2018年02月28日

【街道シンポジウム】参勤交代の室津街道

街道シンポジウムの一環で歩いてきました。

海の宿場町として栄えた室津と
西国街道の正條宿とを結ぶ街道です。

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↑詳しいルートと記録は【山行記録のページへ】もご覧ください。

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揖保川に面した正條宿。

江戸時代の西国大名の参勤交代では
明石海峡の危険を避けるため直接大坂に入らず
室津に上陸して陸路で江戸へ向かうことがありました。

揖保川を渡る際は船の数が圧倒的に足りずに
対岸の揖保村や真砂村から借りていたといいます。

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今昔マップ(姫路)より

正條宿内の道筋は少しややこしくなっています。
赤のラインが元々の西国街道。星印が渡し場です。
そして緑のラインが橋が架ける際に整備された新道です。

室津街道は渡し場付近を起点に南下していきます。

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ここで注目して欲しいのは堤防です。
揖保川は水運が活発で高瀬舟が配置されるなど重要路でしたが
反面、暴れ川でもあったので洪水被害が多かったそうです。

そこで誕生したのが昭和20年代に整備された「畳堤」。
有事の際は柱と柱の間に畳をはめこんで
堤防を嵩上げする役割をもっています。

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堤防から離れても同じレベルの高さで続く旧道。

周りの土地と比べ一段高くなっていることから
もしかすると昔は堤防だったのかもしれませんね。

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馬路川を渡って再び揖保川沿いを進みます。

川岸を見るとガードレ―ル付近まで
草木がなぎ倒されているのがわかります。

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この広くなったスペースは「使者場跡」。

当地を治めていた丸亀藩は他国の参勤交代が通る際は
敬意を表するため使者を向かわせ送迎した場所にあたります。

播磨地域に丸亀藩があったなんて不思議な感覚ですが
龍野藩主だった京極氏が丸亀へ移封になってから
飛び地として治めることになったのだそうです。

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メートル表記のある道標。
昭和三年のものですが珍しいですね。

そのすぐ近くには古い煉瓦造りの建物。
これは揖保川水運の名残りというべきものでしょうが
龍野名産の醤油などの倉庫として使われた建物が
今も揖保川沿いに点々と見かけることができます。

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長閑な光景の中を進みます。

ここの分岐は右になりますが
直進は御津の港へと続いています。

御津は近年は室津と同じような漁村だったのですが
地元の古老によると室津と比べ漁師の定着率が悪いそうです。
言われてみれば湾内の船の数が全然違うように感じました。

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「岩村善六君頌徳碑」

明治時代の河内村二代目村長で
水害の復旧に全力を注ぎ水害防止にも努力したそうです。

こういう碑は説明板がないことがあるのですが
名称をネットで検索してみると案外見つかるもので
その場ですぐに謎が解けるのは嬉しいですね。

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金剛山廃寺跡への分岐点に建つ道標。
開基は古く白鳳時代の寺院です。

この周辺は山沿いに弥生時代の古墳があるように
古い時代から開けていたと考えられます。

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山が窪んでいる辺りが鳩ヶ峰峠です。

馬場(うまば)集落は参勤交代の際の休憩地だった場所で
現在は揖保川町の穀倉地として重要な拠点だそうです。

街道沿いには元誓寺がありトイレを拝借できました。

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近藤池が見えてきました。

この先の鳩ヶ峰峠までの道筋は
株式会社ダイセルの敷地内になっています。
街道は寸断され迂回するしかありません。

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迂回路を進むメンバー一行

鳩ヶ峰峠は丸亀藩と姫路藩の境界です。
明治時代に立派な切通しがある峠道が開削されましたが
江戸時代の峠は左手中腹に位置していました。

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明治時代からの鳩が峰峠

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今昔マップ(姫路)より

赤線が先ほど通ってきた迂回路です。
ピンクの線が江戸時代の道筋になります。
そして星印の場所こそが江戸時代の鳩ヶ峰峠です。

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江戸時代の鳩が峰峠

星印までは嫦峨山へと続く縦走路を利用すれば
楽々とアクセスすることができるのですが
赤線から峠までの旧道は廃道で踏破困難な状態です。

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こういう状況の中でも探索してみると
山を巻くように勾配を緩和した道筋があったり、
平場には窪みがあったりと大きな成果がありました。

街道というのは山岳区間といえど急登は余り多くはありません。
それは人や物資が通る道なので緩いほうが良いわけで
室津街道は参勤交代にも使われていたので尚更です。

この区間のレポはヤマレコに詳細を書いてますので
気になる方は是非アクセスしてみてください。
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1389591.html

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峠から室津側の旧道を下っていきます。
こちらは年に一度地元の方々で伐採が行われるので
先ほどと比べると段違いの歩きやすさです。

