2017年09月29日

『ingress』MD東大阪が開催されます!

Ingressとは青チーム、緑チームに分かれての陣取り合戦。
現実の空間で拠点(ポータル)や陣地を構築していくもので
同じ位置情報ゲームのポケモンGO!に近いイメージです。

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現地まで赴いてプレイするスタイルが多いので
長年住み慣れた地元でも思わぬ発見をすることがあります。

たとえば、前を見て歩くという動作を一つとっても
少し顔を上げるだけで景色が違って見えるものです。

「こんなところにこんな看板があったっけ!?」

ポータルはモニュメントや穴場が指定されてることが多いので
今まで気づかなかったものを気づかせてくれます。

また、Ingressには「ミッション」という機能があるのですが
テーマに沿って地域のポータルを巡ることが出来ます。

例・「清水寺をめぐってみよう!」「〇〇駅周辺探索へGO!」

これらミッションは現地のIngressユーザーが作ることが多いので
ガイドブックに載ってない小さなスポットまで知ることができます。
まさに、手作りの町案内。それが「ミッション」なのです。

新しいビットマップ イメー2ジ.jpg

さて、本題です。
来る11/5に東大阪でミッションデーが開催されます。

東大阪ってどこ?
遠方の人の中には知らないという声をよく耳にしますが
大阪市の東側にあるとイメージしてもらえればOKです。

モノづくりの町、生駒山の麓の町、歴史ある町。
そして、ラグビーの聖地「花園」がある町。

難波から東大阪の一つの中心である布施までは僅か10分。
この近さで大阪市とは違った魅力を楽しめます。

今回はミッションを考える役で携わっていますが
なかなか面白そうなミッションに仕上がってきています。
もしかすると有名な暗峠へのミッションもあるかもしれませんので
街道ウォーカーの皆さんもご期待ください!

当日はぜひ、東大阪へ足を運んでいただきまして
楽しい1日を過ごしてみませんか?

イベント詳細は下記のページをご覧ください。
https://plus.google.com/communities/101504252881799064991
http://events.ingress.com/MissionDay/HigashiOsaka


  
posted by にゃおすけ at 16:13 | Comment(0) | ゲーム(Ingress・ポケモン) | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

熊野古道小辺路その1・高野山→野迫川村

高野山から熊野本宮大社へ最短距離で結びます。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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小辺路といえば山岳地帯を貫く道筋です。
交通が不便で行きづらいイメージがあったのですが
いざ計画を立ててみると意外とすんなりいけるものです。

11月初旬の高野山は紅葉の見ごろです。

例年この時期は駐車場の混雑が激しいので
早朝にスタートできるよう車を走らせました。

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気温は1度。

周囲を見渡しても人がほとんどいません。
やはり紅葉の名所は早朝に限ります。

今回も和歌山県の街道マップを参考にしたのですが
これによるとスタートは千手院橋という設定になっています。
でも折角なので弘法大師が眠る奥の院から歩くことにしました。

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千手院橋は高野山内のジャンクションの一つ。
多くの車と人が行き交う場所です。

ところが一歩中に入ってみると静かな空間が広がります。
小辺路はこういうひっそりした場所から出発します。

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さすがは山岳地帯を縫っていくだけあって
初っ端から急坂が続いています。

大滝口女人堂まで来ると一休み。

女人堂は高野山に続く各街道に設けられていたもので
女性はここから高野山側に入ることができませんでした。
ようするに昔の高野山は女人禁制だったわけですね。

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女人堂跡の広いスペースを見ていると
なんとなく往時の雰囲気が伝わってきます。

ここからしばらくは尾根道の快適路です。

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紅葉の季節なのですが街道沿いの木は杉の木ばかり。
でも熊野古道らしい景色ではあります。

薄(すすき)峠は良い感じの切通しでした。

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ただ、いつも頼りにしている地理院地図を見てみると
実際とは少し違う道筋で描かれています。

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手前で分岐してる脇道は峠の先で合流するので
地図に薄峠と書いてある場所は一体なんなのか悩ましいところです。

小辺路を含む山岳地帯は
明治以降になっても車道の整備がままならなかったといいます。
ただ、人道レベルにおいての改良はよく行われていた関係で
たびたび小規模な改良を見かけることがあります。

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薄峠を下っていくと地蔵型の道標がありました。

地図に載っていない下山道があったので
元々は三叉路になっていたのでしょう。

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対岸に荷物用の現役の策道が見えました。

こういう索道があるということは
それだけ不便な場所であるという証拠ですね。

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下りきった場所に集落の跡がありましたが
熊野古道沿いは廃村となってる場所が多々見受けられます。

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御殿川を渡って大滝集落へ。

集落へと続く急坂は「馬殺し」と言われたほどのもので
名前の通りハードなものでした。

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大滝は旅人が一休みする場所だったようで
かつては賑わい今も数軒の家が立ち並んでいます。

家の前には11月なのに紫陽花がまだ咲いています。
この季節になっても咲いてるものは稀にありますが
ここまで綺麗なのは高地であるがゆえなのでしょう。

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高野龍神スカイラインが見えてきました。
ここからしばらくは車道を歩いていきます。
昔の道は残念ながら吸収されてしまっています。

