉や湯豆腐の名所だったりするわけですが
この一帯は明治の香りが漂っています。

琵琶湖疎水、インクライン、水路閣 etc

古い煉瓦造りの建物群は
東京遷都によって荒廃しつつあった京都が
いかに復興していったかがわかるものです。

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日本で最初の営業電車は
琵琶湖から水を引くことで得られた電力からですし、
水を引くことになった理由はそもそも飲料水確保からのもの。

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サスペンスでよく出てくる南禅寺の水路閣も
京都の復興の為ならと境内を通すことを許可しています。

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さて、前置きが長くなりましたがメインの大文字山です。

山頂からの眺望はそれなりに良いものがありますが
火床と呼ばれる場所はそれ以上のものがありました。

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正直ここまで展望が良いとは思いませんでした。
正面には愛宕山、遠くは大阪市内のハルカスや男山、
金剛山や生駒山、手前に吉田山、御所に京都タワー。etc。

標高がそれほど高くない分、
有名な史跡が目の前に手に取るように見えます。

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ちなみに「大」の字の中心部にある特別な火床は
京都人にとって神聖なものだから入ってはいけないのだとか。
傍にいた自称観光ボランティアが言ってたのですが
皆さん中に入って記念写真を撮っている様子。

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急坂を下りていけば銀閣寺。
さすがの賑わいがありました。

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この後は吉田山に登って京大を見てから帰りましたが
吉田神社の辺りは一般的な観光ルートではないだけに
京都の新たな一面が見れて面白いものでした。


  
 
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2017年01月19日

熊野古道紀伊路その7・湯浅→御坊

熊野古道で現存している
最長の石畳を楽しめる区間です。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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湯浅駅近くのJR線をくぐると
昭和の雰囲気が残っていました。

「すぐ勝楽寺」の道標。指差しがいい感じ。
湯浅は古い町だけあって寺が多いですね。

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紀伊國屋文左衛門の碑。

紀州みかんや塩鮭で富を築いた話で有名なのですが
不明な点が多くて架空の人物とする説があるそうです。

久米崎王子跡を過ぎると広川沿いを進みます。

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ゆったりした流れです。

広川インターの手前で川を渡りますが、
この場所で川を渡るのは江戸時代に入ってからのことで
古来の熊野古道はそのまま左岸を進んでいました。

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その証拠となるのが津兼王子の場所。

高速道路の工事で周辺が変わってしまってますが
場所的には広川インターの中でだいたい合っています。

ここが古来からの道筋にあたるところで
ルート付け替え後の新道には新しく王子が作られています。

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井関から河瀬にかけては宿場の役割がありました。
かつては旅籠が何軒も並んでいたそうです。

集落の入り口には絵図が飾ってあったのですが
井関の住民が幕末の頃を思い起こして後年に描かれたものです。

下の絵は先ほど広川を渡った場所の様子。

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幕末なのでルート付け替え後になります。
右手に木が数本植わってる場所が一里塚の跡で、
その近くに新しい王子があったといわれています。

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河瀬王子の手前で再び広川を渡ります。

絵図には土橋が描かれていて
右のこんもりした森が河瀬王子にあたります。

橋のたもとには供養型の道標。
天保の大飢饉の折に立てられたものです。

右、いせ、かうや道。

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もう一つ自然石の道標もありました。

紀三井寺とは西国2番の札所。
熊野古道紀伊路は1番札所である青岸渡寺から続いている
西国三十三か所参りの巡礼道の一面もありました。

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巨石が残る河瀬王子跡。

祠も何もない状態なのですが
雰囲気的に何かを感じる場所でした。

王子は江戸時代の一里塚と同じく
休憩する目印の役割もあったといいますが
ここは休憩するにうってつけで涼かったです。

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今回の難所は鹿ケ瀬峠。

峠の入り口にあるのが地蔵寺です。
ご本尊様は汗かき地蔵とも呼ばれているのですが
険しい峠道を旅人の後ろから背中を押して手伝っていたので
汗をかいたという話が残っています。

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街道マップにない本来の旧道入り口がこちら。

案内看板が倒れてしまっています。
この先は崩れてしまっているので廃道になる運命なのでしょうか。

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イノシシ除けの門をくぐると草道が続きます。

草が足にまとわりつくほどのものなので
雨が降って水分を含んでいたら大変でしょうね。

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大峠(鹿ケ瀬峠)の手前にあったお地蔵さんは
下半身の病気に霊験があると言われています。

お地蔵さんが立っていた場所ですが
明らかに旧道の雰囲気が残る切通しになっています。
これが元々の本道である可能性が高いように思いますが、
先のほうで崩れてしまっています。

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紀伊山地は雨が多い地域で土砂崩れも多い場所です。
ここも何かしらの理由でルートが付け替えられたのでしょう。

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大峠(鹿ケ瀬峠)の展望はよくありません。

ちょっとした広場になっていて
元々は茶屋が数軒あったので平坦です。
周りを見てみると立派な石積みが残っていました。

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小峠は大峠と違って若干眺望がききました。

ここから石畳が始まります。

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やはり復元ものとは違ってホンモノは違います。

石には苔がついていて滑りやすく
しかも急坂なので要注意です。

約500mほど歩いて熊野古道公園付近で終わります。

公園といっても廃墟になりつつある広場で
熊野古道ブームの時に整備されたのでしょう。
何年か先には自然に戻ってしまうかもしれません。

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紀伊名所図会にも描かれている金魚茶屋付近。

清流の水を引き込んで金魚を飼ってたのが有名で
旅人の疲れを癒していたそうです。

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見事な水田がある集落。
ここからは舗装路が続きます。

四ツ石は後鳥羽上皇の聖跡。
存命中に29回も熊野詣をしたのは大したものです。

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内ノ畑王子、高家王子と進みます。

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歩いてると地蔵型道標をよく見かけますが
地名が書かれてるところは赤い布が掛かっている場合があるので
めくって見ないことには確認することができないのですが
地名が書いてあると嬉しいものがあります。