道の形状は先ほどの廃道区間と同じような広さはあり、
勾配具合も同じような感じなっています。

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室津の大浦付近を遠望。
港には牡蠣の筏が浮かんでいます。

この付近の道筋には石積みの遺構を多く見かけます。

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明治の早い段階で新道が作られ地図から抹消された旧道は
ほぼ江戸時代のままの光景を楽しめると言っても過言ではないでしょう。

もっとも景色に関して言えば
昔は木を燃料に使っていたことから禿山だったので
見渡しは今より貼るかに良かったことと想像できます。

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この付近は段々畑になっていたものと思われます。
畑で使用していたと思われる井戸も残っていました。

もしかすると旧道沿いは南斜面の好適地なので
明治以降も農業用で使用されていたと可能性がありますが
状態を見ると相当な年月が経っている感じがします。

先ほどの石積みと同様ここまで綺麗に残っているのは
この地方特有の気候=雨が少ないというもあるのでしょう。
台風や地震が少ないのも保存状態が良い理由かもしれませんね。

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高さ20mほどの大きなクスノキがありました。

このクスノキから先のルートは
古地図に描かれている道筋と案内にある道筋とは若干違います。

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今昔マップ(姫路)より

赤線が室津街道(推奨)のルート。
ピンクの線が古地図に描かれた本来のルートです。

本来のルートは暫く平行して存在するのですが
倒木などが多く通行は極めて困難な状態でした。

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ちなみに推奨ルートも江戸時代の地図に記載があり
古い道であることは確かですが脇道的なものだったそうです。

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近世室津村絵図

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倒木が激しい

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スロープを下って国道と合流します。
室津街道入口と看板があります。

ちなみに本来のルート(ピンク)の出口もスロープ状で
100mほど西側に離れた場所に存在しています。

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室津は「この泊まり風を防ぐこと室のごとし」といわれたように、
三方を山に囲まれた天然の良港で古くから栄えていました。

数多くの本陣があり大名の立ち寄り以外にも
多くの旅人でも賑わっていました。

それは「室津千軒」とまでいわれるほど。

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道路元標。ここが室津の中心部だったようです。

江戸時代に栄えた海産物問屋の豪商『魚屋』と『嶋屋』は
文化財に指定され資料館として公開されています。
当時の豪商の暮らしぶりや街道資料なども豊富でした。

下の写真は朝鮮通信使が立ち寄った際の賑わいです。
湾内にビッシリと他国の船がいる光景は凄いですね。

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弓形状に進んでいくと番所がありゴールとしました。

風光明媚な室津の光景。
季節によってはゴールした頃合いで
夕日を楽しむことが出来ることでしょう。

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まとめとして。
室津街道はもっと有名になっても良い道です。
室津の景観やグルメは素晴らしく歴史もある町であり、
街道の距離も約10qという適度なものなので
ハイキングにも楽しめるのではないでしょうか。

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posted by にゃおすけ at 16:17 | Comment(2) | 街道シンポジウム | 更新情報をチェックする

2018年02月13日

成田街道その2・ 習志野→成田山

朝霧の習志野よりスタートします。

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習志野という地名は関西に住んでる人からすると
一体どこにあるのかよくわからなかったりします。

現在の中心地は津田沼駅辺りになるのですが
名前の由来となるとこの辺りで歴史は意外と浅いものです。
船橋市郷土博物館前には「明治天皇駐蹕之処碑」がありますが
明治6年の演習時に「習志野ノ原」と明治天皇が命名されています。

「野」という言葉は野原や原野を指すことから
当時は広大な広野が広がっていたことでしょう。

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成田街道の標識。
関西では〇〇街道という標識は殆ど目にしないですが
関東ではあちこちでよく目にしますね。

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今回も立派な道標をあちこちで見かけました。
また沿道には大小の石仏も多く見かけます。
出羽三山のものも多く信仰が盛んだったのでしょう。

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淡々と車道の脇の狭い歩道を歩いていきます。
このような車の出口部分が下がっているタイプは
人には優しくないですね。非常に歩きづらいです。

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やがて大和田宿。
成田参詣では江戸からの中間地点でもあったので
宿泊に休憩にと大いに賑わったそうです

今は当時の面影は少なくなっていますが
「さわだ茶家」が唯一というべき見どころです。
東久邇宮家の別邸を移設したものだそうです。

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この周辺では川があるごとにアップダウンが続きます。

こちらは印旛放水路。
かつての印旛沼は”あばれ沼”と呼ばれるほど
災害が多くて被害が甚大だったわけですが
江戸時代の対策工事は失敗が多く難しかったようです。
現在は橋の反対側に立派な堰が設けられています。

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賑わう東葉勝田台駅付近。
昔は何もない田畑だったことが迅速地図からわかります。

