2018年01月24日

成田街道その1・新宿→習志野

五街道を歩き終えての次なる目標としたのが成田街道でした。
幕府道中奉行が管轄だったという共通点があります。

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スタートは水戸街道との追分である「新宿」です。
宿場の中央部には見事な枡形が残っています。

成田街道の元々の由来は「佐倉道」です。
江戸と佐倉城下を結ぶ参勤交代路の役割が大きかった道で、
江戸中期になって成田山への参詣が活発になっていくと
「成田道」とも呼ばれるようになっていきます。

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中川と平行する旧街道らしい道筋を進みます。

この辺りの情景は一見すると住宅街そのものですが
街道ウォーカー目線で見ていけば名残りは見つかるもので
地蔵堂の中には元禄期の庚申塔型の道標がありました。

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高砂駅近くになると賑やかな雰囲気になっていきます。

この桜並木は江戸川堤防まで続く立派なもので
「佐倉道」に因んで「親水さくらかいどう」と呼ばれています。
横を流れる水路は明治期からの農業用を転用したものだそうです。

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江戸川の堤防は大規模に改修されていますが
改修以前の道も今とほぼ同じ位置に道筋があったようです。

かねてから街道を調べる際は古地図を利用しているのですが
関東に関しては迅速地図という明治初期の地図が公開されています。
これをスマホに表示してGPSで連動させてみると
現地にいながらにして昔の情景がわかるので有り難いものです。

関西でも今昔マップを用いる手法があるのですが
迅速地図ほど古い時代でないのは少し惜しいですね。

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旧道風情が残る江戸川駅周辺。

ここには日本橋から来る「元佐倉道」との追分があります。
元佐倉道とは元禄期以前の主要ルートでした。

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重要な場所なので大きな道標も立っています。

「右せんじゅ岩附志おんじ道」

せんじゅとは千住宿のことですね。

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正面には江戸川の土手が見えます。
この周辺に舟渡場と関所がありました。

川幅自体は迅速地図で見る限りは
昔も今も変わらない広さのようです。

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対岸に市川の集落が見えます。

それほど広くない川幅なのですが
当時は江戸防衛のため橋が架けれられませんでした。

関所は「小岩・市川関所」と呼ばれていて
メインは小岩側で市川側は緊急時のみ対応するといった
2か所で1つの役割がある関所だったそうです。

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市川周辺では片側2車線の国道を進みます。
この先に立っていた道標の位置を考えると
向かって右側を拡幅しているように見えます。

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「青面金剛道標」
西、市川八丁 江戸両国三り十丁。東、八わた 16丁 中川一里。

このような道標が結構残っていました。

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葛飾八幡宮の門前町の本八幡駅周辺。
幕府の道中奉行管轄の区間はここで終わりです。

葛飾八幡宮は下総国の総鎮守でした。
平安時代に京都の岩清水八幡宮を勧請してきています。

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社殿の横にある巨木は「千本公孫樹」。
根廻り10mで江戸名所図会にも描かれたほどのものです。

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参道入口にあるのが「不知八幡森」
中に入ったら出ることが出来ないという話があります。

成田街道はここまで比較的平坦な道が続いてきましたが
小さなアップダウンが少しずつ増えていきます。

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二子浦の池。
この付近には溜池が多く江戸名所図会にも描かれています。
”浦”という名前がつくように昔は海に面した場所でした。

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やがて船橋宿へと入ります。

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船橋の由来は「川に架かった船の橋」。
中心部を流れる海老川に架かる橋がそれで
古くは船を横に並べただけの簡易的な橋だったそうです。

船橋宿は宿場の入口に西向き地蔵があり、
昔ながらの名物「ウナギ」の稲荷屋さんがあったりと
今は大きな町へと変貌した船橋ではあるのですが
宿場の雰囲気は結構残っていました。

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宿場の出口に船橋大神宮。
名前からわかるようにお伊勢さん系です。
鳥居前に道路元標が置かれていました。

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成田山道道標。
これは明治のもので形が特長的です。
この近くには先代のものも残されていました。

この辺りからよく見かけるのが「成田道」の道標です。
距離的に江戸から成田まで往復で3〜4泊の手軽な旅だったので
幕末には年間200万もの人が参詣に訪れていたそうです。

道標は江戸中期からのものが多いですが
多くの人が目にしたであろうこれらの道標を
今も変わらない姿で見れるのは嬉しいですね。

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津田沼市街地をかすめるように街道は成田方面へ。

習志野と呼ばれる地域からは景色が長閑になってきます。
薬円台の地名は徳川吉宗の命によって薬草園が造られたことから。
この付近には「小金牧」という幕府の御料牧場もありました。

次回は成田山へ向かいます。  


    
posted by にゃおすけ at 14:53 | Comment(0) | その他の街道 | 更新情報をチェックする

2018年01月10日

『街道歩きのススメ』現地での道の痕跡の見つけ方

これまで街道歩きの準備のことは書いてきましたが
今回は現地での道の痕跡の見つけ方がテーマです。

1.事前に調べたことの答え合わせ

歩く前に入念に調べていても
現地では違っていたということがよくあります。

交通状況の変化や災害などでの地形の変化、
調べる際に使用した資料の精密さなど原因は様々ですが、
当日の歩きは答え合わせ感覚で歩くのも面白いものです。

そこで役立つのはスマホ。
歩く予定のルートは事前に中に入れておき、
チェックすべきポイントもマークしておきます。
現地での行動は行程の都合で急ぎ足になることがあるので
当日はいかに素早く行動できるかを念頭に準備をしておいて
現地での予期せぬ発見などに備えておきましょう。