所々で見かける小辺路の看板。
こういうのは嬉しいですね。

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なかなかの眺望です。

やがて地蔵型道標を左に見て旧道復帰へ。
「右 くまのみち、左 こうやみち」

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水が峯集落跡。
ここも昭和20年代には廃村となっています。
井戸や石積みの跡が残っていました。

今回の歩きは集落の先で終わりとしました。

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posted by にゃおすけ at 15:07 | Comment(0) | 熊野・紀州への街道 | 更新情報をチェックする

2017年09月06日

【街道シンポジウム】 白山へと続く鶴来道

街道シンポジウムの一環で歩いてきました。


↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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北陸地方の白山信仰は盛んです。
そのうち加賀国からのルートが鶴来道になります。

金沢城下の片町付近の北国街道から分岐します。
通称「男川」の犀川大橋の西詰がスタート地点です。

この立派な橋は大正13年製。
当時は関東大震災の影響で鋼材の入手が難しく
一部英国産も利用して作られています。

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江戸時代は長さ40間の木橋だったものを
大正8年に鉄筋コンクリート橋に架け替えられたのですが
わずか5年弱で水害で流され現在の橋になったというわけです。

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蛤坂を上って寺町台地に入っていきます。

対岸の町並みは坂の町金沢らしい風景のひとつ。
坂の名前の由来としては享保年間に大火があった折、
その後に道を作ったので「焼けて口を開く」という意味から。

享保年間以前の旧道は妙慶寺坂と呼ばれていました。

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ひときわ目立つ料亭。
地上三階地下一階の木造建築物は立派ですね。

戦前と思われるコンクリート建築もちらほら残っています。

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八坂神社前にあった赤い石は石川県名産の戸室石。
加工が容易である反面、脆い石で非常に高価なものです。
藩政時代は家の前に敷かれてるだけで家の格がわかったといいます。
無論、前田家に関連する施設は多用されています。

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金沢は京都を模した町づくりをしてる面が多く
八坂神社のように京都にある寺社の名前をあちこちで見かけます。
また「ひがし茶屋街」に対して「にし茶屋街」というような
対をなしているのも特長の一つといえるでしょう。

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寺が多い中を進みます。寺町です。
金沢城から見て西側に築かれたのは福井の松平対策。

ここまで多いのは防御の意味からですが
中でも妙立寺は出城の役目もあったので凄いカラクリです。
通称・忍者寺と言われるだけあって一見の価値があります。

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寺町を進んでいくと大きな枡形があります。
これは火除け地の役割を持っていました。

密集した木造建築は大火になると一気にやられるので
大きな空間を作ることで飛び火を防いだといいます。

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金沢は空襲がなかったおかげで今も古い家が多く残っています。
こういう京都を意識したベンガラで塗られた家は金沢らしいですね。

やがて住宅地へと入っていきます。

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この元禄期の道標は大乗寺方面への分岐点のものですが
道標としてはかなり古い部類なのでレアものです。

山側環状(バイパス)に入って広い道を進みつつ
左手に高尾城跡が見えてくると再び旧道に入ります。

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額谷町の集落に残る道路元標。
こういうものがある場所は周辺の中心地だった証です。

額東神社の金沢寄りには大正期まで茶屋があったといいます。

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旧道には道路の膨らみ(旧道の痕跡)が数多く残っています。

四十万と書いて「しじま」
金沢の難読地名の一つです。

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この付近からは若干勾配がきつくなる場所がありますが
手取川の扇状地の東端を歩く形なので基本的には緩やかです。

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やがて鶴来市街地へと入っていきます。

鶴来は中世の金劇宮 寺家、在家が発展した門前集落で
剱の地名は金剱宮がいわれとなっています。

町の名前はこれまで三度変わっていて読み方は一緒ですが
大火があるたびに「鶴来」→「剱」→「鶴来」と改称されています。

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鶴来は金沢城下の道の他にも
小松方向からの道との合流点でもありますし
立地的にも休憩にちょうど良い場所だったと思われます。

本町交差点には道路元標が残っていました。

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菊姫などの有名な酒蔵。

本町交差点を過ぎると一気に古い家が目立ってきます。
昔の中心地としてはこの辺りだったのでしょう。

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この手前には大きな枡形があるのですが
教科書(歴史の道調査報告書)では別ルートを示していました。

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上の図では緑ルートが教科書のルートになるのですが
昭和40年代の航空写真では道が何も存在しないんですよね。

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さて、鶴来の町を過ぎると
山と山が次第に狭くなり手取川沿いを進みます。

途中に煉瓦作りの取水口があったのですが
あまりの流れの豪快さにしばし眺めてしまいました。

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北陸鉄道の廃駅。加賀一の宮駅跡を過ぎると
ゴールの白山ひめ神社はすぐ。
参拝して終了としました。

白山へは禅定道として続いていきます。

→白山禅定道(石川県ホームページより)
http://www.pref.ishikawa.lg.jp/hakusan/publish/sizen/documents/sizen21.pdf



  
posted by にゃおすけ at 14:47 | Comment(0) | 街道シンポジウム | 更新情報をチェックする