牛馬童子と出会える区間です。

↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

鮎川新橋で富田川の右岸へ渡ります。
山裾に沿うようにウネウネと旧道が通っているわけですが
近年はショートカットするように道筋を改良してる場所を多くみかけます。
たとえばこういうところ。

山では水が流れるところに谷を形成していきます。
そういう谷は昔は谷底に降りるか山沿いに迂回していたのですが
谷底に降りるには体力がいる上に急坂なので危険を伴うので
山沿いに同じレベル上で迂回するのが一般的でした。
このことを頭に入れて歩いていくと
おのずと消えかかった旧道が見えてきます。
ここも下のような痕跡がしっかりと残っていました。


川べりの高台を進んでいきます。
この辺りでは水面と結構な高低差があります。
川沿いの宿命といえる氾濫から道を守るために
このような高い場所を通していたのでしょう。


ここに来てようやく熊野古道のイメージ通りの場所に出会えました。
杉木立の中を進んでいると暑さも忘れます。
所々で狭くなってる場所があったものの
全体的に歩きやすい快適路でした。


こういう木の橋が架かってる場所がありますが
ちょっと心もとない感じがしました。
もしかすると世界遺産制定時に新しく架けられて
メンテなしでそのままなのかもしれません。


所々で「熊野古道ではありません」という看板がありました。
こういう案内看板の類は「ここは○○です」といったものが多いですが
わざわざ注意喚起しているのは山に不慣れな人が多いという証拠なのでしょう。
英文も表記されているので外国の人でも安心ですね。



北郡越え。
国道はトンネルで通過しますが古道は急坂で越えていきます。
古い石仏が多いのは熊野古道歩きの楽しみのひとつ。

吊り橋で富田川の左岸へ移ります。
橋は結構な高さがありますが
昔は吊り橋が架かっていたとは想像できないので
おそらく下流側にある津越集落に向かって川沿いに下って、
川を渡っていたのではないかと思います。


清姫の生誕地であり墓がある場所は
広場になっていて眺めが良くて一息入りました。
風通しが良くて超涼しかったです。
豪雨災害の爪痕を左に見て進むと滝尻王子へ。


滝尻王子は五体王子の一つでした。
今も資料館や茶店、トイレなどが集まっているので
山越えを前にしたちょっとした休憩ポイントになっています。
「滝尻」の「尻」は川と川の合流する地点という意味で
2つの急流がぶつかって滝のような音がするというのが謂れみたいです。


滝尻王子から先は熊野の聖域と言われています。
ここまでは楽ちん道中だったのが嘘のような急坂になります。
人気のある区間だからか外人さんの姿もチラホラ見かけます。
一様に半袖短パンスタイルでとても軽快な恰好なのですが
外国ではこういうスタイルが一般的なのでしょうか?
以前、富士山に登った時も多かった気がします。

胎内くぐり。
無事に潜ることが出来たら安産できるというもの。
でも出口はかなり狭いので容易ではありません。


乳岩
この近くには乳岩というものもあって逸話があるのですが
先を急いでいた夫婦はここで産気づいたので産んだところ
やむなく岩の前に放置して行ってしまいます。
ところが、帰りに寄ると
赤ちゃんは岩からしたたり落ちる水を飲んで
狼に守られて丸々と育っていたといいます。

不寝王子跡。
九十九王子の中には入っていない王子なのですが
江戸時代の文献には名前があるそうです。

引き続き、急坂を登っていきます。
木の根が張っているので歩きづらいものですが
どれも若い木なので植林の影響なのでしょうか。
昔はもっと歩きやすかったのではと思います。

山の中では危険なので基本的に街道マップどおりに進むのですが
本来の道と思われる道が分岐してる場所を見かけることがあります。
おそらく何かの事情でルート変更になったのでしょう。
崩落しているか新たにショートカットできる道を作ったのか。
元々のルートはこのまま歴史に埋もれていってしまうでしょうね。

糸を通した針を2本立てて祈願すると
歯痛が治ると伝えられる「針地蔵尊」さん。
やがて、高原の集落に入ります。
相当な高さまで登ってきました。
秋の早朝には雲海が見えることがあるそうです。


高原集落は高原熊野神社を中心としています。
かつて旅籠が幾重にも並んでいたことからも
熊野古道を行く人々にはなくてはならない場所だったそうです。
神社の拝殿は大変古いものですが現在は修理中でした。


高原集落を過ぎると尾根沿いに進んでいきます。
さらに標高をあげていくので山歩きさながらです。

樹齢を感じる木々。
やっぱ植林ものとは違いますね。
高原池では水面に木々が映り込んで美しいものでした。



大門王子跡。
ここは山中の要地で水飲み場があった上に
名前のとおり大きな鳥居が立っていたそうです。
比較的新しい時代に出来た王子なのですが
江戸中期に祠がすでになかったといいます。


やがて十丈峠。
十丈王子跡には江戸時代には数戸の家があったので
周囲は広々としていて休憩にはうってつけの場所でした。

小判地蔵を過ぎると下り坂が始まります。
所々で石積みがあって道が補強してあります。


復元か本来のものか判断に難しい石畳が続きます。
この峠付近の道筋は明治になってルートが変わっているので
復元か明治時代に敷いたものかもしれません。

逢坂峠の東側に立つ大坂本王子跡。
この先は沢沿いの小道を道なりに進みます。


箸折峠。
有名な牛馬童子がおられました。
意外と実物は小さいものです。

近露の集落が見えてきました。


近露王子跡でゴールとしました。
次回は熊野本宮大社まで進もうと思います。