事前の準備については以前書いた記事をご覧ください。

→『街道歩きのススメ』 最新版ルート作成術。
http://borabora.seesaa.net/article/417391202.html

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北国街道愛本橋付近

2.道の形状の変化に気づく

真っすぐな道を歩いていると、
微妙な膨らみを見かけることがあります。

これは大抵は旧道の痕跡で
元はウネウネ道だったものを直線に改良した結果です。
バス停や退避場として再活用となってる場合が多いですが
こういう小さな痕跡はガイドブックに書いてることが稀なので
現地での見逃せないポイントの一つになっています。

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西国街道井笠付近

道の痕跡は家の敷地で見分けることもあります。

家の敷地は大抵は道に平行しているものですが
時おり少し斜めになっていたりします。

「なぜ、この家の壁は斜めなの?」

こう思った時は周りを見渡すと答えが出てきます。
道路の形状に不自然な箇所はないでしょうか?
大抵は昔は家の敷地に沿って道があったものが
改良によってショートカットした結果が多いのです。

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成田街道伊篠付近

同じく真っすぐな道を歩いていると
上のような両側に微妙なスペースがある時があります。

これは元は松並木だった可能性が高く、
かつては日除け、風除けで整備されていたものですが
先の大戦で燃料に使うために伐採されたり、
松くい虫にやられて枯れてしまったりと減少傾向です。

このような道の形状の変化については
昔の地図をスマホに表示してみると一発です。
松並木だった場所は松並木の記号があったりします。

3.宿場町の痕跡を探してみる

これはガイドブックで力を入れてる部分と思いますが
ここに枡形がありました!的な記述はあるものの
形状までは詳しく書いてるのは少ないように思います。

小さな枡形は車が通りやすいよう改良されたものが多いですが
現地でよく観察してみると枡形の直角だった部分は
空き地になっていたり何かしら痕跡が残っているものです。

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日光東街道結城宿

宿場町では絵図や資料が比較的よく残っているので
途中の区間と比べると現地での新発見は少ないものですが
前調べで疑問に思っていたことは現地の古老に聞いてみるのも手です。

道の形状のことだけでなく昔の賑わいの様子など
ガイドブックにない細いことまで教えてくれることもあります。
大抵の宿場町は今も多くの人が住んでいるので
古老を見つけたら思い切って話しかけてみましょう。

4.山間部での旧道の痕跡の見つけ方

一番のポイントは地形に逆らわないことです。

ガイドブックでトンネルや橋脚がルート指定になっている場合は、
まずは疑ってかかるほうが良いでしょう。

トンネルは例外を除いて明治からのものなので
江戸時代は山を越えていたと考えるのが自然です。

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伊勢南街道木津峠

トンネルが開通すると以前の道は廃道になることが多いですが
廃道になったからこそ昔のままの姿で残っていたりするもので
上の写真の伊勢南街道では立派な切通しが残っていました。

次に橋脚ですが一般的には谷になった場所をショートカットするものです。
谷は水の流れによって年月をかけて削られたもの=川があると連想できます。

江戸時代においても橋脚は数多く作られていますが
山間部となると材料の運搬などが大変ということもあって
橋を架けずに山に沿った形で迂回した道筋にして
谷の深さが浅くなった場所で渡るのが一般的でした。

こういう道筋を「高巻き」と呼んでいますが
橋が出来ても高巻きの痕跡は結構残っていたりします。
橋を渡る手前で立ち止まって左右を確認してみましょう。
よく観察すると人工的な石積みや平場があるかもしれません。

4.昔の川幅や渡し場跡の知り方

川幅は現代においては改修によって昔と形状が変わっていたり、
堤防の内側にあった人工物は撤去され平地になってることがありますが
古絵図や明治初期の地図をチェックしてみると昔の姿が見えてきます。

現地ではスマホに表示された地図をGPSに頼って歩くと
何も目印がない場所でも昔の渡し場がどこか推測することが容易です。

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例えば上の奥州街道の鍋掛宿付近。
絵図ではしっかりと川へと降りる道筋が描かれています。
特長的な道筋なのにガイドブックではスルーしているのが大半なのですが
現地に行って探索してみると見事にそのまま残っていたりします。

また、渡し場の特定に関していえば
航行の安全から何かしら目印を置くことが多かったようです。
川沿いにある神社や寺、大木、常夜灯や石積みなどは要注目ですね。

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善光寺西街道会田宿

以上、パッと思い浮かんだ分を書いてきましたが
改めて街道には歴史が詰まってるなと思います。

地名の一つとっても何かしら謂れがあるもので
例えば「一里山」という地名は大抵は一里塚があった場所ですし
宿場名が書いた交差点であれば町の中心だったことを想像できます。

また思い浮かんだら記事を書いていきます。

では、Enjoy街道歩き!

  
posted by にゃおすけ at 11:52 | Comment(0) | 街道歩きテクニック | 更新情報をチェックする