3か月半たった8月に再開できました。

↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

朝から降り注ぐ真夏の日差し。
スタートの御坊駅は特急が止まる主要駅ですが
市の中心部はというと紀州鉄道の西御坊駅付近で
本願寺日高別院の寺内町として発展しています。

穏やかな流れの日高川。
河口に現在の市の中心部があります。
本願寺日高別院は1500年代の創建なので
平安時代の中心は熊野古道沿いにありました。
おそらく河口部は軟弱で適さなかったのでしょう。
小松原地区は宿場町として賑わっていました。



アップダウンが続く山間の道。
この先の熊野古道は海側へと進路をとります。
ちなみに江戸時代の熊野街道は御坊からは海沿いで
今の国道とよく似たルートを通っています。
土木技術の発展から短絡したルートになったと思いますが
年代によってのルート変更は調べていくと面白いものがあります。


塩屋王子跡。別名「美人王子社」。
祭神が天照大神の美人像だったという説が有力なのですが
祈願すると美しい子どもを授かるという伝説もあるそうで
幅広く女性に人気がある神社とのこと。



海が見えてきました!
ここからは標高を下げて平坦な道が続きます。


熊野古道といえば清姫というほど
あちこちに話や史跡が点在していますが
この草履塚もそのひとつです。

上野王子跡はかつての宿場で
紀伊路の中でも相当重きをなしていた場所でしたが
昔の面影はほとんどないように思います。


海が近いことで古い家には
板を張り付けたタイプの壁をよく見かけました。

南国情緒たっぷりに
国道にヤシの木が植えられています。
印南漁港の手前に叶王子跡がありました。



印南は古くからある漁村です。
ここでは和歌山県の街道マップと地元のマップでルートが違いました。
和歌山県の街道マップでは海沿いの道で河口近くを通るのですが
地元のは一旦川の上流側に出て迂回するものでした。
わざわざ広々とした河口部分に道を通すことは
地盤が軟弱で道普請が大変で平安時代では考えにくいもの。
おそらくは先ほど歩いてきた御坊付近と同じような理由から
地元のルートマップが正解なのでしょう。



再び高台へと上っていくと斑鳩王子跡。
奈良の斑鳩と何か関係が?と考えてしまいますが
地名の光川が訛って「いかる川」からきているそうです。

紀勢本線の旧線路跡と交差します。
鉄道の高速化によって不要になった敷地ですが
跡は遊歩道や車道になっていることが多いようです。
一見すると旧道っぽいので厄介ですね。

本来の旧道はこちら

切目王子は「五躰王子」の一つ。
五所王子と呼ばれる神々を祀ることで古くから格式が高く
他に藤白王子・稲葉根王子・滝尻王子・発心門王子とありますが
これら王子は他の王子とは何か違う雰囲気があるように思います。
今も昔も同じ場所に建てられていたり広々とした境内だったりと
碑しか残ってない他の王子と比べると違いますね。

切目駅を過ぎると再び峠道へ。
峠といっても100mほどしかないですが
やはり真夏の時期は辛いものがあります。


榎木峠の手前にある中山王子跡は「足の宮さん」。
足の病気に霊験があるのだとか。
ちなみに元々あった場所はここではなく
一説では榎木峠を越えた中山谷が旧社地といわれています。


榎木峠を下ると
いよいよ浜辺の道へと入ります。
岩代王子から千里王子は千里ヶ浜が横たわっています。
古くからの景勝地で万葉集にも謡われたほどの場所ですが
現在は一部を除いて鉄道建設や浸食の影響で歩けなくなっています。


街道マップでは迂回が推奨されています。
でもせっかくなら出来るだけ長く浜辺を歩きたいものです。
千里が丘球場脇には小道があるのですが
小道からの踏切を渡ると浜辺に出ることができました。



とても澄んだ海!
砂浜は歩きづらいですが景色に癒されました。


千里王子跡。
浜で貝を拾って社殿に供える風習があったことから
貝の王子とも称されています。
ここから再び山の中へ。



交通の要衝で茶屋が並んでいたという南部峠。
ここを境にして梅畑が一気に増えてきます。
さすがは南高梅の南部町です。

南高梅は明治になって作られたものなので
景色は平安時代はまた違ったものだったと思いますが
なんとも独特な風情を楽しめました。


南部の市街地に入って三鍋王子跡。
そしてほどなくしてゴールの南部駅に着きました。
余談ですが今回は岩代までを当初予定していました。
意外と快調だったので急遽延長して8kmを余分に歩いたわけですが
ことのほか暑く休養明けだったので体にこたえました。
この8kmの余分な行動が後の行程に良い影響が出るのですが
そのお話はまたのちほど。