この辺りの名所としては「加賀清水」
加賀の名前は佐倉城主加賀守から来ていますが
往来の際は必ず立ち寄ってお茶を飲んだそうです。

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臼井の町が見えてきました。
手繰川を越えた先で旧道に入ります。

普通の住宅街の雰囲気ですが
急坂が続く紛れもない旧道です。

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わざわざ台地上を経由しているのは
臼井城下時代の防衛上の名残というべきものです。
ちなみに臼井城は江戸初期に廃城になっています。

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右 成田みち、左 江戸みち。

成田みちの表記なので古い時代のものはなく
文化3年(1806)に建てられた道標です。

一気に急坂を下って左に曲がれば臼井宿中心部です。

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この交差点には道路元標があります。
成田名所図会に描かれている「臼井」の場所です。

臼井は元々城下町で賑わっていたものが廃城後寂れますが
成田山参詣が活発になると宿場として息を吹き返していきます。

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西 江戸道、東 成田道。文化年間のもの。
先ほどあった道標と同じ人が建てたものかもしれません。

下の道標は「さくら道」と書かれています。
成田参詣が活発する前の時代のものなので
江戸時代中期以前のものと推測します。

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八丁坂。
佐倉城下の郊外にあたる場所で刑場がありました。

この供養塔は寛政年間のものなので古いものです。
近くに首洗い井戸があったそうですが埋まってしまっています。

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まるで枡形のような道筋の奥に見えるのが佐倉城跡です。

昔の城跡は現代になると堀が埋められたりと
周辺の地形が今とは結構違っていたりするものです。

ここでも役立つのは前回紹介した迅速地図。

たとえば、この右手のバスターミナルがある辺りは
昔は堀が続いていて堀に沿って街道がありました。

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こんな感じですね。

城下町の街道は複雑な道筋であることが多いですが
古地図を見れば一発で昔の情景がわかります。

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街道沿いにあった1軒の藁ぶきの民家。
見たところ店でも何でもない一個人の家のように見えます。
観光用でもないようなので今どき珍しく貴重ですね。

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海隣寺坂を上ると佐倉市役所がある中心部になります。
古い家々が残る城下町。枡形も各所に残ります。

佐倉順天堂は順天堂大学の名前をよく耳にしますが
その順天堂の元々の発祥の地は佐倉になります。

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統一された生垣が立派ですね。

次の酒々井宿は戦国時代に千葉氏が本佐倉城を築いて
下総の中心として栄えていた時期があります。

写真にある旧家は昔の絵図にも描かれています。
庭には馬を売る場所もあったみたいですね。

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酒々井のいわれとなった酒が出る井戸(復元)。
街道から徒歩3分ほどの場所にあります。

要約すると子供が働いたお金で親に幾度も酒を買っていたところ、
次第にお金が工面出来なくなって途方に暮れていると
酒が出る井戸が突然現れた。と、そんな感じです。

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酒々井停車場道と書かれているのは
鉄道開通後のものなので明治時代の新しいものです。

現在の京成酒々井駅付近を過ぎれば大坂越えです。

今も鬱蒼な雰囲気が残っています。
昔は後押しする役の人が常駐していたそうです。

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伊篠の松並木跡。
道路脇の盛り土に松並木だった痕跡を見ることが出来ます。

史跡に指定されるほどの立派な場所だったのですが
松くい虫にやられてしまい解除されています。

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一本松跡。

一里塚の役目のものとは別で松が1本あったのですが
旅人は松を見て成田山が近いことを実感したそうです。

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やがて成田駅界隈。門前町が始まります。
鉄道開通前においても賑わいは現在の駅前から始まっていました。
本来は成田山門前まで鉄道を伸ばしたかったようなのですが
それでは門前町を素通りされる!と大人の事情があったのでしょう。

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門前町の賑わい。表参道です。
この特長ある建物は大野屋の望楼で昭和10年に建てられたもの。

成田山新勝寺山門を境に表参道と東参道に分かれます。

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成田山新勝寺。元々は君津ケ原に開山された成田山ですが
戦国時代に荒れたので現在地に移されています。

現在の本堂は昭和48年のものですが本堂脇にある釈迦堂は
先代の1858年のもので他の場所には先々代のものも残されています。

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今回の街道歩きでは新勝寺の先にある寺台宿をゴールと設定しました。
寺台宿は河岸があった場所で船で来る人はここから参詣したといいます。
また我孫子経由の成田道もここを経由しています。

東参道は表参道に比べると静かですが
成田参詣の宿泊は寺台宿が一般的だったそうなので
今とは違う大きな賑わいがあったものと思います。

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寺台宿。

護岸整備によってかつての面影が薄れていますが
川べりには何か所も河岸が続いていました。

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posted by にゃおすけ at 16:18 | Comment(0) | その他の街道 | 更新情報をチェックする

