

出発点の十津川温泉へは大阪から車を走らせました。
十津川の国道は秘境感あふれる雰囲気が好きなのですが
近年の改良で高速道路のように変貌していて驚きました。
大阪から約3時間。近くなったものです。
今回は前回見落としていた大津越えから始めました。

串崎付近からの山越えです。
ピークには大師堂が建っていて
四国八十八か所を模した石仏群がおられます。
登り口は少しわかりにくい場所になっていますが
道は整備されているので日頃からお参りに行く人が多いようです。


降り口もまた少しわかりづらいですが
お堂近くの十字路から一気に地平へと下っていきます。
下りきると深い峡谷で現在は鉄橋が架かっていますが
昔は上流側に吊り橋が架かっていたのだそうです。
この険しさが大津越えだった理由かもしれませんね。
国道を歩いて宿泊施設の昴の里のトンネルを抜けると
前回歩いた旧道と合流します。


柳本橋を渡ります。
幅が狭い小柄な吊り橋でかなり揺れるものですが
十津川ではよく見かけるタイプです。
川の上を吹く風はヒンヤリ。
夏の暑さを忘れさせてくれました。


川を渡ると高度を上げていきます。
山道は木陰に覆われているので夏でも快適です。
とはいえ、標高1000m近く上るわけですからハードなものです。
視界が広がってくると有名な果無集落に入ります。


果無の名前の謂れですが説はいくつかあって
「谷幽かにして嶺遠し、因りて無果という」
行けども行けども果てなく山道が続いているという説や、
怪物ハテが年末20日過ぎになると現れて旅人を喰ったことから、
峠越えをする者がなくなった(ナシ)という説。
この2つの説が有力で地元では後者を推してるみたいです。
でも、小辺路は農業が休みの冬に歩く人が多かったという話なので
峠越えをする者がいなくなったという説には少々疑問が残ります。

高地に開かれた集落は良いですね。
民家の軒先は開放されて水舟もあって実に長閑。
お盆真っ盛りの中の少し早い秋。
綺麗なコスモスと秋のうろこ雲が空に映えてました。
余談ですが下の写真と同じ構図でiPhoneでも撮ったのですが
この日の夕方のテレビ番組に採用され流されました。
写真は何気に撮ったものでも他の人の目から見ると
おぉ!と思われることがあるのは面白いものですね。


世界遺産の石碑前。
小辺路といえばこの場所です。
パンフレット等の写真を見ると物凄い山奥に見えるのですが
石碑の後ろには実は車道があってバス停まであります。
歩きじゃないと来れないと想像していたので意外でした。
この場所では時間帯や季節が違う写真をよく見かけます。
冬は雪が積もり春先は草がない景色を楽しめるようですが
今回歩いた夏の季節は雑草がよく伸びてしまっているので
他の季節よりかは情緒は少ないかもしれません。

集落を過ぎるとグングン勾配を稼いでいきます。
標高が高いので紫陽花が綺麗に咲いていました。
道標には「くまの」の文字が見えますね。


道端には西国三十三か所の石仏が数10mおきに置かれています。
この石仏は古いものではなくて
大正11年に地元桑畑の人たちによって設置されたものです。
1〜33番まであるのですが31番以降は小辺路とは別のルート上にあって
おそらく設置者の集落へ繋がっているのかなと思います。

天水田の跡。
雨水のみを使用した田んぼで雨の多い熊野地方ならではです。
この天水田の持ち主だったのが先にある山口茶屋(跡)。
石積みと立派な防風林がイイ感じに残っています。


所々でこういう分岐の箇所がありますが、
本来は右の道なのですが廃れて左側に新道が築かれているようです。
街道マップでは当然のように新道で指定されてることが多いので
昔に忠実に歩きたい人にとっては注意が必要ですね。


掘割状になった道を進むと観音堂です。
観音堂には広い平場と水場があるので
テントを張って休む人が結構多いと聞きます。

見晴らし最高!
果無峠。標高は1000mほど。
涼しく気持ちの良い場所です。
峠には常夜灯?の残骸がおかれています。



あとは一気に下るのみ。
標高が高いのでセミの声が聞こえません。
本宮付近を遠望。
やがて旧国道168号に合流します。



ここからは熊野川に沿ってしばらく歩きます。
山の際なので日影を歩くことが出来ました。
この日の熊野川の水量は少な目。
濁ってるのは先般の台風の影響なのでしょう。


道の駅を過ぎるとゴールまで後少し。
三軒茶屋で中辺路と合流となります。


左、きみい寺。右、かうや。

結局この日は大斎原まで歩いて終わりとしました。
大斎原は昔の熊野本宮大社の社地となっていた場所。
数ある全ての熊野古道のゴールの場所でもあります。

さて、小辺路の感想ですが
歩く前は行程的に相当ハードと覚悟してたのですが
いざ歩いてみるとその心配は大したものではなくて
道標や地域のサポートが結構あって安心して歩けました。
日頃から山歩きをする人なら問題はないレベルでしょう。
熊野古道=信仰の道とイメージする人が多いと思いますが
小辺路に関しては生活道路としての役割が大きかったので
中辺路と比べると信仰の道を感じるものは少なかったように思います。
また、道が崩壊していたりルート変更の場所も多いように思いました。
これは山奥の道であるがゆえ致し方ないところではあるのですが
昔の道筋で歩きたい人にとっては消化不良の部分があるかもしれません。
しかしながら、ハイキングと割り切って歩くとすれば最高な道です。
そもそも平安時代の道の痕跡なんてほとんど残ってないわけですし、
気楽な気持ちで楽しむというのもアリかもしれません。