みなさんは何を想像しますか?
関西人だとほぼ全員が古い道とイメージするでしょう。
例えば、東海道や中山道のような道ですね。
でもこれが関東人だと必ずしもイコールではないようです。
その一つの理由は町中に溢れている道路標識。
例えば、ラジオの交通情報を聞いていると
関東だと時おり街道名を耳にすることがあります。
青梅街道や甲州街道、成田街道、中山道など、
関東では今も愛称として街道が生活の中に生きています。
現代の地図でも街道名が描かれている(今昔マップより)
一方、関西は古くからの街道がいくつもありますが
道路標識に〇〇街道と書かれたものは滅多に見かけません。
旧〇〇街道と書かれた看板なら脇道で見かけるという程度です。
最古の国道と知られる竹ノ内街道こそ認知度は高いですが
これも街道名ではなく国道名で呼ぶのが一般的です。
このように関西での各街道の名前は死語に近いので
関西では街道イコール古い道ということなのでしょう。
そもそも、なぜ関東では今も街道の名前が根付いているのか。
一つの答えは東京オリンピックです。
内外からの飛躍的な観光客の増加に対応して
交通の利便性向上で新たな名称を考えたというものでした。
一応、大正九年の告知で道の名前は付いてはいたのですが
一般的ではなく実質的に愛称がない状態が続いていました。
東京府告示第百六十二號
http://japan.road.jp/Law2/T9_TokyoK162.htm
有名な街道なら表記があった(今昔マップより)
下の東京都のリンクを見ると
明治通りや青山通りなどの名前が見えますね。
青梅街道など〇〇街道と付いた名前もあります。
通称道路名設定事業の経緯及び概要について
http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/content/000006200.pdf
もっとも江戸時代においての道の名前は
東海道のような幹線たる重要な道以外は無いに等しく、
「目的地方向へ進む道」として認識されていました。
成田道を例にあげると江戸では「成田道」ですが
成田では「江戸道」と呼ばれていました。
同じ道でも場所によって呼び方が違っていたわけです。
また、〇〇街道という呼び方は当時は稀で、
「街道」が用いられるのは一般的に明治からになります。
このことから現在の道路標識にある街道名の多くは
昔の道と多少の関連性はあるものの元々の名前ではなく
単なる愛称と考えたほうが良いのでしょう。
関東では街道表記の標識を多く見かける
一方、関西はというと
大阪では明治5年の法令で名称が決められます。
大阪府 申三〇九號
http://japan.road.jp/Law2/M9_Osaka309.htm
ここでは〇〇街道と名づけられています
府道〇〇線というような感じではありません。
昭和20年代の地図を見てみると
紀州街道や奈良街道など表示があるのですが
昭和40年代になると消えてなくなっています。
大阪でも昔は街道表記が多かった(今昔マップより)
大阪市内に関しては下のリンクによると
「道路名称を一般の市民の方に親しまれ、なじみやすいものとするため、
昭和45年と58年にあわせて33路線の幹線道路に愛称をつけました。」
大阪市の道路の現況
http://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000372123.html
昭和45年というと大阪万博ですね!
東京と同じ理由で愛称が付けられたのがわかります。
ただ大阪は東京と違って〇〇街道の愛称はありません。
市内は〇〇筋や〇〇通り、郊外は国道や府道表記になっていきます。
これこそが街道の単語の認識の違いの理由といえるでしょう。
近年は街道歩きがひそかなブームですが
関西では多くの人が旧道歩きと認識するものでも
関東だと”甲州街道歩き?あー、国道20号を歩くのね!”
このように単なる街歩きをイメージする人が多いかもしれません。
これは別に間違った認識ということではなくて
その土地での街道に対する認識の違いだと思います。
関東においても旧街道沿いに住んでいる人や、
歴史が好きな人なら旧道歩きとピンとくるはずです。
以上、思ったことをづらつらと書いてみましたが
今回の話題の発端は関東の街道ウォーカーとの会話からでした。
所違えば当たり前のように思っていた認識が違うのは面白いものです。
「街道」という名前は「海道」と呼ばれることもあります。
例えば、普段何気なく使ってる東海道は「海道」表記ですね。
この表記に関して面白い文章があったのでリンクして終わりとします。
海道・街道と交通路の名称
http://www.postalmuseum.jp/publication/research/docs/research_04_01.pdf