2018年02月01日

『街道歩きのススメ』歩きに便利なアプリ

今回はアプリのご紹介です。
これまでもオススメを紹介してきましたが
アプリの進化は日進月歩。良い機能のものが増えつつあります。

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機能的に充実のスーパー地形

まず一番にオススメしたいのが「スーパー地形」です。

あらゆる地図の閲覧はもちろん、ルートの表示、軌跡の記録など
これ一つでこなすことができます。

これまでは同種の「FieldAccess2」を薦めてきたのですが
このところ更新がない状態で恐らく今後も期待薄です。
それならば「スーパー地形」一本に絞っても良いのですが
「FieldAccess2」独自の利点もあるので悩ましいところです。

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今昔マップを表示した画面

その利点の一つは操作性です。
「スーパー地形」は操作上のUIが洗練されてない印象で
若干「FieldAccess2」より使いづらいところがあります。
でもこれは人それぞれ慣れの問題でしょうか。

見れる地図の豊富さならば断然「スーパ―地形」です。
今昔マップが見れるのは大きな利点です。

ところが、ルート上の高低差を知る機能に関してはというと
「FieldAccess2」に軍配があがります。

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FieldAccess2の画面。下部のグラフに注目

ルートの高低差を画面上に表示できるということは
峠越えの際は、あとどれぐらいで峠なのかわかったりと、
歩く上での心構えや飲料の準備などすることができます。

「スーパー地形」の高低差を表示する機能としては
今歩いてきた場所を振り返ってのグラフ表示は可能です。
また、事前に取り組んだルートのグラフ表示もできます。

これら機能は現在地を追従して見れると便利なのですが
リアルタイムで見れないというのは残念な点です。
その点「FieldAccess2」はグラフ上にも現在地表示がされ便利です。

今後のアップデートに期待します!

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一つのスマホでタスクを切り替えて使用

このようなことから現在は2つの地図アプリを併用しています。

併用となると不便と思われがちですが
別々のアプリで異なる地図を表示させれるので
使い方によってはメチャクチャ便利です。

例えば、片方は地理院地図を表示させて
もう片方は今昔マップや航空写真を表示させるという感じで。

もちろん同一アプリ内で地図を切り替えて使うのも良いのですが
地図切り替える際に若干の手間がかかってしまいます。
歩きながら使用するので少しの手間でも極力省きたいもので
OSのタスク切り替え機能を使うと驚くほどスムーズです。
iPhoneならホームボタンをダブルクリックですね。

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上からペース、高低差、スピードが記録されるRunkeeper

次に歩くペース(スピード)を記録するアプリのご紹介。

歩いた後で見返す楽しみとして使っていますが
具体的には「Runkeeper」というランニング向けのもので
似たようなアプリは多いですが歩いたデータを蓄積できたり、
視覚的な表示が優れているものが使いやすいと思います。

ペース配分を記録する機能は先ほどの2つのアプリには実装されていません。
なので歩く際は合計3つのアプリを立ち上げることになりますが
ペースの記録は難所での辛かった記憶を思い出せたりして面白いものです。

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街道に使うアプリを一つのフォルダにまとめても便利

この他にも役立つアプリがまだまだあります。

◎あの山はなんだろう??

歩いていると特長的な山を見かけることがありますが
AR 山 1000」はカメラをかざすだけで山の名前が判ります。
ARを使ったもので慣れが必要ですがわかりやすさでは一番でしょう。

ちなみに「スーパー地形」でもパノラマ展望図機能で山の名前がわかります。
CG表示ではあるもののこちらもなかなかの高機能です。

◎どれぐらいの歩数で歩いたのだろう??

歩数計アプリで簡単に知ることができます。
ただし、正確さはアプリなので小型の機械に比べると二の次です。
大体の目安で良いならば良アプリがいくつか存在しています。

歩数計 Walker M7 - M11」は日々のランキングの表示もされますし、
吉野家」は牛丼屋で使えるクーポンがもらえたりします。

これらはバックグランドで動作してくれているので
わざわざアプリを立ち上げずに記録してくれるので便利です。

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行程表をメールで閲覧

◎計画表(行程表)を表示させるもの

歩く際に欠かせない行程表ですが
行程によっては複雑になってしまいがちなので
これといったアプリはなく「Gmail」を利用しています。

具体的にはテキストファイルに行程を書いたものを
自分宛にメールをして「Gmail」で見るという方法です。
先ほども出てきたOSのタスク切り替え機能を使えば
結構スムーズに切り替えて確認できるのでオススメです。

以上、IPhoneのアプリを中心に書いてみました。

では、enjoy!街道歩き!



  
posted by にゃおすけ at 15:51 | Comment(0) | 街道歩きテクニック | 更新情報をチェックする