2017年02月22日

熊野古道紀伊路その8・御坊→南部

育児で5月から休んでいた街道歩きですが
3か月半たった8月に再開できました。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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朝から降り注ぐ真夏の日差し。

スタートの御坊駅は特急が止まる主要駅ですが
市の中心部はというと紀州鉄道の西御坊駅付近で
本願寺日高別院の寺内町として発展しています。

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穏やかな流れの日高川。
河口に現在の市の中心部があります。

本願寺日高別院は1500年代の創建なので
平安時代の中心は熊野古道沿いにありました。
おそらく河口部は軟弱で適さなかったのでしょう。

小松原地区は宿場町として賑わっていました。

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アップダウンが続く山間の道。
この先の熊野古道は海側へと進路をとります。

ちなみに江戸時代の熊野街道は御坊からは海沿いで
今の国道とよく似たルートを通っています。

土木技術の発展から短絡したルートになったと思いますが
年代によってのルート変更は調べていくと面白いものがあります。

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塩屋王子跡。別名「美人王子社」。

祭神が天照大神の美人像だったという説が有力なのですが
祈願すると美しい子どもを授かるという伝説もあるそうで
幅広く女性に人気がある神社とのこと。

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海が見えてきました!
ここからは標高を下げて平坦な道が続きます。

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熊野古道といえば清姫というほど
あちこちに話や史跡が点在していますが
この草履塚もそのひとつです。

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上野王子跡はかつての宿場で
紀伊路の中でも相当重きをなしていた場所でしたが
昔の面影はほとんどないように思います。

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海が近いことで古い家には
板を張り付けたタイプの壁をよく見かけました。

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南国情緒たっぷりに
国道にヤシの木が植えられています。

印南漁港の手前に叶王子跡がありました。

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印南は古くからある漁村です。
ここでは和歌山県の街道マップと地元のマップでルートが違いました。

和歌山県の街道マップでは海沿いの道で河口近くを通るのですが
地元のは一旦川の上流側に出て迂回するものでした。

わざわざ広々とした河口部分に道を通すことは
地盤が軟弱で道普請が大変で平安時代では考えにくいもの。
おそらくは先ほど歩いてきた御坊付近と同じような理由から
地元のルートマップが正解なのでしょう。

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再び高台へと上っていくと斑鳩王子跡。

奈良の斑鳩と何か関係が?と考えてしまいますが
地名の光川が訛って「いかる川」からきているそうです。

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紀勢本線の旧線路跡と交差します。

鉄道の高速化によって不要になった敷地ですが
跡は遊歩道や車道になっていることが多いようです。

一見すると旧道っぽいので厄介ですね。

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本来の旧道はこちら

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切目王子は「五躰王子」の一つ。

五所王子と呼ばれる神々を祀ることで古くから格式が高く
他に藤白王子・稲葉根王子・滝尻王子・発心門王子とありますが
これら王子は他の王子とは何か違う雰囲気があるように思います。

今も昔も同じ場所に建てられていたり広々とした境内だったりと
碑しか残ってない他の王子と比べると違いますね。

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切目駅を過ぎると再び峠道へ。

峠といっても100mほどしかないですが
やはり真夏の時期は辛いものがあります。

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榎木峠の手前にある中山王子跡は「足の宮さん」。
足の病気に霊験があるのだとか。

ちなみに元々あった場所はここではなく
一説では榎木峠を越えた中山谷が旧社地といわれています。

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榎木峠を下ると
いよいよ浜辺の道へと入ります。

岩代王子から千里王子は千里ヶ浜が横たわっています。
古くからの景勝地で万葉集にも謡われたほどの場所ですが
現在は一部を除いて鉄道建設や浸食の影響で歩けなくなっています。

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街道マップでは迂回が推奨されています。
でもせっかくなら出来るだけ長く浜辺を歩きたいものです。

千里が丘球場脇には小道があるのですが
小道からの踏切を渡ると浜辺に出ることができました。

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とても澄んだ海!
砂浜は歩きづらいですが景色に癒されました。

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千里王子跡。

浜で貝を拾って社殿に供える風習があったことから
貝の王子とも称されています。

ここから再び山の中へ。

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交通の要衝で茶屋が並んでいたという南部峠。
ここを境にして梅畑が一気に増えてきます。

さすがは南高梅の南部町です。

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南高梅は明治になって作られたものなので
景色は平安時代はまた違ったものだったと思いますが
なんとも独特な風情を楽しめました。

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南部の市街地に入って三鍋王子跡。
そしてほどなくしてゴールの南部駅に着きました。

余談ですが今回は岩代までを当初予定していました。
意外と快調だったので急遽延長して8kmを余分に歩いたわけですが
ことのほか暑く休養明けだったので体にこたえました。

この8kmの余分な行動が後の行程に良い影響が出るのですが
そのお話はまたのちほど。


  
posted by にゃおすけ at 16:37 | Comment(1) | TrackBack(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする

2017年02月07日

西国三十三箇所めぐり。葛井寺と壺阪寺。

西国三十三箇所めぐり5番札所は
大阪府は藤井寺市にある「葛井寺」です。

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藤の寺としても有名です。

”藤まつり”が4月中旬から始まっていて
白や紫の藤の花が咲き誇っていました。

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山号は”紫雲山”といいますし、
藤の季節に訪れるのがベストでしょうか。

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葛井寺の前には東高野街道が通っています。

京都から高野山へ行く道でもあるのですが
4番の槇尾山からの利用者も多く利用したと思われます。

門前には立派な道標がありました。

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道標には次の札所である壺阪寺の文字が見えます。

右 つほさか よしの はせ い勢
左 道明寺 たつた ほうりうし なら

もっと古い時代のものもありました。

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それにしても藤井寺の周辺は古墳が多いですね。
見渡して森のように見えてるものは大抵そうだったりします。

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月は変わって6月に6番札所の壺阪寺に行ってきました。
葛井寺から山を越えて奈良盆地の下のあたりに位置しています。

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山号は壺阪山。
近鉄の駅名にもなっていますね。

有名な山城の高取城の麓にあったので
城下と共に多くの人で賑わったと想像できます。

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紫陽花がとても綺麗でした。

三十三箇所は一気に巡ろうと思えばできますが
花の見頃に合わせてのんびり巡るのも楽しいですね。

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全体的に小綺麗な感じの境内。
インドのような雰囲気の場所もありました。

寺の中心に建つ三重塔は
室町時代の明応6年(1497年)建立の立派なもの。
本堂は江戸時代の再建。礼堂は室町期のものでした。

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御本尊は十一面千手観音菩薩坐像。

目の神様として有名です。
お守りには目薬も売っていて人気だそうです。


  
   
posted by にゃおすけ at 11:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | 西国三十三箇所巡礼 | 更新情報をチェックする