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善童子王子、愛徳山王子を過ぎて道成寺。

本堂は正平12年(1357年)頃の竣工のもので
寺に残る仏像群の大半も平安時代のものです。

仁王門、三重塔などの諸堂塔は
近世を通じて徐々に整備されていったそうです。

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道成寺といえば釣鐘饅頭です。
和歌山のお土産におすすめです。


  
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2017年01月12日

熊野古道紀伊路その6・海南→湯浅

峠が3か所あるダイナミックな区間です。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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熊野一の鳥居跡。

今は何も残っていませんが
かつては巨大な鳥居が立っていました。

いわば熊野の玄関口にあたる場所で
中にはこの先にある藤白神社でお参りして満足すると
引き返して帰った人も少なくなかったといいます。

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藤白は全国の鈴木性のルーツともいえる場所です。

熊野の神職で神聖な「すすき」というのがあるのですが
これにちなんで「鈴木」の名字を名乗った人が
藤白王子の神職になったことが由来のようです。

「鈴木さんいらっしゃい」ののぼりが面白いですね。

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熊野古道の提灯が美しい藤白神社。
なかなか立派な境内です。

ここから先には藤白坂が待ち構えています。
非常に険しく大坂から最初の難所といえる場所です。

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坂には旅人の無事を祈るように
一町ごとに石仏がおかれています。

この石仏群は道の荒廃によって不明になったものがあるのですが
近年になってほぼ昔の場所に復元されつつあります。

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坂は地道が基本になってるのですが
中には階段で整備されている場所がありました。

急坂を上っていくと展望が開けてきました。
海南の海が綺麗なこと!

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筆捨松と硯石。

植わっている松の樹齢は若いのですが
いわれ自体は平安時代と古いもので
宮廷の絵師が熊野権現の童子と絵書き対決をして
絵師が負けたので根元に筆を捨てたとありました。

硯石はその話にちなんで
江戸時代に作られたものになります。

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峠のピークにあるのが地蔵峰寺。
本殿は室町時代のものです。

ちょうどこのあたりが藤白塔下王子にあたります。
当時は峠のことを「塔下」とも書いたのでしょうか?

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ちなみに寺の裏からの眺めは
和歌山県朝日・夕陽100選に指定されています。

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峠から先は舗装されている箇所もあるのですが
新道と旧道が入り組んでいてややこしいです。

ここで助かるのが現地の案内看板。
これに沿って歩けば安心です。

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これまでいろんな街道を歩いてきましたが
細かな分岐点にまで案内看板があるのは素晴らしいもので
あの東海道でさえここまで多くのものは記憶にありません。

これはひとえに熊野古道のメインたる場所が
和歌山県という一つの自治体で完結しているので
街道全体を整備しやすかったのではと思ったりもします。

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橋本の集落に入ってきました。

「土橋」という橋を渡りますが
紀伊名所図会にも描かれている橋です。

絵を見ると川沿いにも道があるのがわかります。
これは難所の藤白坂を避ける別ルートのもので
和歌の浦方面への海路がありました。

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では行き(熊野方面へ)も海路だと楽と思うのですが
そこは苦労したほうが御利益的なものがあったのでしょう。
帰り限定で利用されてた旨が書かれていました。

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橋本は紀伊名所図会にも描かれていた場所だけに
人々が集まるジャンクションでもあったようです。

古風な家が所々に残っていましたが
かつては茶屋などが立ち並んでいたと思われます。

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お菓子や柑橘類の神様で有名な
橘本神社は所坂王子跡でもあります。

境内には橘の木が植わっているのですが
古い時代に苗木を中国から持ち帰ってきたもので
いわば有田ミカンの先祖にあたります。

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ミカン畑の中を進んでいくと
再び急坂が始まります。拝ノ峠です。

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なかなかの絶景です。
苦労した分ダイナミックな景色を堪能できます。

紀伊名所図会によると茶屋があって
昔の人も休憩しながら眺めていたことでしょう。

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「宮原」集落に入ります。

町の真ん中に大きな有田川が流れているのですが
熊野古道は天神社付近から渡しで渡っていました。

かつての渡しの情景が下の絵図。

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中将姫ゆかりの得生寺を過ぎると
一里塚と文久年間の立派な道標があります。

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熊野古道は平安時代に賑わった街道ですが
江戸時代においても重要な道筋になっていたので
このような近世のものも所々で見かけることができます。

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本日最後の難所が糸我峠です。

振り返ると先ほど通ってきた拝ノ峠が見えました。
ぐんぐん標高をあげていきます。

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みかんの花が満開です。
下っていくと逆川王子がありました。

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逆川の由来は近くに流れる川からで
地形の関係で海と逆方向に見えることからきています。
こういうトリックは東海道の左富士みたいなノリですね。

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方津戸峠。
湯浅に藩の役人が来たときは
醤油商人が見送りにきたといわれています。

さあ、湯浅の町へと入ります。

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湯浅は醤油の町です。
ぷーんとする醤油の香りが町中に漂っています。

重伝達地区にも指定されているので
なかなか雰囲気の良い町並みが続いています。

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